"応援"を考えてみた。
お久しぶりのnote。ある人と話してて語りたくなった、
実はお久しぶりの期間、スレッズには色々書いてたんだよね。
と言うわけで久々に。
今日は"応援"について考えたいなぁと思う。
自分の行動以外は何事も、
そのヒトやコトを信じて応援することしかできないけれど、
自分以外の何かの可能性を"信じる"って
とっても自己中心的であり主観的であり押し付けがましいことでもある
と同時に、
とってもあったかいものだなぁ とも思う。
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。 しかしそれは考える葦である。」
とっても好きな言葉。
人間は自然の中における存在としては、か弱い。
ただ、思考する存在としては偉大だ。
考えることができるからこそ、想いがあるからこそ、
人間味があり、そこに価値があり、魅力がある。
みんな弱い弱い葦同士。周りを感じた上で思考できる葦でありたいと思う。
相手の想いを最大限汲み取って"信じ"たい。
自分のか弱さを、
周りを踏み躙ることで目を瞑るのではなく、
みんながか弱い葦である意識を。
自分が思考できる葦であるという自覚を。
そして、勝手な期待を込めた"信じる"ではなく純粋な応援の"信じる"を。
そして、自分以外の誰かの努力を
あたかも自分が正義かのように押し潰したくない とも思ってる。
客観的に見てたらもっといけたよーーと思ったとしても
いざ自分が同じ状況に直面したら出来ないなぁと思う。
そんなことにこの世の中は溢れていると思う。
素敵な名言で溢れているから以下たくさん載せてみる。↓
『人は、自分を愛せる量だけしか、他の人を愛せません。
そして、自分を愛せる量だけしか、他の人からも愛されません。』
これは誰かを応援するにしても何にしても同じことな気がする。
どこにいても応援ができて応援の度合いも立場も人それぞれ。
SNSに気軽に不平不満を書き込める、そんな時代に、こういう感覚って抜けてしまいがちな気がする。
そして
『結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる。』
とも言われる。
とにかく、
努力を続けて何かのプロになるって決断をした人
この道だと決めてその道に人生を賭けている人
それだけでまずそういう人たちをとっても尊敬していて、
何かを期待するのならその分自分も別の何かに全力でありたい。
青い炎のような姿・意識で、努力・行動し続ける。
これはずっと変わらない自分の軸。
燃え上がる炎のように誰が見ても熱いよねって言われるような人も素敵だけれど、
青い炎のように、見ようとする人には見えて、実は1番温度が高いみたいな、そんなうちに秘めた熱さを持つ人にも憧れる。
そして後者でありたいと思う。
正確には、両者を使い分けられるような人でありたいと思う。
とにかく、自分の中でめらめらと何かに燃え続けていたい。
その状態で初めて、全力の"応援"、"信じる"が出来る気がする。
また気が向いたら語るね。