あっ、そういう事か。タイプ1、4、9で迷っていたけど
私は以前4w3を自認していました。
さらに前は9w1を自認していました。
そしてその前には1w9を自認していました……
でもどれもしっくり来ないんです。
その時は「まさにこれだ!」と思ってしまうのですが、後で冷静になってみた時に「なんかここ違うよな〜」って所が出てくるんです。
通常時
私はタイプ4のように強く感情を揺さぶるものを求めています。「私には何も無い」と感じ、アイデンティティを作るきっかけとなるものを探しに行くのです。しかし、タイプ4のように常に物事の暗い側面に焦点を当てている訳ではありません。むしろ、悲観的になりながらも「何とかしてこの状況から逃れたい」と思っています。
私はタイプ9のようにギスギスした雰囲気が苦手です。物事を理想化して捉える傾向もあります。しかし、私は心の平穏のために自分のアイデンティティを無くしたいとは思いません。むしろ自分がいかに周りと違う特別な人であるかを表現したいのです。
私はタイプ1のように自分の中に「理想の世界」を持っています。それが実現できたらどれほど良いだろうかと思います。「誰もやらないのなら自分が行動しないと何も変わらない」という考えもあります。しかし私はルールに厳しい人ではなく、自分を律する気持ちも強くありません。
不健全時
私はタイプ4のように激しい負の感情を感じます。私はそれを理解されるために時には激しく訴えかけるでしょう。私は自分の大切なものを傷つける人に攻撃的になります。私は他人からの注目を求め、あらゆる人に嫉妬します。
私はタイプ9のように自分の中の醜い感情を忘れようとします。怒りや悲しみを感じながらもそれを取っ払いたい気持ちでいっぱいです。時には限界に達した9w8のように自分の邪魔をする対象に怒りをぶつける事もあります。でも基本的に周りを悲しいムードにしたくないので辛くても「大丈夫」と言って笑っています。
私はタイプ1のように自分の中の基準に反する人に対して批判的になります。私は自分を守るためにありとあらゆる欠点を突いて人々を非難します。私は自分の理想に反するもの全てが受け入れられなくなります。
その他の特徴
とにかく制限されるのが嫌いです。
好きなものを好きでいられて、自分のしたい表現をできるのが「個性的」です。
人の内面についての洞察をあまり持っていません。
頭の中に自分の理想の世界があり、それについて頻繁に空想します。
多くの人がタイプ9だと思うでしょう。(私は書いててそういう印象を受けた)
しかし、私とタイプ9の違いは「何もせず、何もアイデンティティがなく、何も表現できないのは地獄」だという事です。
何かして注目されたいんです。自分に正直であることを注目されたいのです。ここはスポットライトを避けるタイプ9との大きな違いです。
そこで私は考えました。
あれ……?私タイプ7じゃね……?と。
こんな記事を見つけました。(英語のサイト)
特に私に当てはまる部分を抜き出しました。
タイプ4、7、9の見分け方
タイプ7セクシャルは、タイプ4やタイプ9と同じく想像の世界を持っています。
タイプ4はそこで人生の意義を探し求め、タイプ9はそこで安心を求め、タイプ7はそこで楽しみを求めるという違いがあります。
これは創作にも現れているのではないかと思います。タイプ4の人の創作は人の心の動きに焦点を当てたものになります。タイプ9の人の創作は争いのないほのぼのした世界観になります。タイプ7の人の創作では様々な面白いイベントが巻き起こります。
そして何よりも大きな違いはタイプ4とタイプ9は遊離型であり、タイプ7は主張型です。タイプ4とタイプ9はその世界を自分の中に留めておきたいと思っていて(内向的)、タイプ7はそれを実現したいと思っています(外向的)。
セクシャルタイプ7が理想を理想のまま留めておくのは理想を実現するための苦労さえ避けたいからです。言ってしまえば、「願うだけで実現してほしい」と思っています。想像した事は何でも実現可能だと思っています。しかし、それをするためには多大な苦労が必要なことを分かっているので、やろうとしません。セクシャルタイプ7は低リスク高リターンを求めています。
セクシャルタイプ7は一瞬も苦しみたくありません。いかに自分が苦しまずに幸せになれるかについて考えます。その結果が「楽しい空想」になっているのです。
普通に生きているだけで苦しい
タイプ7が楽しさを追い求めるのは何も変化のない平凡な現実を恐れているからです。
それが見つからなかった場合、タイプ7は空虚感に陥ります。
「自分は何もする事がなく、退屈で、憂鬱だ。自分の中は空っぽだ。」
まるで自分が抜け殻であるかのように感じます。タイプ7にとっての内面の充実は外部の刺激によってもたらされるものなので、何も刺激を受けない状態が続くと虚無感に苛まれた宛もなく彷徨う亡霊のようになります。(タイプ9にとってはこの「何も感じない」状態は至福ですが、タイプ7にとっては大地獄です。)
「このまま何の変化もない日常の繰り返しを私は過ごさなければならないんだ……。」
そう感じた時、タイプ7は絶望します。
タイプ7には新しい面白い経験が必要です。つまり、 “普通に生きているだけではしんどい” タイプなんです。
タイプ7は「苦しみや悲しみを一切感じず、何でも楽観的に捉えることができる、人生を幸せに生きている人達だ。タイプ7になったら幸せになれる。」のようにしばしば誤解されます。
タイプ7はネガティブな感情を感じます。そしてそれから逃れるために没頭できる楽しいものを探しているのです。
タイプ7は常に「あれ楽しい、これも楽しい」と考えている人ではありません(相当健全でない限りは)。日常の中の楽しみを見つけることができるタイプですが、それだけでは足りません。いつかそれが楽しく感じられない時が来ます。
タイプ7であっても、どうしようもない逃げられない辛さを感じる事ができます。その時に、それを覆い隠す経験を探すために必死になります。
実は生きづらいタイプなのかも……
タイプ7は幸せそうに見えますが、内面では自分を楽しませるものを見つけるのに必死です。辛さを感じた時、「自分は大丈夫」と言い聞かせて、楽しめる事を探して、何とか笑っている事だってあります。それを「いつものんきで苦労を知らない」と捉えて、更なる負担を与えようとするとタイプ7はいずれ限界を迎えて病みます。
「今少し苦労してもいつかは報われる。幸せになれる。」という精神で努力ができるタイプなので、その「いつか」が永遠に来ないと確信した時、タイプ7は全ての努力を放棄して快楽主義に走ります(一生9−5ルーティンに縛られることに気付いて我慢の限界が来て登校拒否の後退学した私のように)。
楽しみや楽しめる可能性を守るために、自分を制限する全てのものに歯向かうようになります。
「誰も私のやることを止めようとするな!」となれば歯止めが効きません。極端にストレスを受けたタイプ7はいつもより衝動的になり、あらゆるものに依存します(暴飲暴食、ゲーム依存、スマホ依存など)。この時タイプ7を制限しようとすると、更に悪化することに繋がります。しばらくの間(1ヶ月〜半年ほど)放っておくと、タイプ7は気が変わって再び社会復帰に関心が向くようになります。タイプ7が一つのことに没頭して、その間に数々の可能性が奪われている、時間は止まらないと気付いた時にその “没頭” をやめ始めます。依存症のタイプ7に効果的なのは「やめなさい」ではなく他の健全な楽しいことを提案することです。
私は1年ほど前に絶望的な運命に気付いてあらゆる義務を放棄して快楽に走る状態でした。「人混みが怖い」「通学に疲れる」など様々な言い訳を探して登校拒否していました。それでも「自由を手に入れるためには金銭が必要だし、働かなければいけない」ということは理解していて自分の好きな事で稼げる方法をたくさん調べました。そして今はそれに向かってリハビリ(?)をしています。
タイプ7にとっては家事や通勤のルーティン自体が苦痛だと思います。職場に気楽に話せる友人が居るなどであればモチベーションになりますが、そういう楽しい目的が無ければかなり苦労します。
そういう意味で、タイプ7も「生きづらい」タイプなのではないかと思います。
結論
私がどのタイプであれ、私が生きづらいという事実は変えることはできない。