短編小説「消える薬」
「ブランディー、おいで」
彼専用に作った、小さな木製ブランコを乗り継いで、こちらへやってくる。ブランディーは、自慢のリスの頬袋いっぱいにクルミを溜め込みながら、飼い主であるナンシーに頭を撫でてくれるよう要求した。
この家にはあらゆる動物が住んでいる。リスのブランディーはもちろん、猫や犬、インコ、馬、ヤギ、豚…とにかくたくさんいるのだ。彼らはすべてこの家の主(あるじ)、ナンシーのペットであり、どういうわけか彼女は彼ら動物たちと会話ができた。それは通じ合えるとか、そんなものじゃない。人間と会話するように言葉を使って意思疎通を図れるのだ。ちなみに主(あるじ)と言っても、彼女はたったの8歳。父親であるジョージが甘やかしすぎた結果、ナンシーの言うことがこの家では絶対、ということになったのだ。
そうそう、もう一つこの家について大事な話があった。ナンシー・ガールベルト、これが彼女の名前なわけだが、ガールベルト家には大きな秘密がある。ガールベルト家、それは代々続く、魔法使いの一家なのだ。魔法使いと言っても、かの有名な魔法学校に通う少年の住む世界のように、それ相応の学校があるわけでも、誰かが懇切丁寧に魔法を教えてくれるわけでもない。ただ、彼ら一家は代々魔法使いの家で、ナンシーも同様にその血を引いている、というだけだ。
そんなナンシーには、ひとつの小さな夢があった。それは父・ジョージをあっと驚かせる魔法を使うこと。ナンシーはそれはそれはわがまま女王さまであったが、魔法はまだまだ未熟で、それらを完璧に使いこなすジョージを心の底から尊敬していた。いつの日か、ジョージを超える“大物魔女”になることが、彼女の大きな夢だった。そのための日々魔法の訓練は欠かせない。
現在の彼女の得意分野は、動物と会話をすること、そして天気を操ることのふたつ。つまり、このふたつを披露したところで、いまさらジョージは何も驚かないというわけだ。これら以外の、そしてちょっと手のこんだ魔法を用意しなければ。
「ブランディー、わたしやってみたいことがあるのだけど、ちょっと手を貸してくれないかしら」
ナンシーはブランディーの要求に応えるべく彼の頭を撫でながら言った。
「やってみたいこと?それはゾクゾクするようなこと?」
「ええ、もちろん。体中がゾクゾクして、身も心も踊りだしちゃうかも」
ブランディーの目が、きらりと光った。
「そういうことなら、なんでも歓迎!ゾクゾク、ハラハラ、ドキドキ、大好物さ!」
「そうこなくっちゃ!」
ナンシーはブランディーを片手に乗せ、大木からぴょんと飛び降りると、「ナンシーの魔法製作室」まで駆けて行った。その様子を傍から見ていたらしいほかの動物たちも、彼女のあとを追いかける。なんだ、なんだと、がやがや喋りながら呑気についてくる。ナンシーの魔法のはじまりはだいたいいつもこんな感じだ。
「いい?みんなよく聞いて。わたし、これからある薬を作ってみようと思うの」
「薬だって?」
彼女が魔法製作室と呼ぶこの部屋は、とても古めかしく、かつてジョージが庭の手入れをするための倉庫として使っていたらしい。倉庫を譲り受けたナンシーは、ここを秘密の魔法を作り出す場所として改造し、壁際には大きな本棚を、中央には一枚板のテーブルと魔女の大釜を構えた。
ナンシーは自分の背よりはるかに大きな本棚から一冊の古びた分厚い本を取り出し、よたよたと抱えながら、一枚板の机の上にどさりと置いた。
「そうよ、これが作れたら、絶対にパパを驚かせることができるわ!」
興奮するナンシーの横で、インコのパーチが羽をバタバタとはためかせ、がらがら声を響かせる。
「で、なにを作るんだい?」
「これよ」
ナンシーはまたまたどさりと音を立てて、大きな本を開いた。彼女の指差すところには、“medicine”の文字。
「たしかこのへんに…あったわ。これがなにかわかる?この薬はね、ただの薬じゃないのよ。ここを見て…
『消える薬』
この薬を飲むものは、瞬時にその姿を消すことができる。なにか物を壊してしまったり、なくしてしまったとき、やらねばならぬ物事から逃げ出したいとき、誰にも怒られることなくその身を隠すことができるだろう」
「すごい、すごい!こんな魔法みたいな薬が存在するなんて!」
「だって魔法だもの。さあさあ、ナンシー、続きを読んで」
少しばかり頭の弱い、豚のジニーをブランディーがなだめる。ナンシーは小さく咳払いをすると、ふたたび本へと視線を戻した。
「『この薬を作るにあたって』…うーん、こういうのは難しくて読みたくないわ。それにずいぶんと長いのね。早く作らないとパパが帰ってきちゃう」
「そういうのは後から確認したっていいのさ」
口を開いた馬のハンナを見ると、自慢の美しい白い尾をひらひらと揺らめかせながら、じっとこちらを見つめている。
「そうよね、わたしもそう思ってたの!」
興奮しながらナンシーは、次の項目までパラパラとページをめくっていった。
「ああ、もう…一体どこまで続いているの?…あった!やっとだわ、これで薬作りを始められる!」
ナンシーの開いたページには、中央に『消える薬の作り方』の文字だけが書いてある。その周りを彼女がスーッと指で3回円を描くと、インクが滲みだし、一瞬のうちにそのページは真っ黒い文字で埋め尽くされた。ジニーがふたたび、すごい、すごいとその様子に興奮していた。
『消える薬の作り方
この薬を作るのに、難しいことはなにもない。手順通りに進めていくだけ。ただし、集中すること。途中で邪魔が入ったり、別のことを考えたり、少しでも気を逸らすと、薬はあっという間に調子が狂う。必ず、次のとおりに行うこと。』
ところどころに湧いたインクの染みが、この薬に不気味さを加える。ナンシーは先へ先へという高揚感とともに、ちょっとした恐怖を覚えていた。もちろんそんな姿は微塵も出さないが。
『①まずはじめに、ありったけのシダ植物を用意する
魔法使いの家ならば、間違いなく庭にシダ植物があるでしょう。くまなく探しだし、すぐに使えるように一度水にさらしておくこと。
②ある薬品に一時間つけておく
ここで扱う薬品については、さらに厳重な注意を必要とする。詳細はポール・アンドレアス著『薬品の生態について―第三章 薬品は生き物である―』を参照すること。
(ポールはとにかく自分の本を買ってほしかったのね!)
③シダ植物を乾燥させる
ここではしっかりと乾燥させることが重要。少しでも水分が残っていると、薬品の効能を発揮しきれず、失敗に終わる可能性がある。ちなみに、失敗した場合、薬を飲んだその身に何が起こるかは証明されていないので要注意。
④細かく刻む
とにかくこれ以上ないくらいに、細かく刻むこと。ここで植物から紫色の液体が滲み出てくるようであれば、それは上手くいっている証拠だ。逆に何も出てこない、あるいは緑色の液体が出てきた場合は失敗している。もう一度、新しくシダ植物を集めるところから始めなさい。
※刻む…切る、割く、潰すなど、あらゆる方法を試すこと
⑤新しくバラを用意し、刻んだ植物とともに熱する
ここで新しくバラを用意しなさい。刻んだ植物はあっという間に使い物にならなくなってしまうので、早めにバラを用意しておくこと。
そして、バラの鮮やかな赤色に液体が染まったら、完成。
あとはそっとグラスに注いで一気に飲み干すだけ』
そして下の方によく目を凝らさなければ見のがしてしまうほどの小さな文字で、“注意事項については、冒頭の『この薬を作るにあたって』を熟読すること”と書かれていた。
ナンシーとブランディーは、せっせこ鍋やらグラスやら大きなスプーンやら、必要そうなものを準備し始めた。その間中ジニーは、魔法製作室に迷い込んできた、ピンクの可愛らしい蝶に目をくらませ、ブーブーと鼻を鳴らしながら追いかけ回していた。
「ほら、みんな早速取り掛かるわよ!まずはシダ植物をたくさん用意しなくっちゃ」
そう言うと、ナンシーは駆け足で部屋を飛び出し、裏庭へと進んでいった。古い倉庫の扉は立て付けが悪く、ナンシーの力強い扉の開閉に、ギーッと悲鳴をあげた。
「シダ植物ってなあに?」とジニー。
とうとうピンクの蝶と仲良くなったらしく、ジニーの横をひらひらと舞っている。
「根と茎と葉でできた植物さ。これなんかそうじゃない?」
そう言うと、ハンナは足元にあったゼンマイを優雅に抜き取った。美しい毛並みに日差しがキラキラと反射する。
「あとは花も咲かせないらしいね」呑気に一番うしろから付いてきていたパーチが言う。羽をバタつかせ、あまり綺麗な飛び方ではないけれど。
「みんな、早く集めてちょうだい。パパが帰ってきちゃうわ!」
彼らは庭中を走り回り、ありったけのシダ植物をかき集めた。もちろん、いや、やっぱりジニーはピンクの蝶と追いかけっこをしていたに過ぎなかったが。
「ああ、やっと帰ってきたんだね。もうみんな遅いから先に薬品を作ってしまったよ」と誇らしげにそう告げたのは、ブランディー。ついさっきまでナンシーと一緒にいたかと思えば、ぐんぐん先へと進み、さっさと魔法製作室に戻り、一人で薬品まで作り上げてしまうのだから、これはもう一人前の魔法使い。
「ほんとにあんたってのは、せっかちなんだねえ」とつぶやいたパーチの声なんて、彼の耳には届かない。なんていったって、彼は立派な魔法使いなのだから!
「さすがね、ブランディー!やっぱり私が見込んだだけのことはあるわ!」とナンシー。
せっせこ、せっせこと、摘んできたシダ植物を薬品に付けてゆく。ここからさらに一時間も待たなければいけないのだから、暇で仕方がない。はじめこそでき上がる薬への期待感に満ち溢れた会話を繰り広げていた彼らも、さすがに時間を持て余しはじめた。いつまで経っても楽しそうなのは、ジニー、ただ一匹だ。
「そろそろ一時間たった頃かな」
そうつぶやきながら颯爽と部屋へ戻ってきたのは、ハンナとパーチ。彼らは後に使うバラを摘むという重大任務を遂行していた。
「やっとだよ!もう、暇すぎてこのままダラっと体が溶けちゃうかと思った!」そう言いながらも軽い身のこなしでピョンと飛び上がったブランディーは、誰よりも早く次の工程に取り掛かった。
「次は簡単だね、ほら、ナンシー任せたよ」
一枚板のテーブルにずらりと並べられたシダ植物を前に、ナンシーは手のひらを上に向け、フーっと右から左へそっと息を吹きかけた。
するとナンシーの吹きかけた息がキラキラと光はじめた。植物の上を浮遊し、そして停止する。彼女が手をくるっと回し甲を上に向けた。と同時にそれらには一気に棘が生え、急旋回し、机に突き刺さる勢いで植物へ突進し、そして消え去った。
「うん、いい感じ。今日のはカンペキね」
これもナンシーの得意な魔法の一つ。一度すべてのものを凍らせ、一気にその氷を剥ぐ。そうすれば簡単に乾いてしまうというわけだ。しかしこの魔法一つうまくできたからと言って、彼女に休んでいる暇などない。
棚からひとつナイフを取り出すと、ナンシーは端から順に植物を刻み始めた。
「こういうものこそ魔法を使わなくっちゃ、じゃない?」
ノコノコと呑気にナンシーの横へやって来たジニーが口を挟む。
「それは……!」ナンシーは顔を真っ赤にした。まだできない、だなんて決して言いたくないのだ。そんなことはプライドが許さない。
「いずれ見せてくれるようになるさ、気長に待つことだね」
こういうときは、一番大人なハンナが役に立つ。
自信を失いそうになりながらも、シダ植物をすべて刻み終えたナンシーは、とうとう最後の工程に入った。急いでバラと混ぜ合わせる、となればここはやっぱり彼の出番。
「ブランディー、大急ぎでバラを持ってきてちょうだい!」
「もちろん!任せて!」小さな体に、ちょこんとくっついただけの大きな尻尾がいまにも落っこちそうなくらい、すばしっこく走り回り、部屋に無造作に置かれたバラたちをナンシーのもとへ持って行く。
「みんな、いい?これが最後よ」
全員が大釜を覗き込む中、ナンシーが刻んだシダ植物とバラを一斉に放り込んだ。一気に煙が舞い上がったかと思えば、次の瞬間、そこには鮮やかな赤色に染まった液体だけが残っていた。
「やっと完成ね」と噛み締めたように告げるのは、ジニー。もう誰も、なにも、言わない。
残るはコップに注いで飲む、それだけ。棚からたった一つコップを取り出してきたナンシーは、ゆっくりとできあがった薬を注ぎ始めた。
「ちゃんと見張っててちょうだいね!わたしに何かあったら助けてもらわなくちゃ」
「え、僕は飲んじゃいけないの?」と目をまん丸くしたのはブランディー。
「そうさ、一人で作ったわけじゃないんだから」と尻尾をはためかせるのはハンナ。
「この判断は間違ってるね」と頭上を飛び回るのはパーチ。
ナンシーはすっかり彼らの圧にやられてしまった。本当であれば一人で飲んで、一人で優越感に浸りたかったのに。
「ああ、もう。そうね、わたしが間違ってた、あなたたちはそういう子たちね!」
全員分のコップを用意し、それぞれに薬を注ぎ込む。並々と注がれた薬は、とうてい美味しそうには見えない。ドロっと重たげな液体で、鮮やかな赤色が少しばかり鮮血を想像させる。
「みんな、準備はいい?イチ、ニ、サンで行くわよ…」
「イチ…ニ…サン…!」
静寂を破ったのは砕け散るコップの音。
「大丈夫…?わたしの声、聞こえてる?」
「はあ…はあ…はあ…なんなんだこれは!こんなにまずいなんて!」
「薬は仕方がないのさ、あの見た目で美味しいジュースとでも思ってたの?」
「ところで、これはどうやったら元の姿に戻るんだい?」
思い思いに話しかけるも、誰がどこにいるのかさっぱりわからない。薬は成功、彼らはすっかりきっぱり、消えてしまったのだ!
けれども忘れてはいけない。この薬の最大の欠点を。
『この薬を作るにあたって
消える薬、それは最大の発見であり、素晴らしい発明としてポール・アンドレアスには賞が送られた。しかし、彼はとうとう授与式にはやって来なかった。もう、どういうわけかわかるね?これを作ってみようとする諸君、馬鹿な真似はするな。この薬は、消えるだけだ。元に戻れる保証はどこにもない。
〜ポール・アンドレアスの弟、ジョン・アンドレアスより
「あれ、みんなどこにいるの?おーい、遊びに行ったのかな」
庭では呑気にブーブーと鼻を鳴らしながら、ジニーがふたたび蝶と追いかけっこを始めた。
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