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さみしいという感情に気づいてしまうくらいなら、自分の気持ちになんて鈍感な方が良いのもしれない

私にしては珍しく人と会ったり、話したり、
関わりにいくことが多い最近だった。

そんな時間が過ぎ去ると、
部屋に一人ぼっちの静けさが訪れる

望まぬ来訪


さみしくなるのは、
一人じゃない喜びを知っているから。
一人じゃないことが、
さみしさの正反対にあると知ってしまったから。

さみしさを知る前にはもう戻れない



さみしいという感情は、見えにくい
怒りから手に力が入るとか、楽しくてつい口角が上がる、とかと違って
身体からメッセージが出にくいような気がする

私は気づいてしまった。
さみしいという言葉を外に放出してしまったから。
気づいてからは、食欲でさみしさに打ち勝とうとした、

その感情は、
いっそ言語化しないほうが自分の為なのかも

なんてね


自分を知ること、自分を観察すること
そうやって生き延びてきた、それを楽しんでいた私だったけど
気づく、
その途中経過はやっぱり苦しい場面もある
それを現在進行系で痛感中

真剣に向き合ったほうがいいとか、
目を逸らすなとか、
言うのはあまりにも簡単

だけど、真剣だからこそ痛みが伴う

したほうがいい、を感じられるまでには
成長痛を耐える期間があることを、お忘れなきよう
自戒も込めて。

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