旭区境歩き⑤〈こども自然公園とたちばなの丘公園〉
旭区境歩き、こども自然公園に入りました(2024年9月16日に歩きました)。
田んぼがありますね。
ここは教育水田といって、小学生たちが田植えや稲刈りなどを体験できる施設のようです。
子供たちが作った案山子がありました。
虫取り少年。
こちらはハロウィン🎃っぽいね。
子供自然公園、通称大池公園はわたくしも小学校の頃何度も遠足で訪れたなじみの場所。
このブログでも何度か歩きましたが、そのうちの1つはこちら。
大池公園を出てまた黙々と歩きます。
もう既に20~21kmくらいは進んだでしょうか。
すると・・・・
あれ?あた、あたたたたた・・・・
北斗の拳のケンシロウではなく(笑)
両足のももからハムストリングからふくらはぎから、全部つった感じです。
うわ~と思わず座り込みます。
座りながらもストレッチやマッサージをします。
ああ、びっくりした!
暑さには弱いので基本的には夏場はウォーキングはオフシーズン。
8月中には府中や練馬区などのお散歩で20km近く歩いたものの、のんびり休みながらの歩きでした。
本格的にある程度のスピードで歩くウォーキングは久しぶりだったこともあって、ここで筋肉痛を起こしてしまったようです。
しかもいつも筋肉ダメージを和らげるためのアミノバイタルなどのアミノ酸も持参してませんでした。
途中まで調子よかったのでなめていたのでしょうね。しかしまあ、ブランクというものは大きいですね。
マッサージしているうちに痛みは少し和らいできたのでまた歩き始めます。
とは言え、かなり重い足取りで歩き続けます。
小雨も時折降ってきて、相変わらずスマホが言う事も聞かず写真もあまり撮れない状態でした。
途中ではまたこんな細い道も通ったりします。
この付近これと言って特に何もない場所だったのでかなり長く感じました。
以前もお話しましたが、長距離ウォーキングした時に自分が一番きつく感じるのはいつも全体の70%あたりの地点。
それなりに進んだけどまだゴールには遠い辺り。
「七割の壁」みたいなものです。
そしてこの旭区境は全体で大体32~33kmで現在地は23km地点とおおよそ70%の地点に当たります。
やっぱりこの辺りが一番きついね~。
・・・しかし、まだりんりんはこの先にもっときつい場所がある事を知らない(いや知ってはいたけどここまできついとは思ってなかった)
そして団地が見えてきました。
左近山団地です。
なぜか「こんなにきついのも、ドルチェ&ガッバーナのその香水のせいだよ~♪」
と口ずさみたくなりました。
・・・って、何を言っているのかさっぱり分からないでしょうが
「香水」でヒットした瑛人さんはここ左近山の出身なんだそうです。
左近山の地元のお祭りにもサプライズ出演したそうですね。
母校の幼稚園でライブもしたそうです。
地元を大切にする気持ち素晴らしいですね。
学生時代、ここ左近山団地に住む友達のうちに何度も行きましたが、もしかしたらどこかで少年時代の瑛人さんとすれ違っていたかもしれませんね。
さてそんな事を思いながら左近山団地を過ぎて
環状2号線を渡ります。
あ、そうそうもうこの辺りは再び保土ケ谷区との境になります。
さて、デジタル地形図を見ると(現在地は赤い◯)・・・
お分かりでしょうか。この先の起伏の激しさを・・・
また森の中っぽい道ですがさにあらず、公園の中の道です。
ここはたちばなの丘公園。
なにやらコンクリートの壁がありますが隣の説明を読むと「万年塀」とあります。
かなり塗装がはがれているので見えにくいですが「危険区域・火気厳禁・立入禁止」と書かれているそうです。
このたちばなの丘公園はかつて日本カーリット(現在も会社は存続しています)という火薬を扱う会社の工場がありました。
かつては軍需用の火薬を扱っていましたが、現在は電子材料やセラミックも扱っているようです。
ちなみに日本カーリットの創設者は浅野総一郎。
浅野セメントでも知られる浅野財閥の総帥として横浜の財界の中心者でした。
この保土ケ谷工場は1919年(大正8年)に設立され、1995年(平成7年)に閉鎖後、横浜市が買い取り公園になりました。
火薬の爆発が周囲に及ぼさないように広大な敷地があり、森林も保全されて現在では市民の憩いの場になっています。
そしてこちらのトンネル(隧道)。
火薬を製造する工室につながっていてここで火薬が運搬されていました。
事故があった時に被害が広がらないためだったのでしょうね。
中を覗くと雰囲気のあるレンガ造りです。
⑥に続く。