運が良いワタシ by. 木森 林林
『運動』
運動とは体を動かすことが一般的だが
昨今では “運” を動かすための視点も注目されている
思考や行動を起こすために必要な動きは
身体があってこそのモノ
その起点が作用しナニカと出会い
新たな発見や “幸運” とされる事象も呼び寄せる
だが “運“ と呼ぶ全てが幸運なモノとは限らない
“不運” とされる事象や表現も存在し
それはその事象に対する解釈に依存する
こうした “運” の流れを意識するコトは
人間が生きる上での希望的観測に過ぎないのか
それとも実態として起こる全ての “運” は
自らの選択で得ることができるか
- “運” が良いワタシ -
“宇宙” や “時間” といった実体を掴めないモノに対して、
昨今では多くの研究が進んでいる。
中でも “運” という存在は、
奇跡や偶然として時の流れの中で起こる
一つの事象で考えられている。
だが『運が良い人』とされる存在もいる。
これは個人差があり自ら良い方向へ導くコトも可能なのか。
そんなワタシは、
紛れもなく『運が良い人』の部類で生きている。
なぜならワタシは「運が良いから」である。
これはワタシが運が良いコトを自慢したいわけではなく、
自ら「運が良い」と自覚するコトから全てが始まるとワタシは考えている。
事実として過去記事にも一部記したように、
死を間際に経験したコトや、窮地から奪還したコト、
多くの良質なご縁に恵まれ支えられたこれまでの人生には頭が上がらない。(以下 : 過去記事 -さいごに- 参照)
今後もそうした経験談も交え執筆を予定しているが、
過去の経験の中でも、
死を間際に経験した事象や窮地に立たされたコトは、
一見すると「運が悪い」とも考えることはできる。
だが今ではそれらの経験を乗り越え月日が経ち、
今の環境へと導いたことでこうして執筆ができている。
これはワタシにとっては「運が良い」わけだ。
ただのポジティブ論のように思われるかもしれないが、
今その瞬間に起きている事象をどう捉え解釈できるか。
もしそれが “運” の本質と考えるならば、
運が悪い出来事以上に『運が良いと考えられる時間』に焦点を当てる方が、
“幸運” として得られる恩恵は多いように思う。
- 動き続ける “運” -
運動という言葉は動き続ける様子を指すように、
ワタシ達自身が “運” の根源であるならば
こうした今その瞬間もその働きは作用している。
前述でワタシは『運が良い』と名言したが、
昨年の2024年で起きた出来事や行動、
今年に入り動いている出来事の全てが
「ポジティブに考えられる出来事が起きているのか?」
といえば決してそういうわけではない。
これは自らが望む理想と現実の差であり、
個人的な身の回りでネガティブに考えるほどの事象は幸い起きていないと考えているだけだ。
ただその瞬間にワタシ自身が考えるベストな判断や、
自信を持った限界の行動や思考を繰り返すことで、
後の後悔なども無く
その時の “自らの限界” を知ることもできる。
この『自らの限界を知ることもできた』という事実すらも、
幸運な出来事ではないか。
対外的な問題に関しても、
自らが対立や悪意が無い姿勢で向き合えば
“問題” とされる原因も浮き彫りになり、
そこに対処できるかどうかは渦中のモノ同士次第で最終的な結論を「各々がナニを望むか」でしかないわけだ。
この時点でそうした行動や挑戦をした事実に意義は生まれ、
それらの経験を後にどう活かしどう解釈するか。
失敗や挫折もその後にどのように改善し前進するのか。
容易なことではないが、
日々の一つ一つの出来事に誠実に向き合うことで
「不運」な展開に巻き込まれるコトは限りなく少なくなるとワタシは考える。
- さいごに -
ここまで見てくださりありがとうございます。
ワタシは身体を動かす『運動』は日課として取り入れており、思考や行動、仕事を継続する上で欠かすことができません。
それは過酷なモノで無くとも
日々歩くことや筋力を使うことで思考は冴え、
目に映る描写の変化にも敏感になるように感じます。
こうした変化の積み重ねは、
“運” とされる実体がない幸運な事象も引き寄せるとワタシは考えています。
時に「運が悪い」と感じるコトも、
案外その瞬間の出来事でしかなく
「運が良い」と感じる流れに身を任せている時は、
目まぐるしく状況が展開し瞬く間に時が過ぎていきます。
そして後に残る感情として達成感や充足感が満ち足りれば、
その過程で起こる “ 不運” と感じるコトも後には記憶の片隅にあるはずです。
この経験の繰り返しは、
自らの行動が自然なカタチで「運が良い」とされる動きとして習慣化し、環境の変化や遭遇する事象にまで影響していきます。
こうした記事を記せるのも過去の実体験を元にワタシの視点の価値観で述べていますが、一概に言えることではないかもしれません。
ただ “運” の働きは内面的な意識と密接に関係しているのは、
過去の経験や身の回りの変化からおおよそ見当がついています。
もし読者の中で
「不運な事象に巻き込まれている」
「ワタシは運が悪い」
と今現在考えている方がいましたら、
視点を変える意味で是非参考にしていただければ幸いです。
木森 林林(RINRIN KOMORI)