「学び」がハピネス、幸福感につながる
少し前の話になりますが、「エンジン01 in 市原」というイベントに参加してきました。
オープニングシンポジウム「ハピネスの作り方」で、講師の方々が、ご自身にとってハピネスとは何ぞやという話が展開されました。
🌟ハピネスの定義
ところで一体「ハピネス」とは何でしょう。本来は、日本語で幸福学で言うところの「幸福」に当たる「ウェルビーイング」よりも狭義の「瞬間的な幸せ」を指すのでしょうが、今回のシンポジウムでは、どちらかというと「ウェルビーイング」の意味での「幸福」について話されていたように思いました。
この「ウェルビーイング」、幸福学での「幸福」の定義についての詳細は、前田隆司氏の書籍に譲るとして、ここでは、大まかに、次の記事にある、
「長期的な健やかさや、精神的な幸福感」
として捉えていきます。
🌟ハピネスが感じられる状態とはどのようなときなのか
それぞれの講師の方が、次のようにお話されていたことが印象に残りました。
「結局学ぶことが幸せだと思う。旅行などはそのときは楽しくても、一瞬で終わってしまうけれど、学びの楽しみはずっと続くから。」
「仕事での大成功のような大きな幸せは滅多にないけれど、お風呂で温まる幸せのような小さい幸せは結構あるから、それを見つけて積み重ねていくことが幸せにつながるのだと思う。」
「結局、健康でなければ、ほかに何があっても幸せではないと思う。健康が基礎。」
「自分の嫌なことをやらずに済む状態が幸せだと思う。死ぬまで幸福度が上がり続けるのが理想なので、それに向かって日々過ごしていきたい。」
どれもそうだなと思いながら聴いていました。
健康でなければお金や時間があっても何もできないですし、日々の幸せを感じつつ生きられれば結構幸せですし、嫌なことや人は遠ざけられたら幸せに違いないですし。
🌟アラフィフでのハピネスについて思うこと
私は、アラフィフになってから、新たに加えたものも含め、さまざまな勉強をしています。
「学び」は、天井がないですし、工夫次第で、必ずしもお金をかける必要もなく、いつでもどこでもできます。そして、何より、
「昨日の自分より今日の自分」
というように、日々自己成長が感じられることが幸せです。
「学び」というと、座学を思い起こしがちですが、人付き合い、コミュニケーション力、健康向上力、時間術、脳内リソースのクリーニングアップ力、ありとあらゆるものが学びの対象です。
とりわけ、若い頃と違うのは、経験値が蓄積している点だと感じます。
同じことをやっても、土台になる経験値が若い時より高くなっているため、「学ぼう」という気さえあれば、経験値に対して新しいものをぶつけたり、足したり、引いたりしていけるというのが、化学反応のようで面白いのです。
そして「学び」「継続」の方法すら勉強の対象になります!
自分にとっての人生が残り20年か50年か、もっと短いか長いかなんて誰にも分りません。
それでも「学ぶ」ことで、日々自己成長できたら、期間にかかわらず自己肯定感も上がりますし、それによって心身ともに健やかに過ごせるのではないでしょうか。
「学び」こそハピネス、そして年齢を重ねるほど「学び」の層が厚くなる、そのようなイメージで日々過ごしています。