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性格大改革
無性に心がむしゃくしゃしたり、どうにも納得がいかなくて虚しい言葉ばかりを頭がかけめぐるようなとき、決まってわたしは「性格大改革をしよう」と心に誓う。
はじめて性格大改革に巡り合ったのは、中学生のとき。クラスの雰囲気に巻き込まれ、なんとなくツンケンして尖っていた。いわゆる、思春期、反抗期。わたしの場合は親ではなく、その対象が学校の先生や自分の成績に向けられていた。
いまでもあまり変わっていないが、当時はとくに“良い成績を取る”ことにとてつもない喜びを覚えていたこともあり、とにかく勉強だけは必死にやっていた。だけれども、多かれ少なかれ反抗期というものは誰にでもやってくるらしく、わたしも例に漏れずあるときから反抗期を発症した。
授業を真面目に受けているふりをして、まったく違う科目の勉強をしてみたり、先生に怒られるたびに納得のいかない反抗的な顔をしてみたり。派手なことができるほどの度量はなかったのでせいぜいこの程度だが、このあとわたしは思い切り痛い目を見る。
ある学期末のとき、いつもどおり成績表が渡されると、どういうわけか試験で良い点数を取っていたはずの科目が5段階評価の5がついていない。試験の結果からは絶対に5以外ありえないと言い切れるはずだったのに、いったいなぜ“4”なのか。
案の定、先生に反抗した罰を受けたというに過ぎないのだが、良い成績を取るということに固執していたわたしにとって、これは衝撃的な出来事となってしまった。そして母から一言「反抗するだけいいことないよ」と。本当にそのとおり。そしてこの日を堺にわたしの短い反抗期は幕を下ろした。
それからというもの、なにかにつけうまく行かないことが続いていたり、口に出すことをはばかれるような刺々しい言葉が頭から離れなくなったときには、必ずこの日のことを思い出すようになった。
これを性格大改革と称したのは高校の下校途中だったが、「性格大改革をするぞ」と自分に言い聞かせることで、なにかとすべてが好転していくような気がする。やはり言霊というのは本当にあるのだろうか。
性格大改革と大それた名前をつけてしまったが、やることはそんな大したこともない。ただしばらくの間、意識的に良い言葉を使うように心がけ、口に出さない頭の中だけでつぶやくようなときにもそれを徹底する。たったこれだけ。それでも数日経って朝鏡を覗くと、なんとなく表情も穏やかに落ち着いており、それを見て「今回も成功したな」と自分に5の評価を与えられるのだ。
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