会社員から教員に転職するわけ
この記事では、いわゆる平凡なサラリーマンが何を思って、教員になろうと思ったのか、その経緯をまとめます。
という体の、自分語りです。
まぁでも、民間から教員への転職を考えている人や、教員の志望動機を考えている人には、ほんの少しだけ参考になることはあるかもしれません…。
簡単な自己紹介
会社員という主語が大きいので、自己紹介しておきます。
偏差値50~55程度の大学卒の量産型文系20代後半。都内の上場企業に勤めて、かれこれ約8年。既婚、2人暮らし、共働き。仕事は社内でいろいろやってきましたが、主としてキャリアコンサルタントの業務に従事。わりと仕事は頑張っていたので、一応、チームも任されて部下を持ったりなんかもしていました。
ちなみに仕事は嫌いではありませんでした。
(むしろ好きかも)
ただ、漠然と「今の職場でずっと勤めることはないんだろうな~。」と考えている、そんなどこにでもいるような人間がこの私です。
会社員から教員になろうと思ったわけ
正直なところ、前述の通り仕事も好きで、それなりに評価してもらっていましたし、ホワイト企業でもあったので仕事に対する不満は、あまりありませんでした。しかも、出会いにも恵まれ結婚もでき幸せですし、はっきり言って人並み以上には人生への満足感はあるように思います。
それでも、20代後半のお年ごろ量産型サラリーマンは「このままでいいのだろうか?」なんてモヤモヤ考えるわけです。
この後から、長くなるので結論から先に述べると、
教育という側面から「日本人の生産性を上げたい」と思い、
そのためには「自分の人生への納得感」が必要だと考え、
人生への納得感とは「自己認知を深めて、世の中を正しく知って、今できる選択肢を考え検討し、自分の意志で決断する」ことで生まれる
と考え、教員への転職を決意しました。
教採でもほぼまんま志望動機として言いました。
このように考えた経緯は、以下よりたらたらと述べます。
①選択の基準
転職するにあたって、何を基準にするかは、わりとすぐ決まりました。
自分が「世の中の課題である」と感じることに、仕事を通して関われること
それが世の中からも、長期的に求められていること
幸福感を感じることのできる収入・待遇が見込めること
まぁ、ありがちな基準かと思うので詳細は省きますが、要するに「やりがい感じたい。世の中のためになることやりたい。それなりにお金も欲しい。」ということです。
②社会へのモヤモヤ
職業柄、人生相談を受けることが多いのですが、人生に迷いを感じている方々は、下記のいずれかに当てはまることが多いように感じました。
成果のでないやり方で努力を続ける
社会のニーズが理解できない (永遠と自分のこだわりに走る)
自分自身と向き合えない (向き合い方を知らない)
自分の人生なのに、どこか他人任せ
他責にして、自責で物事を捉えられない
世の中の仕組みを理解していない
…etc
ただ、この人たちの考え方や在り方を否定したい、変えたいとは思いません。人様の考えを変えるなんて、おこがましいと思うのです。
とはいっても、この人たちは皆、口をそろえて「給与が上がらない」「休みが少ない」「企業はどこもブラックだ」などと喘ぎ苦しんでいました。そりゃ給与も上がらんわ、という話は置いておいて、この人たちがそれなりに自分の人生に、充実感を抱いて生きていくにはどうしたらいいんだろな~と、仕事をしながらモヤモヤしていました。
一方で、日本の政治・経済に関して、興味がありました。そして、知れば知るほど日本の未来は大丈夫なのだろうか、と不安感が湧いてきます。政策や政党うんぬんの話もありますが、結局のところ政治に対する国民の理解や意識が、問題の根底であるような気がしていました。
さらに、そもそも論として、日本の人口はどんどん減少していくことが確実。地方は緩やかに衰退していく未来しかなく、日本全体も衰退の方向に進んでいるように見えます。
さて、こうした中で、これから自分はどう生きていこう。なんてことをグルグル考えていたわけです。
そして、(だいぶ端折りますが、)グルグル考えた末に「日本人の生産性の向上」に自身のエネルギーを使いたいという結論に至りました。
[超余談]
ちなみにキャリアコンサルタントっぽいことを言うと、「世の中や他人に対するイライラ・モヤモヤというのは、自身が周囲と比べて得意なことであったり、課題に感じていることであったりして、それを仕事にできたり、やりがいに通じたりすることもあります。」と、ある本に書いてありました。
③人生への納得感
さて、「生産性の向上」とおおまかに方向性は決まってきたので、次は手段です。
生産性の向上を実現するために、世の中の人たち皆が「頭が良くなる」「仕事で成果を出せる」「夢や希望を持って働く」というのは理想として理解はできますが、個人的にはしっくりきません。というより、皆がそうなりたいわけではないので、非現実的だと感じました。
ここでもいろいろ考えましたが、高い生産性には「人生への納得感」が必要だという結論に至りました。
結局のところ、人の能力・趣味・思考は千差万別なので、「現在の自分に対して疑念なく、その人がその人らしく生きているなら、それがその人にとってのベストパフォーマンスなのでは?」と思うのです。
その状態になるためには「現代の世の中を正しく理解し、なぜ自分はこのように考えていて、なぜ自分はここにいて、なぜこの仕事をしていて、なぜこの給与で…のようなことに対して、ある程度の納得感があること」が重要で、そんな人を増やすことができる仕事をしたいと考えたわけです。
今のキャリアコンサルタントの仕事でも「やりたいことできるじゃん!」とも思いましたが、その転職者や社会に対する影響度を考えると、やはり転職という選択は変わりませんでした。
(一応、他にも生産性が上がるような何か便利なツールや仕組み作りに寄与することなども考えましたが、自分の抱えているモヤモヤは晴れないような気がしました。)
④結論、教員
はい。こうして行き着いた結論が教員という仕事でした。
私が受け持つのは、高校の公民という科目です。(地理歴史と最後まで迷いました)
この科目は、自分を知って、世界の事実や課題を知って、取れる選択肢を考え、それぞれのメリット・デメリットを検討し、将来を見据えて自分なりの結論を出すこと、を目的とした「実践科目」だと考えています。(自分なりに学習指導要領の内容を噛み砕いたらこのような解釈になりました。)
また生き方・在り方などの倫理観の教育も含まれていて、まさに自分がやりたいことが、授業を通してできるような気がしました。
さらに、キャリア教育にも特に関わりの深い科目でもあるので、自身のキャリアコンサルタントとしての経験も生きるのではないかと考えています。
待遇に関してはブラックとは言われているものの、ほぼ成果に関わらず平均年収以上の報酬が保証されていますし、民間でもわりとタフに働いてきましたので、そこまで気になりません。(正直な話、ゴリゴリの成果主義のマッチョたちが蔓延る戦場で闘っていた身としては、解き放たれるような気分です。)
こうして、自分の課題感と世の中の課題感が一致し、かつ待遇もクリアしていて、先に挙げた転職の選択基準に見事当てはまったのが、教員という職業だったわけです。
終わりに
偉そうに述べてきましたが、結局は自己満の理想論でしかないと思っています。ただ、働きながら学業や教採対策を3年間頑張れたのは、教員という選択に自己満理論ながらに、確信めいたモノを感じていたからだと思います。
どこまで何ができるかは検討もつきませんが、まだまだこれからも理想を描きつつ、取り敢えずやり切ろうと思っています。
話は変わりますが、民間から教員になる人は、もっと増えても良いと思います。業界を跨いで人が流動することで、良いモノやサービスが生まれるものです。民間からの教員が増えることで、学校教育業界もより良くなるはずです。
なので、この記事が私と同じように、会社員から教員への道を目指している方の参考になれば嬉しく思います。そして、共感してくださる方がいるなら、この上ない幸せです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
自分で納得感があるなら周りから何と言われようが、それが正解。皆さんの人生も、きっと良くなりますように。。。