無言 26
黄色い薔薇の花は訓練室に通う僕をしばらく迎えてくれていたのだが、暑さが和らぎ、やがて木の葉が色づき始めると、花芽はつかなくなった。花が咲いていなくても、緑は生き生きしていてその葉は生命力にあふれていた。けれど花のついていない薔薇はどこか寂しかった。
「薔薇。咲かなくなっちゃいましたね。そう言えば、私が良く行くお店にはいつもきれいな薔薇が飾られてるんですよ。一年中薔薇が見られるってことは、ハウス栽培なのかなー。どうなんでしょうね。」
花のない薔薇を見ながら佐々井さんは言った。
昔から花が好きだった尚子。薔薇園に勤めている事を知った時、なるほどな。と思った。四十九日が済んだ後、正人が花束を持って僕の家にやってきた。
「お母さんの職場から沢山花をもらったから。すごく手をかけて育てていたのもあるらしいから、お父さんにもおすそ分けだよ。」
あまりに大きな花束。飾る花瓶がなくて、コップや空き瓶や、ありとあらゆるものを総動員して花を飾った。小さな部屋は花でいっぱいになった。男の一人暮らしに花が溢れる部屋はなんだかくすぐったい気分になるが、適当に飾った花でもやはり見ると心が和む。毎日水を替え、2週間程花のある生活を楽しんだ。
「おばあちゃんのお花やさん。きれいだよ。またおじいちゃん一緒に行こうね。」
よっくんは部屋にある花を見てそう言ってくれた。尚子がいない今、僕は息子や孫にどんな距離で接していいか計りかねている。尚子の今の旦那さんにはお通夜のとき一度だけ出会った。お葬式にも出てください。と言われたが、正人を通じて欠席すると伝えてもらった。四十九日についても、行くかを正人が聞いてきたけれど、「やめておく。」と断った。自分の気持ちはまとまらない上に、言葉が不自由な今はそれを伝えることも難しいが、正人は「わかった。」と行かない理由を問われることもなかった。話せないことがストレスだと感じる事は沢山ある。けれど、話せないからこそ自分の気持ちを言わなくてすむのはいいのかもしれない。と時々思ったりもする。無言でいることが楽になってしまっていることが最近はよくある。言葉は難しい。言葉を自由に扱えなくなって改めて思うことだ。言葉は使い方を間違えると人を傷つけたり、逆に傷つけられたりする。うまく伝えられなかったことは結果自分に返ってきてしまい、自分で苦しむ結果になりかねない。ならば黙っているほうが楽なのではないか。平日はヘルパーさんや看護師さんが出入りし、またリハビリに出かけることもあるから、何らか誰かと話すのだが、土日は息子や孫が来なければ1日誰とも言葉を交わすことなく過ごす気楽な週末だ。
そんなのんびりした週末のある日。よっくんが誘ってくれて「おばあちゃんのお花屋さん」に行くことになった。もうすっかり訓練室の薔薇は咲かなくなってきていたが、ハウスの中は色とりどりの薔薇が咲いていた。尚子の上司でもあったであろう上野さんは、よっくんとは顔なじみらしく、日に焼けた腕でひょいとよっくんを抱っこして、
「また重くなったなー。」
と顔をクシャクシャにして笑って言った。暖かいハウスの中はいい香りがたちこめ、色鮮やかな花達が孫の身長を追い越して咲いている。上野さんは彼が花を見やすいように抱っこしたようだった。
「このへんの花はもう売らないから、よっくんが好きなのを10本選んで持ってかえっていいよ。」
「奥田さんも10本選んで下さいね。」突然よびかけられてビックリしたが、僕は数回うなずいて頭を下げた。
花を抱えて歩くことができない僕は、リュックサックに薔薇を入れてもらった。薔薇が飛び出ているリュックサックはなんとも可愛らしくて、よっくんと目を見合わせて笑った。よいしょと薔薇を背負うと、僕の後ろに回ってその姿を確認し
「おじいちゃん。かわいいよ!」と手を叩いて褒めてくれた。ちょっと照れくさいが、まあいいか。帰り道は薔薇を背負った僕をぴょんぴょん跳ねるように後ろに回っては確認し、そして前に回って杖をついた僕が歩きやすいようにペースを合わせながらついてくる。正人が車で迎えにきてくれている表の道まで二人で歩く。ちょこまか動くよっくんに、気をつけて。と言おうとしたら、逆に「おじいちゃん。気をつけて!」と言われてしまう。確かに舗装されていない砂利道は杖を頼りに歩く僕には難易度が高い。気をつけないといけない危なっかしい二人で歩く道。
「おじちゃん。バイバーイ!」後ろに向かって手を降るよっくん。そうか、上野さんも見送ってくれてるんだな。後ろを振り返る余裕もない自分に苦笑する。
「あ。お父さん!」
ふと立ち止まり前を見ると正人がこっちに向かって歩いてきていた。
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