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『結果として他人のためになっていた』を目指す。

久しぶりの投稿となりました。

すっかり秋も深まり、心長閑な日が続いているようです。

今回の投稿は文部省唱歌の『おうま』です。

全く秋に関係ないのですが。。(笑)

タイトルとも無縁。。(笑)

親子の優しい情景を描く文部省唱歌です。


最近、noteから離れていました。YouTubeの投稿も少し間が空いていました。


ここ数日の間に、noteの中のある方が「どうしたのかな」とコメントを下さったり、YouTubeを聴いて下さっている同僚が「楽しみにしています」と声をかけて下さったりして、

私の中に、「こうして自分の発信するものを応援して下さる人たちがいるのは、とても嬉しくて幸せなことだ。どんなことも大切に、つながりを大事にしなくちゃいけないな。」という気持ちがわきました。


投稿が空いてしまったのは、自分の発信をしていくうちに、もっと歌いたいと思ったからです。もっと勉強したくて、歌いたくて、上手くなりたくて。

今までは人に言うほどの自信と活力がなかったけれど、オペラを学びたい。そこで、やれることを日々やっていたら、いつの間にかnoteやYouTubeから気持ちが離れていたわけです。



自分の音楽を録音して、自分で聴くと、たとえどんな音楽であろうと、自分の出す音への耳が厳しくなる。満足いくところなんてなくて、どこかで区切りをつけなければ、一生投稿できない。

「ま、これでいいか」と思えるくらいの陽気さがあるから、今までのすべての投稿が成立しているし、今もやめようとは思っていないのですが、気持ちが複雑な時もありました。


投稿を通して学んだことは、「他人のために」というのは大切な視点だけど、「他人が何を求めているか」に基準を置くと、自分の音楽はとてもつまらなくなるということ。自分の中に基準を持つ心は忘れてはいけない。

だからといって、自分のしたいままにすれば何でも良いということではなくて、「結果として他人のためになっていた」というのが良いのかなと。


現在働く保育という仕事も然り。自己を確立させて、陽気に立ち回る。大体のことは、それで上手くいきます。上手くいかないと感じるのは、体調や気候のせいだから、深く受け止めず、次の日からまた頑張れるように切り替えて休む。

戦う相手は他でもなく、自分。対人関係も、自分次第だと私は思います。

他者へのリスペクトと感謝に尽きる。周りに他者がいるから、私は私として存在できる。そのありがたさを毎日どこかで感じて、自分の中できちんと言葉にする。家族も友人も仕事仲間も、日常の中に溶け込んで普通になってしまうけど、当たり前なことほど、大切にする。

そう自分に助言して、自分を省みる。それの繰り返し。そうすると、自然と楽しく生きられる。勝手に前を向ける。

今言えるのは、あまり多くを考えすぎない自分が、一番上手く生きられるということ。だから、学びたいことを学び、やりたいことをやる。

音楽や声の追求をしながら、様々な世界でのつながりも大切にする。それも、すべて自分のペースで。無理はしないけど、全力で。


noteやYouTubeを経験して、また一つ自分というものが明確になりました。

10年前を振り返った時、今ある自分は、当時なりたかった自分になれていると感じます。10年前に踏み出せなかったことに、今は挑める気がする。

10年前だったら間に合ったことも、今は間に合わないかもしれないけれど、私はやらずに後悔したくないから、自分を信じて突き進もうと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました😊

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