全人類は「明日、私は誰かのカノジョ」を読んだ方がいい
ゴールデンウィークに何をしていたか、というと、暇に任せてDMMbooksで漫画を漁っては読み、漁っては読みを繰り返した。
その中で、「これはヤバいぞ」と感性に訴えかけてきた作品が「明日、私は誰かのカノジョ」だった。
「明日、私は誰かのカノジョ」はさまざまな悩みやコンプレックスを抱えた女性たちに焦点を当て、オムニバス形式で描く漫画(既刊10巻:2022年5月時点)であり、この4月からなんとテレビドラマ化もしている。
そんな人気作である「明日、私は誰かのカノジョ」だが、描かれる女性たちが、丁寧な描写で描かれていおり、生々しさすら感じさせられるのが、最大の見所である。
登場する女性たちは、「レンタル彼女」、「パパ活女子」、「整形中毒の女性」、「ホストにハマる女性」、「トー横キッズ」、「風俗嬢」など、いわゆる夜職・水商売と言われるような仕事をしている。
ただ、それはある一面から見た彼女たちの姿であって、普段は普通の女子大生として生活をするカノジョたちの日常も描かれている。
この二面性が、生々しいほどのリアリティを感じさせる。
女子大生が、なぜ、レンタル彼女のバイトをするのか。
女子大生が、なぜ、パパ活にのめり込むのか。
普通の女性が、なぜ、整形中毒に陥ったのか。
女子大生が、どのようにホストにハマっていくのか。
少女は、なぜ、トー横キッズになったのか。
登場人物の過去、心情の描写が丁寧であるがゆえに、「実際にこういう女性たちが世の中には大勢いるのかもしれない」と想像をくすぐられる。
実際に私が大学に通っていたときでも、ラウンジ嬢や、風俗、パパ活、AV女優として活動している女子大生はたしかにいた。
大学生としてのカノジョたちと、オトナな世界を生きるカノジョたち。
紛れもなく同一人物であるのだが、なぜカノジョたちはその道を選択したのか。
そして選択した末に何を思うのか。
「明日、私は誰かのカノジョ」を読むと、カノジョたちの心の中を少しだけ垣間見たような気になる。
そういった世界が実際にあるということを踏まえ、等身大のカノジョたちの姿を漫画として描き出す本作は社会学的であるとも言えるだろう。
社会勉強にもなるので、ぜひとも読んでほしい。