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情報というマトリックス世界 by. 木森 林林

『情報』

情報とは「知識」と異なり
“選択肢の段階” を指すと考える

青いピルを飲むのか
赤いピルを飲むのか

時の映画では "色" の概念からも
「挑戦と安定」
「眠り続けるのか目覚めるのか」

映像や演出からの考察は様々だが

現代ではまさにその選択次第で
生き方や生きる道さえも大きく変わりえる

これらの創造の本質は
『情報』に対する警鐘を鳴らしているようにすら思える

photo : Untitled (Rinrin Komori)


- コード “マトリックス” -

1999年公開の映画「The Matrix」。

この映画は2021年までシリーズ化され、
これまでも多くの見解や考察が存在するが、
さらに続編も制作中のようだ。

まずワタシはこの映画に対する考察や、
本編に関連したハナシをしたい訳ではない。

ただ実生活や現代社会において、

『情報』という避けては通れない存在に対し、
どのような視点で向き合うべきなのかを考えた。

多くの人が日々を過ごす中で
見聞きする全ての情報に対して、

「先人の意見」
「証拠や実績」
「有益で有効」

といった各々の判断基準で取捨選択している。

それらの全てが “源泉” となる事象が存在し
現代ではある程度の源流を辿ることも可能だ。

だが得た情報の源泉や源流を辿るにも
ある程度の取捨選択は必要になる。

つまり「知識」として各々が論理的に解釈し、
独自の考察や洞察も必要になってくるのが今を生きる社会。

「The Matrix」の本編に登場する
“赤いピルと青いピル” や “エージェント・スミス” は、

まるで各々が生きる世界で得る情報を取捨選択する中で、
その途中で起きる選択や弊害を現しているようにも見える。

こうした視点で見れば、
一種の仮想空間のように個人の見ている世界は

一つの宇宙の中で真理や真実を得るためのストーリー
もしくはプログラムと見ることも出来なくはない。


- 抜け出す方法 -


もしワタシ達の人生が
既に決まったストーリーや『ナニカのプログラム』
とされる世界で生きていると仮定しよう。

そしてワタシがこれまでの記事で記してきたような
“俯瞰“ で観察した場合、

おそらくその決められたプログラムから相反する視点で行動し、予期せぬ動きを求めるようになるだろう。

なぜなら、
「既に決められたストーリー」と人生を考えてしまえば
この上ない絶望と生き甲斐を失ってしまうからだ。

そう考えると、
ワタシ達は常に『目の前の情報』からあらゆる選択を行い、自らの意思で生きているコトこそに各々の生き甲斐や責任といった "使命" を見出すのかもしれない。

もしそうした枠組みやその選択が苦しくなり、
「抜け出す方法」が存在するならば

それは自らの "使命" を自らの力で手繰り寄せ導きだした先に、必要な選択しか目の前に現れない一種の『ゾーン』のような状態に入るのかもしれない。

その地点では、
まるで「向かうところ敵無し」のような一方向の道が見え、

赤いピルや青いピル、
エージェント•スミスといった選択による弊害はなく

本来の "ワタシ" という存在があるべき姿へと変容を遂げていくのだろう。

こうした経験や視点は、
一時的にでも一つのことに無我夢中に埋没できた経験がある人であればおおよそ共感できる事象と考える。

ただ現代社会の情報量の中で、
自分の内側と向き合い、新たに見つめ直し

長期的に且つ自然発生的に起きることは
ある程度の人生を経た段階では困難を極めることも無理はない。

その困難と考える理由は
経済的な外的要因や、社会情勢、時代的側面に起因していることも多分にあるが、

前述で記したような
一度自ら『ナニカのプログラム』と考え
そこで生じる絶望的虚無感にあえて浸ることで、

他社に迷惑をかけず道徳的且つ倫理観は維持し、

自らの内側に向かって相反する行動や
新たな選択を見出す行動を引き起こすのも、

"本来のワタシ" に立ち返るための
一つの有効な手段かもしれない。

- さいごに -


ここまで見てくださりありがとうございます。

今回の記事は『情報』という、
生きる上で避けては通れない膨大なモノに対して

ワタシの見解や向き合い方をまとめてみました。

“情” という漢字に「青」が使われており、
トップ画像のように「赤」が使われた漢字は
過去も現在も存在していません。

ただ赤く染まりつつある現代社会の方向の中に、

青い心=“情” という内面的要素は、
ワタシは失ってはいけないと考えます。

「情け(なさけ)」とは

あらゆる事象や “風情” といった『侘び寂び』の日本的な精神に通づるモノですが、

定義や言語化は多種多様で難しい反面、
人同士に対しても今のような偏りをみせる現代社会だからこそ重宝される概念であり、体現すべき姿勢のように感じています。

photo : ある日の道 (Rinrin Komori)


木森 林林(RINRIN KOMORI)



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