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カツセマサヒコの『夜行秘密』がスゴい

今日は、カツセマサヒコさんの小説家デビュー2作品目の『夜行秘密』という小説がスゴすぎるという話をします。

カツセさんがどういう人で、この小説はそもそも「indigo la End」のアルバムを基に新たな解釈で書き下ろしているもので、、、云々の話は割愛します。この辺りの詳しい話はググってください。

『夜行秘密』はとにかくスゴい 


『夜行秘密』がどれくらいスゴいかというと、
電車の時間で読み終わらなくて、我慢できずに改札を出てすぐ向かいの壁に寄りかかって、立ったまま続きを読み続けてしまったほどだし、
読み終わった後には、家に着くまでの17~8分の時間にもの思いにふけるスパイスが欲しくて、コンビニでカフェラテを買ってから帰宅したほどだし、
それだけでも物足りなくて、ブランコすらない殺風景な近所の公園に、わざわざ遠回りして立ち寄ってみたほどには、
私の日常を変えさせる力を持った、「スゴい」作品なのです。

この物語には、日常の中できっとカツセさんが常々考えていたであろう課題意識が浮き彫りになっていて(と私は思っていて)、
そんな複数の複雑なエッセンスを、音楽アルバムを基に小説を書くというただでさえ難しいお題の中で美しく作品として形になっていることに、
心底驚くとともに、この才能の怪物は一体何なんだ、と彼の多才さに思わず嫉妬してしまうほどでした。

感想を述べたいエッセンスは多岐に渡るのですが、全てに触れるとキリがなくなってしまうので、
今回は私の感想として、以下2点だけ述べさせてください。
(1)怒りという感情について 
(2)異端者の定義について

(1)怒りという感情について


この小説には、怒りの感情が露わになるシーンが度々出てきます。
しかし、かく言う私は、怒りという感情がほとんどない人間なのです。
イラっとすることは日常の中でそこそこありますが、そのイライラが「怒り」の感情まで成長してくれることは滅多にありませんし、
仮に「怒り」と定義づけられる感情だと認識できたとしても、自分が達成したいゴールに最短で近づくためには「怒り」の感情を表に出さない方がいいだろう、と判断して相手に感情をぶつけることはせずに終わります。
また、怒りではなく「失望」の感情に変換されることもあります。

ですが、自分がこういう人間だからこそ、私は怒りの感情をストレートに表現する人間を、美しいと思うことがあります。
(人を傷つける怒りとそれに伴う暴力を肯定している訳ではありません。)
そしてまた、私が怒りの感情を表に出さないのは同時に、その感情そのものが、本当に自分にとって大切なものを傷つけられた、「最骨頂の怒り」ではない、ということなのではないか、とも思うのです。

今回の登場人物がそれぞれ感じた「怒り」は並大抵のものではありません。
私がもし、彼等と同じ経験をしたら、今までに感じたことがないようなレベルの「怒り」の感情を覚えるでしょう。
彼等のような体験をしたいという意味ではもちろんないですが、自分が理性で感情をコントロールできないほどの、人間のありのままの感情を爆発させる瞬間があるとしたら、それは一体どのような時だろう、と考えて少しワクワクするのです。

そして、小説の中でそんな感情を爆発させて生きている彼等の生き様が、私の目には、すごく美しく映りました。


(2)異端者の定義について


この小説にはまた、一般的に「異端者」と認識される人物が出てきます。
あまり詳しくいうとネタバレになってしまいますが、一般的には犯罪を犯した人物は社会からは「異端者」と扱われますよね。
(「異端者」はもっとライトな意味で使われることもありますが、細かい用語の活用部分については本質ではないので割愛します。)

でも、本当にその人は「異端者」であるのか、という点は議論の余地があると私は思います。
法律を犯す=異端行為として、その人物を異端者と認識するのであれば、そこに弁明の余地はありませんが、例えば、「異端者」をもともと本質的に異端的な性質を持っている人物、と定義するのであれば、少し議論をしたいと思うのです。

犯罪を犯したからといって、犯人を「異端者」と認識して、その犯罪者が犯罪に至るまでのストーリーの把握を怠ったら、それはその犯罪事件の本当の理解には辿り着きません。

「異端者」とそうでない者、はもともと何か明確な差があるわけではなくて、同じような性質を持っていた者の中で、何かしらの環境・経験・きっかけがあったことによって、結果的に異端行為をする者が出てくる場合がほとんどなのだと思うのです。

犯罪が絶対悪なのは大前提ですが、あの人はそういう人だったんだ、ではなくて、あの人はどうしてそうなったんだ、という背景を私は知りたいと思いますし、
ありとあらゆる人間が、皆それぞれそのストーリーを持つのだということを改めて認識しました。

おわりに


この小説に出会った今日は、いつもの帰り道がまた違って見えました。

信号を待つサラリーマン風の男性が、信号が青になってから3秒間進もうとしなかったのには、きっと私には分からない彼だけの3秒間の理由があったのだろうな、とか
一瞬すれ違った、急いで自転車を漕いでいたあの女性と私の世界線が交わることがもしあるのなら、一体どんな物語になるのだろうか、とか
そんな風に、平凡な私の世界がまたひとつ、彩度を上げたのです。

そして、最近の私は、他者に対して人に言えないような苦しみを抱えている可能性を考慮し想像する優しさを忘れていたような気がして、少し反省しました。


こんな素敵な作品を生み出してくれて、
私の世界を鮮やかに彩ってくれて、
ありがとう、カツセさん。



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