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いじめられっ子だった私が、「いじめられる方にも原因がある」という意見について考えてみた件

お久しぶりです。凛です。
…お久しぶりすぎますね笑笑
資格試験は無事合格しましたー💯
また、ぼちぼち投稿していきますので、よろしくお願いします。

はじめに


今回は「いじめ」についてです。
被害者側を経験している私が、被害者視点で意見を書きます。よかったら、ご一読くださいまし。

私が受けたいじめ


まずは、私が受けたいじめについて、簡単に書きます。

高1の10月から、突然、いじめのターゲットにされました。
主犯格は、1人の男子生徒でした。
彼は、イケメンで、成績も良く、部活動でも良い結果を残している生徒で、おまけに人をまとめるのも上手いから、クラスの中心にいて、みんな彼の思う通りに動いてるような感じでした。
(以降、彼のことは"イケメン君"と表記します。)

いじめの内容は主に、
・容姿や人間性を否定された
・席を極端に離され、孤立させられた
といった感じ。

最も印象に残っている出来事として1つ挙げるとしたら、家庭科の調理実習の班決めの際の出来事です。
くじ引きの結果、運の悪いことに、私とイケメン君が同じ班になってしまいました。
すると、イケメン君は、これ見よがしに「最悪だ」「ふざけんな」「当日、休んでやる」などと、大騒ぎをしました。
影響力の強い彼が騒いだものだから、私は、クラス中の嘲笑の的となりました。

こうやって、今になって、いじめの内容を羅列していると、なんだか…大したことではなかったような気もしてきます。

でも、当時の私はまだ幼かったし、精神的にも相当不安定でした。
自分の存在意義とか、価値とか…そういうことにすごく悩んでいる時に、ここまで書いてきたように周囲から、まるで汚物のように扱われたものだから、本当に辛かったです。

いじめられる方にも原因がある?


1月頃に私が学校に行かなくなったことで、担任が動いてくれて、いじめは収まりました。
担任からいじめの話を聞いた両親は、あくまでも私の今後を考えてではありますが、
「なんで、いじめられたのか、考えてみなさい」と言いました。

…いじめの話になると必ずといっていいほど出てくる言葉です。

「いじめられる方にも原因がある」

この言葉を言われるのが嫌だから、いじめ体験については、誰にも話さないできました。

でも、いじめ被害から8年経ち、私ももう24歳。
精神的にも、少しは落ち着きました。
これを機に「いじめられる方にも原因がある」という言葉について、考えてみようと思い至りました。

…ズバリ言うと、いじめが始まる理由は、なんかしらあったんだと思います。
10月からいじめが始まったことから、無差別ではなく、私の何かが気に入らなくて、いじめを始めたんだと考えるのが自然です。
私自身は、イケメン君や、その周りの人々に迷惑をかけたつもりはありません。
話したこともなかったので、不用意な発言をしたということも、まずありません。
でも、彼らからしたら、私の何かが気に障って、存在が疎ましかったんだと思います。

いじめられる原因は、全員にある


でも…
いじめられる原因になり得る要素って、誰にでもあるんじゃないかな?とも思います。
みんな、苦手なこととか、ダメな部分とか…絶対ありますもん。

全員に、いじめられる原因=短所があるのに、
その中の誰かの短所だけを問題にして、いじめをするなんて、おかしいことです。

そもそも、人間性の良し悪しを、誰かが勝手に決めていいのでしょうか?
誰かに害を与えない限り、良い悪いなんて、簡単に決めれるもんじゃないはずだし、そんなことを決める権利は誰にもないです。

つまり、私の意見をまとめるなら…
「いじめられる原因は、全員にある。
だからこそ、いじめはダメ。」
です。

結びにかえて


今回の記事を機に、過去のいじめを振り返ってみて、人間関係において最も大事なことって、「お互い様よね」っていう心だなと気づきました。

他者と関わる中で、「合わないな〜」って感じる人もいるし、「この人嫌いだな」と思ってしまう人も、必ずいます。
でも、自分だって、周りからそう思われてるかもしれない。

周りの人は、自分の短所に気付きながら、目をつぶってくれているのかもしれない。
だったら、自分も少しは優しくならないと。


そういう考え方をできる人が少しでも増えれば、いじめって、減ってく気がします。


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