適当を身につけるには
さあ今日も書くぞー、と意気込んでパソコンを立ち上げるものの、一向に筆が進まない。断片的な言葉の端々が頭の中を駆け巡るばかり。エッセイを書きたいのに、そもそもエッセイのテーマが思いつかない。当然テーマがなければ、書けるものも書けないというわけだ。
ときどき無性に何かを書きたい、という衝動に駆られ、突然パソコンをカタカタと打ち始めることがある。そういうときは迷うこともなく、最後まで一息に書けてしまうのだけれど、反対にこれから書くぞ、とその姿勢を正して向き合うときには、たいてい何も書けなくなる。
気合を入れると上手くいかない、空回りする、というのは私にとってはよくあることで。とてつもなく運動音痴な私は、中学のテニスの授業で先生が打ったボールを打ち返そうとラケットを振り上げたと同時に、その重さに腕が耐えられず、気づけばラケットは私の背中側にポーンっと放り出されていた。ほかにもグローブをはめてのキャッチボールは、必ずボールのほんの少し手前でグローブを閉じて跳ね返してしまうし、バスケをすればシュートの跳ね返りのボールが見事に顔面に的中する。どれもふざけてたわけではない。いたって真面目、それはもう、本当に真面目にやっているのだ。両親は体育スクールに入れてくれたが、結果はなにも変わらなかった。
「適当」という言葉があるが、だらける適当は簡単にできるけれど、正しく適当にというのは案外難しい。ほどよく適当に向き合えればよいのだけれど、気づけば「だらだら適当に」あるいは「きっちり適当に」のどちらかになってしまう。
肩の力を抜いて「ほどよく適当に」を身に着けたとき、その瞬間、テニスだってバスケだって、ひょいひょいとやってのけられるのだろうか。エッセイだって、勝手に筆が走るようにスラスラと書けてしまうのだろうか。25歳になったいま、「ほどよく適当に」という新しい技を習得してみたいものだ。
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