「そのままで大丈夫。あなたは間違っていないと思う。応援してるよ」って言われたい
全て受け止めてくれる人が近くにいてほしい。
大学での私も、外見も、ツイッターやノートでの私も、仕事中の私も、家族の前の私も、元カレと付き合ってたときの私も、めちゃくちゃ怒っているときの私も、泣いているときの私も。
彼氏じゃなくてもいい。姉でもいい。年下でもいい。ただ私の考え方を「わかるよ」って理解してくれて、その上で私を全肯定してくれる人がほしい。
「まちがってないよ。大丈夫だよ」って。
「頑張ってるの知ってるから、いつも応援してるよ。」って。
そんなのわたしのわがままだって知ってる。だって今までそんな人は目の前に、現れなかったもの。
それでも、私はそういう人が周りにいてほしい。私が話したくないことは言わなくていい。ただ大きく腕だけひろげていつでもおいでって言ってくれるひとがほしい。
頑張ってることとできる事はちがう。でも、できないことを今悔しがったってどうしょうもない。だから頑張るしかない
時に人から厳しい口調で言葉をかけられる。
そんなとき、その言葉にしっかり傷ついてしまうよ。なぜなら、それが図星だったり納得感が行くことが多いから。だから悔しい。めちゃくちゃ悔しい。涙がすごく出るくらいかなしい。
私だって、こんなにも頑張ってるのにって言い訳したくなるくらい悔しくて涙がでる。
頑張ってることとできる事はちがう。だから今悔しがったってどうしょうもない。頑張るしかない。
そんなときにいつも言ってしまう。
「頑張ったのにできなかった。」って
後悔しても何の慰めにもならない。ただ、人に図星なことをはっきり言われるとしんどくて、自分で自分を認められなくなる。自分そのものを否定したくなる。否定するしかなくなる。
だから言ってほしい。
「大丈夫だよ。」って。
「今のままで大丈夫だよ。」
こんな私のできないところも。人に言われるまで向き合いたくなかった自分の汚いところに蓋をしていた自分も。その今の状況をはっきり受け止めきれなくて感情があふれてしまっている私も。言い訳をしちゃう私のことも全て分かってほしい。そして魔法の言葉の「大丈夫だよ」で包んでほしい。
なんだろう。
私が泣いている理由を聞かないで。ただ胸で泣かしてくれる人が欲しいのかな。
「絶対間違ってないよ。大丈夫。」って言葉って、生きていく上で私には必要な言葉なの
「私なんか」って考える必要は一つもない。
自信がなかったり、自分を卑下したりする必要はないと分かってる。でもそう思ってしまう自分がいる。
だって人間だもの。安い感情をもつものなの。
誰だって他人と比較して「私なんか・・・」って思ってしまう人が悪いわけじゃない。そう思うのが普通なの。合理的な判断だけで生きてる人はいない。
みんな、人間なら、自分の弱さや、ずるさや、情けなさみたいな安い感情っていわれやすい感情は持ってるもの。ただそれと一緒に上手に生きているだけなの。
だから私は、「私なんか」じゃなくて「私は」って言うようにしてる。「私は私だからね、したいことします」って。だから「私なんか」って言葉を使わないように気を付けてる。
でも、自分を否定したくなる気持ちを持つことは別に特別私だから悪いことじゃない。
その感情が上手に自分の中で消化できない人だっている。大人になったからってそれがみんな出来るわけじゃない。できるかできないかは、リンゴがすきかどうかという好みのような特徴の問題なの。
でもだからこそ大事なのが「他人からの私の存在の肯定」なの。あなたがあなたのままでいい。って自分で認めるのは容易いことじゃない。
私を全肯定してくれる世界で私には必要なの。
私のことを全部受け止めてくれる人なんてこの世には存在しないなんて分かってる
分かってる。
私を全て受け止めてほしいなんて他人に求めちゃダメってことなんて。
どんな人でも他人のことを理解するにはそれなりの「時間」と「労力」が存在するって。
その人の人生はその人のもので、私のための人生じゃない。だから、私のことを全て肯定してくれる人なんて存在するはずがないことなんて知ってる。
上辺だけの肯定なんていらない。私を知った上で、その私を本当に認めたときの肯定がほしいの。
でもそんな人なんて神様ぐらいしかいないことなんて分かってる。全ての私を知ることができる人なんていないってことは知ってる。
だから、今目の前にいる人達に求めたらダメなんてことは分かってる。
だって、いつも、好きな人の前では、自然に生まれてくる汚い感情を出さないようにするし。人のことを基本的には見下したりしてはいけないとわかっているけど、見下して自分を守ろうとしている汚い私の感情も。自分の欲求のままに他人を気にせず突っ走っている私の感情も。どんな感情も全て理解できるのは私しかいない。
24時間、私と一緒にいる人なんていないから。
だから、そもそも、過去の私も、今の私も、未来の私も全て肯定するのは私だけしかいないことなんて知ってる。
分かっているはずなのに、他人から全肯定してほしい。
「そのままで大丈夫。私はあなたが間違っていないと思う。ただ、いつまでも、どんな時でも、応援してるよ。」って
私は、他人からの愛がほしいのかもしれない。
他人から何かを求めるには、私が他人に何かを与えなくてはいけない。それがもしかしたら与えることで得られる自己承認欲求なのかもしれない。私の変な発想を永遠に聞けるという特権なのかもしれない。もしかしたらそれが性的欲求なのかもしれない。
人はそんな簡単に無償の愛を何も知らない他人に与え続けるほど単純な作りではできていない。
だから、私が愛を求めるのならば他人に愛を与える存在にならないといけないのかもしれない。
スーパーマンにはなれないと思っているかもしれないけど、誰かから見ればのあなたもスーパーマンに見えてるよ
小さいころ、大人になったらすごいスーパーマンみたいな人になれるものだと思ってた。
でも今はもう23歳。社会的にはもう大人なのかな。十分に自立していい年齢だし、同年代の人でもうすでに子供を作って家庭を築いている人はいる。
でも私はまだ子供のころと変わらない。がむしゃらに自分のしたいことに全力で立ち向かって。嫌なことは後回しにして、結局乗り越えられない壁にぶち当たると現実逃避する。
そんな私をずっと見守ってくれる私よりすごい人が周りにたくさんいて。優しいすごい人が現実逃避してたらだめだよ。と注意してくれて泣いている。それが自分もわかっている図星のことだから。
そんな優しい大人の言葉だけど、私にとってはすごい鋭い刃物であって、ときどき自分の存在やそもそもの在り方を否定され切り裂かれる気分になる。
そんな時、私の代わりにその言葉を咀嚼してくれる人が近くにいてほしい。
「どんな私の為になる言葉でも今の私にとってそれは凶器であることには変わりないんだよ。あなたはあなたのままで大丈夫なんだよ。今のあなたのことを分からずその刃物を突き刺したその人は「敵」でしかないんだよ。」って。
年齢をいくら重ねたって誰もスーパーマンにはなれないし、やり切れない感情と常に毎日戦っている。
でも自分をスーパーマンに見せている人もたくさんこの世の中には存在する。
だからって、自分がスーパーマンに見せるように頑張る必要はないし、自分のやり方でがんばればいい。たとえそれが蟻だったとしても。
誰かから見れば蟻のあなたもスーパーマンに見えてるよ。
大丈夫だよ。
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。
#エッセイ #コラム #日記 #自分 #わたし #好きになりたい #喧嘩 #友達 #恋人 #話し合い #歩み寄り
もしよければ、この記事にも目を通していただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。