夢乃りん

夢乃の20年間の記録

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最近の記事

私を愛して。

子供を産んだからと言って母には成れない。 子供を産んだからと言って母性は産まれない。

    • 母親

      母親は母親になれず──いやならず女として生きた。 自ら腹を痛み産んだ子供らを捨て愛する男の元へと行った。 例えその愛する男が自分の生活費を払わず母親に全て払わせて都合のいい時に母親を性欲処理として使う男だとしても母親はその男を愛してやまなかった。 そんな母親に異常な程までに執着する私は可笑しいだろうか? 愛して憎くて愛おしくて狂ってしまいそうだ。

      • 私の処女は2万円だった。下

        ついにその日がやってきた。 待ち合わせに指定された最寄り駅に着いて キョロキョロと周りを見渡すと 携帯画面と私を交互に見つめる男性が1人。 直感でその人だろうと感じた私は声をかけてみた。 案の定Twitterでやり取りしていたお兄さんだった。 合流後、直ぐにその足でラブホテルに向かう。 初めて男性とそういう行為する為に来たラブホテルは とても変な感じがした。 部屋に入りお互いシャワーを浴び、さあ、事を始める。 私が処女だという証拠に膣から出血が伴った。 その様子にお兄さん

        • 母親と彼氏。 2人が彼氏の車の中で過ごしている。 私は母親の車の中で過ごしていて、と言われたので素直にそれに従った。だけど眠くなった。 幼いながらもエンジンかけたまま寝たら大変なことになるのではと思い、エンジンを切って車内に置いてあった薄くボロいひざ掛けを身に纏い、浅い眠りについた。 あの夜を未だに私は思い出す。 ──冬のツンと乾燥した匂いとガソリンの匂い。

          私の処女は2万円だった。上

          17歳の初夏。 私は知らない男性に処女を2万円で売った。 その時の私はわずわらしかった 処女を早く捨てたかった。 それに持病の精神疾患のせいで バイトが持続してできず、すぐにクビになっていた。 だが、その時一緒に住んでいた母親はそのことを身近で見ていたはずなのに、手をさし伸ばしてくれなかった。 そんな母親はしょっちゅう外出、外泊を繰り返していた。幸いにも電気、ガス、水道は払っててれたお陰で何とか生活できていたが……。 冷蔵庫に食料がない、生理ナプキンがない。日用品がない。

          私の処女は2万円だった。上