短編小説「婦人とワンピース」
シャルブーヌ通りには、それはそれはたいへん人気のある服屋がありました。ガラスのショーウィンドウには水玉模様のワンピースが飾られており、あまりの可愛らしさにうっとりしてしまうほど。
そんなショーウィンドウを、毎日アパートの窓から眺めている者がおりました。そのアパートは服屋の斜向かいにあり、ショーウィンドウがよく見える位置にあったのです。
「いつか私もあんな素敵な服に身を包んでみたいわ」
毎日ショーウィンドウを眺めていたのは、エレナという少女でした。
エレナはこのアパートに暮らしながら、掃除婦として働いていました。その仕事は町を綺麗に保つためにとても欠かせないものでしたが、一方で、賃金も低く、彼女は綺麗に身なりを整えることができませんでした。それでもエレナはいつか、いつかその日が来たらと、毎日ショーウィンドウを見ては、自分を奮い立たせるのでした。
ある晴れた日のこと、ひとりの少女が勇気を振り絞って、服屋を訪ねました。
「あそこに飾ってあるワンピースを、私に売ってくれませんか」
彼女が恐る恐る尋ねると、店主が顔をあげました。丸眼鏡をかけ、恰幅のいいその婦人の姿は、やせ細った少女とは正反対。婦人は彼女を一目見るなりこう言い放ちました。
「そんなみすぼらしい人に売れるものはここにはありませんよ」
「ありったけのお金を掻き集めてきたのです。どうか、どうか売ってくれませんか」
エレナが懸命に頭を下げる中、婦人はツカツカとヒールを鳴らしながら彼女の横を通り過ぎたのです!
「さあ、お帰りなさい。ここは遊び場じゃないのよ」
そう言うと、婦人はエレナを店からつまみ出してしまいました。
エレナは悲しくて仕方がありません。毎日、毎日、このワンピースが着れる日を夢見ていたのですから。けれど、不運というのはどうしてこうも続くのでしょうか。
お金を握りしめたまま追い出されたエレナは、勢いあまって向かいから来ていた、これまた恰幅のいい、いかにもお金持ちそうな風貌の夫人とぶつかってしまいました。
「あらやだ!汚い虫ね!」
そう言うなり、夫人は先程の服屋に入って行きました。可哀想なエレナはというと、道端に突っ伏して泣いてしまいました。夫人とぶつかった拍子に、握りしめていたお金のすべてが飛んでいってしまったのです!
ああ、なんて可哀想なエレナ!懸命に働いて貯めたお金は、すべて排水口の中。もう取り出すこともできません。彼女はワンピースを買うために、お金になりそうなものもすべて売ってしまっていました。そう、これで彼女は一文無しになってしまったのです。
アパートの家賃も払えなくなり、エレナは彷徨い歩くほかありませんでした。とはいえ、頼れる先も、行くあてもありません。夜になると冷たい風が吹き荒れる中、公園のベンチで体を丸めて眠りにつくのです。エレナはますますひどい格好になり、すっかり体力も落ちてしまいました。ところが彼女と同じ掃除婦たちは「あなたと一緒に働いていたら、もっと貧乏になってしまうわ」と言い、彼女から仕事までも奪ってしまいました。
そんな惨めな生活がどれほど続いたでしょうか、ある日、エレナが目を覚ますと、そこには風も雨もありません。
「おやおや、やっと目が覚めたかい。これでも飲んで温まりなさい」
彼女の前に立っていたのは、とても優しい顔をしたおばあさんでした。おばあさんは、白髪だらけで顔も手も皺だらけでしたが、腰はしゃんとし、手入れのされた綺麗な服に見を包んでいました。
「ずいぶんと辛い目にあったようだねえ。ああ、あんたが寝言で色々と喋ってくれたものだから」
何が起こっているのか理解するよりも先に、エレナはスープを飲み干してしまいました。それほどまでにお腹をすかせ、そして体は冷えきっていたのです。
「あの……」
「何も言う必要はないよ、あんたが私の孫と同じくらいの歳だったから、情が移っただけさ」
そう言うと、おばあさんはこっちへ来なさいとでも言うように、エレナを別の部屋へと手招きしました。
「これからこの部屋はあんたのものだよ。ここにある服も、自由に着ていいんだからね。何も遠慮なんていらないよ」
なんということでしょう。そこには、これまでどれほど願っても着られなかったような、美しくて可愛らしい服がたくさん用意されていたのです。エレナは嬉しさのあまり、つい、おばあさんに抱きついてしまいました。
「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます!」
それからというもの、エレナはおばあさんのために家事に掃除にと、たいへんよく働きました。そしておばあさんもエレナのことを、実の孫のようにたいへん大事にしてくれました。
毎日髪には櫛を入れ、素敵な衣装に見を包むようになったエレナは立派に淑女に成長しました。もう誰も、あのみすぼらしく可哀想な少女だとは気づくはずもありません。
一方、あの婦人の服屋はと言いますと、エレナを追い出した一件が噂に広まってしまい、いまではほとんど誰も買いに来なくなってしまいました。婦人はあたふたと店の前を行ったり来たりしながら、手当り次第声をかけていました。自分の手掛けた服を着て、町中を練り歩くことで広告塔になってくれる人を探していたのです。
「あら、ずいぶんと綺麗なお嬢さんね。こちら一着いかがかしら。このワンピースを着て町中を歩いてくださらないこと?」
「ええ、構いませんよ。素敵なワンピースが着られて私も嬉しくってよ」
エレナがワンピースを着ておばあさんの待つ家へ帰ると、おばあさんは目を見開いて尋ねました。
「エレナや、そのワンピースはあの服屋のものじゃないか!どうしたってあそこの店のものを着るのかね」
するとエレナは優しく微笑みながら、こう言ったのです。
「困っている人には手を差し伸べておやりと、教えてくださったのはおばあさまでしょう?」
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