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あの頃原宿の神宮橋で私たちは何をしていたんだろう…
皆様こんにちわ!!(くそデカボイス)筆者の凛音と申します。
誤字脱字等ございますが広い心でお読みいただければ光栄です。
最近タイ沼にハマって2000年代生まれの推しを見ると2000年代はもう20年以上前か・・・と寂しくなり、
ヴィジュアル系時代の事を懐かしく思いたまにnoteに書いています。
今年の流行語のZ世代…まさしく我青春時代の頃に生まれた子が今世代なのか!!!
原宿が黒々していた時代に生まれた子がもういまや原宿をカラフルに塗りなおしているというのかい!?
ただのオバンギャが戯言言ってるよ・・・
程度でお気になさらず・・・
私の中では2000年代初期は最高に楽しい時代で2000年代は最先端だ!!!とも思っていた。
始めて使った携帯電話は『docomoのP503is』
あの頃からのバイブルは『下妻物語』
失恋したらGo!Go!7188の『こいのうた』
未だに欲しい映画『NANA』で中島美嘉が着ていたSEXY DYNAMITE LONDONの赤いワンピース。
週7バイトをして買った『Vivienneのアーマーリング』。
そんな頃の思い出話です。
原宿の神宮橋とは原宿駅の東口をでて右側を行った明治神宮に向かう途中の橋。
よくカラオケとかの映像に出てくるここ
何年から集まってたかわからないがだいたい2010年くらいまでここでバンギャ(ヴィジュアル系好きな女の子)が集まっていた時代。
詳しくはわからないのだが逆橋と呼ばれる大きい通りではない方の歩道はDir en greyのコスプレさんしか行ってはいけないと友達に言われてなぜか規律を守っていた。
(理由はつい最近知った。)
私は高校3年生まで田舎JKだったのでメンバー誕生日の日はわざわざ朝から格安バスに乗って神宮橋まで行ったりもしていた。
着替える場所は今も竹下口に堂々と鎮座しているマクド〇ルドの地下。(※本当は迷惑になるのでトイレでコスプレ衣装に着替えるのはいけません※)
そこからヴィジュアル系コスプレはスタートする。
適当にポテトと飲み物を買って1時間~2時間くらい居座る。(当時のスタッフさん本当に迷惑かけてすいません)
女子トイレは2つ。だいたい中で誰かが着替えている。
洗面台はガッツリ化粧をしたお姉さま方が※ダイエースプレーを髪の毛にかけながら鏡を占領している。
※ダイエースプレーとは
今は亡き『ダイエー』で売っていたプライベートブランドのヘアースプレー(当時300円前後)
ヴィジュアル系界隈で『めちゃくちゃ髪の毛が固まるスプレー』として多くのバンドメンバーが愛用していた。
そんな日曜日の午前。
2時間後、準備を終えてマクド〇ルドから奇抜な格好で出る。
早朝はがらんとしていた竹下通りはお昼前くらいになると観光客や休日の学生でごった返している。
最初にプリ撮りに行くか―と向かう先は竹下口入ってすぐのわき道を真っすぐ進むと現れるプリクラがいっぱいあるゲーセン。
(現在、原宿駅東口の駅前にあるマツモトキヨシが建っているビルの地下にプリクラが撮れる場所があってそこでもよく撮っていたなぁ)(覚えている人いますか?)
そこでソロプリ(名刺用に使う一人プリクラ)を撮ったり、仲間内で撮ったり、何枚撮るんだってくらい撮る。
一通り撮ったらお目当ての神宮橋へ。
道中もみくちゃになりながら神宮橋へ向かう。
『スイマセーン!シャシントッテモイイデスカー??』
派手な格好をしていると100発100中、外国の観光客の人に声を掛けられる。
『すいません。ここは迷惑になるのでごめんなさい』
『ワカリマシター』
ギュウギュウの狭い歩道を歩きやっと着いた神宮橋
神宮橋に着いても人、人、人。
メンバーのコスプレをした人
ゴスロリや、パンクの格好をした人
それを撮るカメラ小僧こと通称『カメコ』さん
観光客の人
人が溢れんばかりいて、普通に神宮橋を通りたい人は迷惑そうな目で通り過ぎていく。
『シャシントッテモイイデスカー』
着いた矢先に外国人の観光客の列ができる。
心の中で
『この写真撮った後、誰に見せられるだろう…日本人は奇抜で変な人ばっかりだったって母国で説明されるのかな…』
と考えながら『いいですよー』と答えると
次から次へと外国人の観光客が写真を撮っていく。
一通り写真を撮られたら神宮橋の地べたへ座る。
誕生日が近いメンバーのお祝いの際は、ケーキを用意する人、紙皿やフォークを用意する人と分担して各自持ってくる。
周りも同じようにコスプレチームや仲間内ごと円を囲んで地べたに座り、ホールケーキをみんなで突き合って食べている。
『Happy Birthday to you~♪』
本人には絶対届かないだろうけど精いっぱい歌う。
誕生日のろうそくを消すのは誕生日メンバーのコスプレをしている人。
ケーキを食べている最中も『シャシントッテモイイデスカー』と声を掛けられる。
一種の客寄せパンダなのではないか?と思うくらい当時は海外の方が写真撮影に来ていて、ひっきりなしに隠し撮りされたり、声をかけられたりしていた。
今もなお、一緒に撮った写真は誰かの家のアルバムに入っているのか・・・とたまに考える。
ごくたまにカメコと呼ばれるおじさんに声を掛けられる。
この『カメコ』さんというのは当時、逆橋と呼ばれる付近に複数人溜まっていて、かわいい人や綺麗な人を中心に写真を撮っていた。(記憶があいまい)
アニメコスプレ会場に居るカメコさんとは少し違い、エロ目的で撮っている方は少ないようにも感じた。
カメコさんに撮られれば、ワンランク上のコスプレなのかな!?と勘違いに走る。(自分だけ)
橋にいるカメコさんに古株らしきおじさんがいた。
その人は私が行くとだいたい居る常連のおじさんで、過去に撮った写真をアルバム入れて常に持っていて、自慢のようにアルバムを見せてくれる。
サイコのコスプレをしていると過去に撮った人の写真を見せてくれたり、橋に来ている人の顔や名前を覚えていて、教えてくれたりもした。
私も一回カメコのおじさんに撮ってもらったことがあって、今もプリクラ帳の後ろに仕舞ってある。
私は『池コス』(イケメンなコスプレ)ではなかったから、カメコおじさんとは無縁だった。
Phantasmagoriaの纏コスで橋へ行った時に1回撮ってもらってめちゃくちゃ綺麗な写真を頂いた。
写真をもらった時は恥ずかしくてずっと見れなかったけど、整理をしていた時にたまたま写真を見つけたことがあった。
当時写真に慣れていないせいか、緊張しているのかポーズがぎこちなくて写っていて笑ってしまったw
当時『着うたフル』というものが流行っていた。
掲示板とかで投下されていたmp3でダウンロードできるバンドのレア曲(ガゼットの関東土下座~とかCDで出回っていない曲)とかをダウンロードして橋で聴いたり、夕方の人が少なくなった橋で振り練したり、車道と歩道の間にあるチェーンでヘドバンしたりバカなことばっかりしていた。
夕方になり、橋の人もまばらになり、17時くらいには神宮の門が閉まる。
ある程度満足したら再度着替えにマクドナルドへ向かう。
衣装を脱いで化粧を落としてまた目元を真っ黒に塗り直す。
衣装を脱いでも私服は真っ黒なのだ。
たまにズボンとかは着脱がめんどくさいから家から着て行ったりしてて、私服に着替えても違和感がないくらいだった。
竹下通りの大戸屋でご飯を食べて、気分が上がったらカラオケへ。
竹下通りを抜けた先の『カラオケ館』でみんなでヴィジュアル系を歌い、一緒に暴れる。
テンション高いまま別れ、地下鉄に揺れながら帰っていく。
当時は『毎週行けばバンギャがいる神宮橋』がずっとあると思っていたが
今はその文化も衰退し、今は普通の歩行者用道路に変貌してしまった。
あの当時神宮橋で何をしていたかと考えても特に何もしていなかった。
ただ馬鹿みたいに騒いで、みんなでプリクラ撮って、振り練したり、橋にあるチェーンを柵に見立ててヘドバンしたり、たまにだがお酒を飲んだり・・・
バカなことやっていたなぁって思うけど『いい思い出』としては記憶に残されている。
橋でバンギャが集まる文化が衰退してから日曜日に何度か神宮橋を通ることがあった。
あんなにごちゃごちゃしていた橋も今は余裕で通れるくらい空いてるし、当時人気スポットだった『公衆電話』付近も余裕で空いている。(そこは日陰だから朝一行かないと場所が取れない)
あの頃の記憶は夢幻だったんじゃないかって通るたび思う。
けど当時私はあの場所にいて、あの場所で青春時代をすごしていた。
今こうして年月を重ねていって思うことを一つだけ言いたい。
令和の時代を作り上げていってるZ世代の若者たちよ!!
若いうちに楽しいことやバカなことやって、いろんなおしゃれして、いろんなことをやったもん勝ちだよ!!(人様に迷惑はなるべくかけないようにね(笑))
親には散々『葬式みたいな恰好』とか『変な音楽聞いて』とか言われてきたけど、けどその経験をこうしてnoteに書ける思い出として残っているからいい経験だったなと私は感じている。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*‘∀‘)
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