
短篇小説「エンジェルの花配り」
エンジェルの仕事は、花を配り歩くことでした。一軒一軒、家を周り、一輪あるいは花束を届けていきました。その村や町に住む人々の様子をくまなく観察し、誰にどの花を届けるのかを選定するのもまた、エンジェルの大事な仕事の一つでありました。
エンジェルがこの村にやって来たのは、つい一週間ほど前。ひとつ前の町での花配りを終え、次はこの村へ行くようにと指令を預かったところでした。これまでにあらゆる地域で花配りをしてきたエンジェルにとって、配置換えは特別難しいことでもなんでもありません。誰も知らないところへ行くというのは、これまた新たな人間観察が始まるということで、心踊るものでもありました。
花配りの日は、七日に一遍。エンジェルの仕事は夕日が闇に溶け込んだ時分から始まります。エンジェルは陽の光に当たることができないらしいのです。当の本人も、本当のことは知りません。だって、誰だって「陽に当たるとあなたの体は燃え上がるのです」なんて聞かされていたら、恐ろしさが勝ってしまって、本当かしらと首を傾げながら悠々と太陽の目の前に体を晒すなんて愚かな真似はしないでしょう。エンジェルも同じ気持ちでしたから、限りなく太陽が沈んでから、活動を開始するように心がけておりました。
スプリングと呼ばれるこの時期、この村ではおおよそセブンを超えると完全に陽が沈んでおりました。こそっと部屋のカーテンを開け、太陽が顔を隠したことを確認すると、エンジェルはいそいそと部屋を出て裏庭へと向かいます。そこから続くうっそうと生い茂る森の中から、花配りに適した花を摘んで回るというのが、この仕事の始まりです。エンジェルは暗い中でもはっきりと色を見極められるほど暗所に適した瞳を持っていますから、森の中での花探しは全く大変ではありません。
ひと通り花を見つけ出すと、それらをカゴに詰め、村中の家々を一軒ずつ周り歩きます。この村では陽が沈むと同時に人々は一日の活動を終える、という生活がなされていましたから、エンジェルが練り歩く頃には、村を歩き回る者は一人もおりませんでした。ほとんどの家の明かりも消え、村が暗闇に溶け込む中、エンジェルはひとつひとつの家の扉に、あるいは庭先に花を置いてまわりました。
村をぐるっと一周する頃には、カゴの中身もすっかり空っぽです。エンジェルは練り歩いて疲れ果てた体を休めたい気持ちをぐっと堪え、ふたたび森へと歩みを進めていきます。また次の花配りの日までに美しい花がふたたび咲くようにと、森に水をまいて歩きます。これが花配りの日の最後の仕事です。
気づけばそろそろ太陽が顔を出そうともぞもぞと動き始めています。エンジェルは最後の一仕事を終えると、陽が昇るギリギリまで森の真ん中で寝転がり、大きく体を伸ばしながら疲れを癒していきます。耳を澄ましていると、小鳥たちのさえずりが聞こえてくるようになります。これはエンジェルにとって、何にも変え難い大切な時間でありました。森の中でゆっくりと呼吸を整えていると、これまで花配りをしてきた場所やそこでの出来事が頭の中を駆け巡るのです。
ある村ではそれはそれはとても貧しい人々が暮らしていました。そこでの花配りは人々にとって恩恵になることはありませんでした。それでも彼らは毎度毎度、エンジェルに頭を下げ、美しい花を見ていると飢えた心が潤うようだと喜びを見せました。
またある町には、それはそれは煌びやかで、黄金色に光り輝く建物がずらりと並んでおりました。そこでの花配りは人々に見向きもされず、夜中届け歩いた花々は、翌朝、無惨な姿で町中に散らばり、人々に踏まれるような有様でした。この町では花よりも金が物言う世界でありました。人間という生き物は、住む世界によってこれほどまでに変貌するものなのかとエンジェルは驚きを隠せませんでした。
今回の村は一体どんな人間が暮らしているのでしょう。エンジェルは貧富も争いごとも、花では解決できないことを知っています。人間がどれほど欲深く、プライドの高い生き物なのかも学びました。それでもエンジェルは今日も花配りを続けます。それはまた、彼女にとってもこれが仕事であり、指令に逆らえば二度とこの世界では暮らしてゆけなくなることを、頭のどこかでわかっているからなのでしょうか。
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