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エニアグラムの「囚われ」とは何か

エニアグラムの囚われとは「“〇〇すれば大丈夫だ” という信条に従っていれば、欲求が満たせて、恐れに直面するはずなどない」というものだと考えている。

恐れに直面すると「私は〇〇していたはずなのに防げなかった」→「もっと〇〇しなくては」と信条を強める。
これが “囚われを強めること(不健全化)” になる。


各タイプの囚われ

タイプ1:正しいことをすれば、高潔でいられる。間違うのは、悪く堕落しよこしまで欠陥がある。
タイプ2:人から愛されその人たちと親しければ、愛される。自分のニーズがあるのは、愛されるにふさわしくない。
タイプ3:成功していて人からよく思われれば、価値ある存在である。自分なりの気持ちや自分らしさ(アイデンティティ)があるのは、自分に価値がなく、本来価値を持っていない。
タイプ4:自分に正直であれば、自分自身でいられる。うまく生きられたり幸せすぎるのは、アイデンティティや個人としての存在意義を持っていない。
タイプ5:何かに熟達したら、有能であれる。世界の中で心地よくいるのは、役に立たず無力で無能である。
タイプ6:期待されることをすれば、安全であれる。自分自身を信頼するのは、支えや導きを持たないことである。
タイプ7:必要なものを手に入れたら、幸福であれる。人に頼ると、必要なものを奪われ痛みから逃れられない。
タイプ8:強くて自分のいる状況をコントロールしていれば、自分自身を守れる。弱みがあったり人を信頼すると、他者に傷つけられ、コントロールされる。
タイプ9:周りの人が大丈夫なら、自分は平和でいられる。自己主張すると、喪失と分離し、消滅させられる。


このパターンが悪循環を引き起こしていることを理解し、自分にとって「こんな事したら恐れに直面してしまう」と感じることを実行して、その結果求めていたものが得られることを学習し、「自分は悪循環に囚われていたんだなぁ」ということに気づくのが『統合』だと考えている。

『統合』とは説明を読んで「確かにそれは不健全だし良くないよなー」と書かれている内容を鵜呑みにすることとは違い、「そんなはずないだろ」と感じる事を実行する必要性を理解する、という極めてハードレベルなことだ。
そのため、基本的に自分のタイプを読んだ時に「嫌な奴だなぁ」と感じることはないと考えている。例外として、自分の悪い所に気付き改善の結果を実感しているという “統合した人” なら過去の自分の過ちを理解しているという意味で「これは悪い」と感じるが、自分のタイプだからという理由で “自分の人生における成長” を免罪符にして特定のタイプ叩き(頑張った自分が偉くて、頑張らない他人を悪く言いたい)をしている人達はまず健全ではないと私は考えている。この場合、標的を作らないと精神状態が維持できないのは通常段階の一番下である段階6の『鉛の法則』に該当する。



まとめ

つまり、エニアグラムにおける『囚われ』とは悪循環のことを指す。

欲求→ 超自我の声(〜すれば大丈夫だ)→ 恐れ→ 受け取ったメッセージ(〜するのはよくない)→ 超自我の声(〜すれば大丈夫だ)→ 恐れ→ …
↑これを繰り返すうちに求めている結果から遠ざかっていくのが『囚われ』である。



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