鏡をみつめて(#髪を染めた日 with ホーユー参加作品)
母はとても器用な人だった。
大人になった今、思い返すと、ずいぶんオシャレな人でもあった。
記憶の中の母は、いつも明るいレッドブラウンの髪色だ。
私はとても遅く生まれた子だ。兄を産んだときですら、昭和の時代には遅めの子どもであった。
そして、さらに七つ年下の私。
きっと予想外の子どもだったのだろう。母に冗談ぽく聞いてみたいが、それは叶わない。今の母は認知症を患っていて、娘である私を認識することはおろか、言葉を発することもできない。
若い頃の母が髪を染めるのは、休みの日の台所であった。
プロ仕様のケープをまとい、大きな鏡をテーブルの上にでんっとおき、薬剤を作る。そのツンとした匂いは決していい匂いとはいえなかったが、子どもの私は、母が髪に薬剤を塗っていく様子をみるのが好きだった。
仕事に遊びに、昼も夜も自由に出かけて、あまり家庭を顧みない母のそばにずっといられるのが、嬉しかったのを覚えている。
綺麗なレッドブラウンの髪の根元だけ黒く、ところどころに白いものが混じっている。
母はコームをつかって綺麗に髪をわけ、丁寧に刷毛で薬剤を塗りこんでいった。
その時、母は何かをしゃべりながら、手だけを魔法のようになめらかに動かしていた。
視線は大きな鏡に映る自分をみつめている。そうしながらも、娘の他愛ない話につきあってくれていたと思う。
今となっては何を話していたのかまったく思い出せない。ただ、口を動かし、手を動かす母の姿だけが鮮明に思い出される。
記憶のこそばゆい嬉しさは、あまり甘えられない母が、この時間だけ自分に関心を寄せてくれている喜びだったのだろう。
私にも子どもができた今、幼い子どもに甘えられる時間を、あまり取らなかった母の気性に、一言いってやりたくもなる。しかし、母も一人の女性であり、母性と呼ばれるものに人生を飲み込ませないことに必死だったのだろう。
私は、鏡に映る自分の顔を覗き込んだ。
若い頃にはまったく気が付かなったが、歳を重ねるほどに母に似てくる顔。
母は、若い私に自分の青春時代の顔を重ねていたのだろうか。
髪に目をやれば、あきらかに白いものが目立つ。
不器用な私は、自分で染めることはほとんどなく、いつも美容院で染めてもらっていた。
でも……
私は、ケープを巻きコームで髪をとかした。
母のようにうまくできなくても、これからは、自分で髪を染めようと思う。
丁寧にコームをなでつけていく。刷毛を使わなくてもそれだけで薬剤が髪にのっていく。あの頃のようなツンとした刺激も少ない。
品物はどんどん進化していく。しかし不器用さを直す薬はまだ開発されていない。でも、白髪はどんどん生えてくるし、増え続ける。いつか、母のように綺麗に染め上げられるようになるだろう。
その頃には、母と老人養護施設のパーテーション越しでしか会えないという規則も変わっているはずだ。
そうなったら、娘を顧みないわがままな母に、子どもの頃には言えなかった文句をいいながら、明るいレッドブラウンの髪にしてあげよう。
そんな日を思い描きながら、私は今日、髪をそめる。