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#5 この家族に生まれたから
書く習慣1か月チャレンジ
DAY5【昔はどんな子どもだったのか】
わたしは兄と弟に挟まれた、真ん中長女だ。
少し特殊な環境下で育ったので、自分で言うのもなんだけど、子どものころから色んなことを自ら頑張っていたと思う。
というのも兄が大きな病を持って産まれてきたから、頑張らざるをえなかったのだ。
先天性筋ジストロフィー。筋肉が萎縮をしてしまう病気。難病指定されている。
病気と共に生きるというのは、本当に大変なことで家族全員での戦いの日々は長く続いた。
歩くことができない兄。
わたしは、小さいながらに自分で歩けるときは歩かなければいけなかったし、母に抱っこはせがめなかった。
父はほとんど仕事で不在の中、三人兄弟を連れて病院や療育、私と弟の保育園、学校…など。母は信じられないほど体力フルパワーで毎日を過ごしていたのだろう。
当時の母の努力。幼いながらもなんとなく感じていたであろうわたしは、自分のことは自分でやるのが常だったし、それは当たり前のことだと思っていた。
「わたしは体が元気だから」
「わたしはお姉さんだから」
と頑張れば褒めてもらえる。
嬉しいけどプレッシャー。
そういう幼少期だった。
中学、高校になって自分の世界が広がると頑張る場所は家の外になった。
反動か、家でのスイッチはOFF。
親とのコミュニケーションはとれなくなった。
学校や習い事、友達関係での日々の頑張りを認めてくれない。知っていてくれない。ならいっそ話したくない。と心の奥底で思っていたのだと思う。
ひどい反抗期。内に篭るしかできなかった。
大学生にもなれば、その不安定な気持ちは落ち着いたものの、なかなか母と仲が良いといえる関係は築けずいつも喧嘩していた。
そうして、大人になってから気づいたのだ。
ずっと昔から“誰かに認められること”で価値を見出してきたのだと。
紐解いてみてやっと甘えたい時に甘えれなかった過去と結びつく。
そのことを後に、何度も母は謝ってくれた。
当時から母の愛情は「病気の兄>わたしと弟」と疑わずも思っていたけれど、改めて、昔も現在も「兄=わたし=弟」だったと知った。
そりゃそうだ。今なら分かる。
兄弟、変わることなく愛を届けたかっただろう。
だけど仕方なかったのだ。病には手がかかる。時間もお金も。頭も心もいっぱいだったはずだ。
母との関係は今が一番良好だ。
わかってあげられなくて申し訳ない。
今は誰よりも尊敬している。
やっとやっと母の努力を認められたとき、わたしの“自分が認められたい”という呪いは解けた気がしている。
昔はどんな子どもだったのか。
そう聞かれると回答に迷う。
お調子者で外遊びが大好きな女の子。
それでもって…と延々続きそうなくらい。
だけど一言でいわせてもらうなら、おそらく頑張り屋だった。
身体が不自由な家族の心を察して動いてあげたり、両親の努力に協力をしてきた。
その環境下で周りの人を思いやる優しさを学べた。
優しさを知ったら自分のできることで尽くしたくなった。
自分が頑張ることで、誰かを喜ばせたかった。
おそらく弟もそうだっただろう。
そういう心の原点を築くことができたのは、この家族の元だったからだ。亡き兄は、今でもわたしの心にちゃんと生きている。
昔の生活があったから今のわたしが今日も元気にがんばれる。感謝だ。