いつもの廊下 第8話
眠りに落ちるとそこは天国だった。
中立。
そこには、不安も希望もなかった。
ただ、あの現実には戻りたくはない。
ここなら、安全。嫌な事は、何一つない。
ここにいたい・・
もう、ずっと、ここにいたい。
でも・・
違う・・
ここは、天国じゃなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ある春の日
昨日から妻の病室に泊まり込んでいる。
夫として妻の最後に立ち会うために・・
あの時改変された現実が、もとのシナリオに戻されている。
誰かが裏切った・・
そう思った。
すべての辻褄が合っていて依頼した僕本人でさえ
納得してしまいそうだ。
まるで、さっきまで覚えていた楽しい夢の記憶がたもてず・・
すぐに忘れてしまう、あの感覚。
AM8:30
お別れするから・・
起きて・・
そう言われた気がして、
目を覚ました僕は、何故かとてもすっきりとしていた。
すぐに目の前でおこってる状況に気がつく。
危篤
彼女の死を見送るのが役目だ。
間に合った。
目の前には、大好きな彼女(妻)がいた。
ドラマでもない限り、疲れ果てた僕がこのタイミングで目を覚ます事など無い。
タイミングは完璧。
やめてくれ。
痛いやろ。
妻が、体を起こした。
最後の力を振り絞ってるのがわかる。
ベットの横まで来た僕につかまった。
最後に手をつないでくれた。
口が動いているけど、聞こえないわ。
すごい血の匂いがする。
「ありがとう」僕
そんな言葉しか言えなかった。
でも、それしかない。
なみだ目で僕を見つめるだけの妻・・
わかってるよ。
お前の選択なんだろう。
そして、僕の・・
最後に何か話そうとした口から血があふれ出した。
もう胃も腸も破れている。
もうすぐ息が止まる。
ばいばい・・
その瞬間、
病院中を無邪気に、はだしで元気に走りまわる妻の姿が見えた。
お世話なった、みんなに、あいさつしてくるー♪
よかったね、
解放されたね、
よかったね、
よかったね、
よくがんばったねー
うれしいよ
ありがとうー
ありがとうー
またあえる・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・からね・
瞬きの間のひらめき。
僕たちの世界では、この気持ちを感じ取れる時間は儚くも短い。
はるのよのゆめ
掴んでも
握っていたくても
水のように手からこぼれおちる。
気がつかないときさえある。
永遠の瞬間
ただ、それは儚くて美しい・・
誰か泣いてる?
どこからともなく、おぞましい声がきこえる。
すぐに分かったよ。
泣き叫んでるのは僕だった!
自分でも聞いた事の無い唸り声が胸の奥から延々と湧き出てくる。
他人事のように、オオカミの遠吠えのように、
どんどん、どんどん
大人になって初めて、魂から泣き声をあげた。
みんな、びっくりした事だろう。
大の大人が、こんな大声を出して泣くんだから・・
止まらない
止まらない
はずかしいもくそもない
もう止められなかった。
獣の遠吠えのような泣き声は、もう、ずっと止まらなかった。
お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘
お‘‘お‘‘お‘‘
お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘お‘‘
あ‘あ‘あ‘あ‘あ
あうう
お‘‘お‘‘お‘‘
胸の奥から泣いた。
誰に止められて泣き止んだのかも・・
葬式が終わって
どうやって喪主をつとめたとか
あまりおぼえていない。
なんで・・
なんの手違いがあったんだ。
コートもセーターもブーツも、
お金も印鑑も、持ってきているのに・・
退院するんじゃなかったんかよ?
携帯に証拠のメールも残ってる・・
あいつらみんな嘘つきや・・・
もうどうでもええは・・・
なんでもええ・・
死にたい
そうや、おれも死んだらええねん。
もう、楽になろ
何回も何回も・・
屋上の角には何回も立った。
絶望した人が電車に吸い込まれそうにる気持ちも分かる。
でも。
それはさせて貰えないことが分かっていた。
僕らには、子どもがいたから・・
40%以上の確立で障害が残るらしい。
苦しい・・
まだ、呼吸するのを忘れる・・
やり方を思い出せない。
この息苦しさはいつまで続くんだろう。
天使がさったこの世界は、
色を失い、灰色で、すべてがうす暗くて・・
大嫌いだ。
もう声はとどかないもう声はとどかない
ひとり暗い廊下を歩く
ずっと
・・・・・・
何もかも、大嫌いだ!
つづく・・