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短篇小説「ジャックの大冒険」

 暇でたまらなくなったジャックは、一目散に外へ飛び出しました。外はいいお天気。こんなところへ閉じ込められてたまるものか、といった具合にです。
 彼は青いビロードの小さなチョッキを羽織り、前のボタンをきっちりと留めていました。少々ぽっこりとしたお腹を持っていましたが、エミリーが新しいものをこしらえてくれたので、問題ありません。
 たったひとりで外へ出るなんて、いつぶりでしょうか。あれは大きな車の荷台に乗せられたとき、あれはロバートおじさんに連れられて行ったとき、あれはエミリーとお散歩をしたとき…。何ということでしょう!ジャックはいままで一度たりともひとりで外を歩いたことがなかったのです。そのことに気づいたジャックは、ますます楽しくなってきました。
「もっと楽しい場所はきっとあるはずだ。よし、それを見つけてエミリーをあっと驚かせるんだ」

 ジャックは意気揚々と町を歩き始めました。しかし進めど進めど、景色が一向に変わりません。周囲から人々の声や車の走る音が聞こえるのに、ジャックの目に映るのは、ずっと灰色の地面ばかり。右を見ても、左を見ても、そこには灰色の地面と、一定のテンポで動き去っていく大きな塊だけです。その塊は、ジャックの姿が見えていないのか、ときおり頭の上から降ってきて、踏みつぶされそうになります。ジャックは町を楽しむどころか、人間の足を避けることで精一杯です。それでも、ジャックにとってこれは初めての経験。だんだんと楽しくなってきました。

 しばらく歩いていると、人間の足が少なくなってきました。ジャックは知らぬ間に、路地裏へと入っていたのです。頭の上から降ってくる足がなくなると、また次の楽しみを見つけなければなりません。相変わらず目の前には灰色の地面ばかり。これではなにも面白くありません。どこへ行けば楽しいことが待っているのでしょうか。
 ジャックはすっかり疲れてしまいました。ここまで人間の足を避けるために、走ったり転がったり、いろんなことをしてきたのですから。ジャックは道のはずれの草むらに座り込み、休憩をすることにしました。
「こんなことでへこたれる僕じゃないぞ。このまま帰ったって、あそこは暇でたまらないんだ。足が擦りむけたって、いまのほうがよっぽどいいや」

 なにか冷たいものが当たりました。ずいぶんとベタベタにされているようです。ジャックが眠たい目をこすり開けると、おやまあ、びっくり。見たこともない大きな動物がいるではありませんか。それは大きな口を開けて、長い舌を垂らし、ジャックの顔中を舐め回していました。
「あれまあ、こんなところにかわいいぬいぐるみがあるじゃないの。少しばかり汚れが目立つけれど、このくらいは洗えばなんとかなるわね。キャシー、今日はこれを持って帰りましょうか」
 するとジャックは首元をむんずと捕まえられ、宙ぶらりんになりました。
「なんだよ、おろしてくれよ!」
足をバタつかせても、なんの効果もありません。
「そんなに騒がないでちょうだい。落としちゃうじゃないの」
「いったい君は誰なんだ?こんなふうに僕を咥えるだなんて、ひどいじゃないか」
ひとしきり騒いでみますが、やはり無駄なようです。
「キャンキャンうるさいわね。わたしはキャシーよ。このマーガレット夫人の飼い犬。そしていまは散歩中。そこでぬいぐるみのあんたを見つけたってわけ。同じ犬でもあんたはぬいぐるみなんだから、わたしに噛まれて当然なの」
そう言うとキャシーはさらに強く、ジャックを咥え、満足気に歩き始めました。ジャックは首元がヒリヒリしてたまりません。頭を揺さぶられ、足はぶらんぶらん。重心が定まらず、景色はぐわんぐわんに歪むばかり。けれど、ジャックは楽しむ天才かもしれません。しだいにこの歪んだ景色も面白くなっていきました。そして何より自分の足で歩かなくて良いというのは、ずいぶんと楽なものでした。

 キャシーは大きな犬でしたので、ジャックはこれまでとは違う高さで町を見ることができました。今度は、だらんと降ろされた人間の手の辺り。左右を見渡すと、何やらカラフルな壁がたくさん見えてきました。
「ねえねえ、あれはなあに?あっちにも!それからこっちにも!」
ジャックは興奮気味でたずねます。
「あら、そんなものも知らなくって?あんたはいったいどこからやって来たのかしら。ここ一体はありとあらゆるブランドの立ち並ぶ、素晴らしい街だというのに」
「ブランド?」
「そうよ、マーガレット夫人をご覧なさい。素敵な革のバッグをお持ちでしょう?それからこの私につけられたリードだって、とうていあなたには買えないでしょうね」
キャシーは自慢げに答えました。けれど、キャシーでさえ、マーガレット夫人の服まではしっかりと見えていないのです。

 その後もジャックはキャシーに咥えられたまま、カラフルな壁を見て回りました。けれどやはり、どこか暇でたまりません。ジャックは、なにかもっと特別なものを探さなくてはならないようです。
「あら、キャシー。あなたいつまでそんな汚らしいぬいぐるみを咥えているの?早く離しなさい」
突然、マーガレット夫人がキャシーの口からジャックを取り上げました。持って帰りましょうか、なんて言ったことは覚えていないのでしょう。ジャックはキャシーにお別れを言う間もなく、道端へ放り出されました。

「やれやれ、まいったなあ。足もボロボロ、首もボロボロなんて、まったくひどいありさまじゃないか」
ジャックはふたたび歩き始めました。目の前には灰色の地面。頭の上からは人間の足。振り出しに戻ってしまいました。本当はどこか休める場所がほしかったのです。けれど、こんな人通りの多い場所へ連れてこられてしまっては、立ち止まることも許されません。ジャックはひたすら歩き続けました。そしてとうとう、歩けなくなってしまいました。足に穴が開き、足に入っていた綿がすべて抜け落ちてしまったのです。
 うつ伏せに転んだジャックは、ショーウィンドウに映った自分の姿を見て、とても悲しくなりました。そして、エミリーを懐かしく思いました。 

 エミリーはそれはそれはジャックのことを大事にしてくれたものです。ジャックはエミリーの一歳の誕生日プレゼント。どこへ行くにもいつも一緒でした。たくさんおままごともしました。どろんこ遊びをして、一緒にお母さんに怒られました。どれもいい思い出です。
 けれど、エミリーが大きくなるにつれ、彼女はジャックとは遊ばなくなり、学校の友達やボーイフレンドと遊ぶようになりました。そしてある日、ジャックは家の物置部屋にしまわれてしまったのです。
「エミリーが見たら、どんなに悲しむだろうか。いや、もしかしたらもう僕のことなんてすっかり忘れているかもしれない。そうだ、間違いない」
 暇を持て余し、楽しい場所を求めて家を飛び出してきたジャック。こんな悲しい結末があるでしょうか。ジャックは、誰に拾われるでもなく、ただ地面に這いつくばることしかできません。どうにかして、動く二つの腕を使って道の端の方へ移動することができました。ここであれば、人間の足に踏みつぶされる心配はありません。けれど、ジャックには家へ帰るすべはないのです。

 明くる日の朝、ジャックはさんさんと降り注ぐ太陽の眩しさによって目を覚ましました。ふかふかのベッドに、温かい毛布、それにホットミルクまで用意されています。ジャックは眠たい目をこすりながら、冒険の終わりを思い出しました。
「きっとここが、エミリーの言っていた天国に違いない。やっぱりもうエミリーは僕のことなんて忘れてしまったんだ」
 そこへ誰かが走ってやってきました。荒々しくドアが開けられたかと思うと、二本の腕がジャックを思いきり抱きしめました。
「ジャック!ごめんなさい。あなたを忘れたわけじゃなくってよ。ああ、よかった!本当によかった!」
その声は懐かしく、温かいものでした。ジャックが求めていたのはこれだったのです。エミリーのぬくもりに包まれたジャックは、もう二度と家出はしないぞと強く誓ったのでありました。


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