Mr.Childrenの、96年発表のアルバムだ。 発売当時、世間では、滅茶苦茶に非難された。 「桜井和寿は、この絶頂期に、何故こんなに暗く 地味なアルバムを作らねばならなかったのか?」 「これは、ミスチルファンでありつづけるための 踏み絵だ」などと、散々だ。 桜井をはじめ、Mr.Childrenのメンバー4人全員が、 心底「死にたい」と思いながら、毎日レコーディングをしていたという。 結果、アナログサウンドを極めた、 ダークでディープなトータル・アルバムが できあがった。
それは、クリエイターの生命線。 そして、天性のもの。 残念なことに、後学や努力で、 どうにかなる類のものではない。 書けるひとには、 生まれつきその能力が備わっている。 書けないひとには、 100年経っても、書けない。 そういった文脈が、確実に、存在するのだ。 …わたしは、自分のセンスについて、 相対的にではなく、絶対的に自信がある。 そうでなければ、この業界、生き残れない。 センスとは、つまりは感性のことだ。 感度のわるいアンテナでは、 電波が受信できないのと同じよう
ことしも、12月。 わたしが、数十年つづけた コレクターを、やめる年となった。 わたしの人生、次の目標は、 いわゆる文学賞に、応募することだ。 勘違いしないでいただきたいのは、 「受賞」ではなく、「応募」が 目標になっている点だ。 それなら、非難されようがあるまい。 人間、何かに向かって努力する姿勢は、美しい。 わたしは既に人生の後半に入っているうえに、 重度の精神病をかかえ、 できることは、もはや、多くはない。 わたしは、処女詩集刊行の際、 たくさんの出版社から、資
妻について語ることは、とても、むずかしい。 家族、だからだ。 愛とは?と、同じような、難解さがある。 恋とは?と、同じような、気恥ずかしさがある。 わたしは、実の家族など もはやどうでもいいが、 妻だけは、そばにいてほしい。 …なぜか? …それはきっと、生涯を通じた、 唯一のパートナーだからだろう。 嬉しいときや、つらいとき。 無条件で寄り添ってくれるひとがいる、と いうことは、幸せの、ひとつのかたちだ。 逆もまた真なりだ。 いま、疲れて眠っている、妻へ。 …
わたしは、読書の大好きな子どもだった。 精神病になり、本が読めなくなるまでは、 たくさんの本を、読んだ。 そんなわたしは、中学一年生のとき、 「ノルウェイの森」に出会い、夢中で読んだ。 その本で、わたしは夏休みの読書感想文を書いた。 ひとり、原稿用紙3枚、という校則があったが、 わたしは、30枚にもわたって、書いた。 何かの賞でももらえるかと思ったが、 校則違反のため、審査対象外、ということで、 何も、もらえなかった。 それでもこの本は、わたしの人生の 分岐点になっ
真冬の陽光 あたたかい 文脈など考えずとも 陽光がわたしを導いてくれる 眩いばかりの 青空 歴史の重みを 彼方に隠して 月日はめぐる 今日という日も 歴史の一頁に埋もれてしまう 陽光よ わたしを照らしてくれ なんの保証も なんの約束もない今日を 束の間の温もり やがて訪れる 厳しい真冬の夢 真白に煙る街
「毎日、投稿」とは、よく聴く目標だ。 しかしながら、その優先度合いゆえに、 クオリティは、落としたくないものだ。 クオリティを落とすくらいなら、 毎日投稿など、しない方が良い。 わたしは、処女詩集を出版するとき、 ページ数の関係上、約半数の作品を シェイプすることを迫られた。 これは、身が千切れるほど、 苦しい作業だった。 みな、わたしの生み出した、愛しい作品たちだ。 事情が許すなら、すぐにでも、 落とした作品たちで、 第二集を編みたい思いだった。 それくらい、自分の
ものを書くことは、 そんなにたいしたことでも、 すごいことでもない。 単なる自己顕示欲のあらわれだったり、 世界と繋がっていることの証左だったり、 生の存在証明だったり。 ものを書く。 ひとは、あらゆる動機で。 あるいは、生きる。 ひとは、あらゆる動機で。 つまり、ものを書くことが、 生きることになっているひとたちが、 確実に、一定数、いる。 …わたしも、そのひとりだが。
世間の目なんて どうでもよかった ただ あなたがそばにいるだけで 何もいらなかった 余分なものを すべて削ぎ落として 全力で 生きていた そんな 風の時代が過ぎ 闇のいざないを経て やがて また陽は昇る 世間の目なんて どうでもよかった すべて脱ぎ捨てて 全力で生きる その姿勢をだれが批判できよう
わたしは、立派な、障害者だ。 しかしながら、世間のほとんどのひとは、 いわゆる、健常者だ。 そんな人々が、自分のことを 「健常者」だと意識しているのか、知らない。 「健常者」であることの利益を、あるいは幸せを、 最大限に享受していることを 理解しているのか、知らない。 …きっと、無意識なのだろう。 空気のように、 あってあたりまえのことなのだろう。 そんなことを、考えもしないことが、 きっと、当然なのだろう。 わたしは、立派な、障害者だ。 ゆえに、それについて、
わたしはむかし、 シンガーソングライターになりたかった。 詩も書けたし、曲も書けた。 編曲も独学で学んだし、 ボイストレーニングにも、通った。 …10代の頃の、話だ。 当時は、パソコンなどなく、 バイトで貯めたお金を使って カセットのマルチトラックレコーダー(4トラック)を購入し、 曲を多重録音していった。 最終的には、 街のスタジオにそのテープを持ち込んで、 CDを焼いてもらった。 …10代の頃の、話だ。 わたしには、夢があった。 いま、40代のわたしには、 そ
このサイトに参加されている方々は、 みな、強い自意識をもっている。 …わたしも、そのひとりだが。 プライド、と言い換えても良い。 プライドなしに、ひとは、生きてゆけない。 だが、プライドが高すぎると、 逆に、生きるのがつらくなるはずだ。 その葛藤と闘い続けるのが、 クリエイターだろう。 これは、文藝に限らず、どの業界でも、そうだ。 ものをつくる、ということは、 とどのつまり、その葛藤を打ち破ることだろう。 そして、評価に左右されない、 強靭な精神力が求められる。 こ
ことしも、12月がやってきた。 真冬の風が、吹き抜ける。 真夏の風も、せつないが、 真冬の風も、このうえなく、せつない。 わたしは、寂しい。 だからこそ、わたしはこの文脈を紡いでいる。 世間には、わたしと関係ないよろこびが、 かなしみが、なみだが。 美しい生きざま、とは、どういったことだろう。 他人から見て、美しくなくとも良い。 自分の納得いく美しさを、 わたしは今日も、さがし続けている。 12月。 せつない月だ。 真冬の風に病んだこころを、 この両手でつつみ
精神科の薬というのは、強力だ。 とにかく眠らせて、事なきを得よう、とする薬が 多すぎる。 内科の医師の言葉を、聞いたことがある。 「うちで出す薬の効き目を1〜2とするなら、 精神科では10〜20の薬を、平気で出す。 うちでは出せないよ、怖すぎて」 ゆえに、その副作用も強烈だ。 常時よだれが止まらなくなったり、 眼球上転が起こったり、 呂律が回らなくなったりすることは、 決して、稀ではない。 むしろ、そういった副作用が起きないほうが、 めずらしい。 それでも、その薬を飲み
わたしはいつか、死ぬだろう。 極めて、確定的に。 あなたもいつか、死ぬだろう。 やはり極めて、確定的に。 生きている今が幸せでも、不幸せでも、 行き着く先は、みな同じだ。 誰も知らない、向こうの世界なのだ。 …だからこそ、今を生きねばならない。 与えられた運命のなかで、 一生懸命、生きねばならないのだ。 わたしは、自問する。 …おまえは、一生懸命生きているかい? イエスと、答えたい。 しかしながら、人間とはかくも弱いもので、 その答えは、未だ、ノーでしかあり得ないの
詩と文章の二択だと、 文章のほうが、受けがいいらしい。 ダッシュボードに、そう書いてある。 幸い、文藝の世界では、わたしはバイだ。 …よろしい、文章を書いてみよう。 わたしは、16歳のときに、精神の病を発病した。 藪医者にかかり、24歳のときまで、放っておかれた。両親が不審に思い、都内の大学病院に、 わたしを連れていったところ、検査入院となった。 数ヶ月の入院のあと、わたしは正式な病名を告げられた。 「精神分裂病」(現在でいう、統合失調症)。 わたしは、後頭部をハンマーで殴