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家族が老いていく。そんなこと認めたくないよね。簡単に認められるほどわたしは強くない。認知症のおばあちゃん
私には大好きなおばあちゃんがいる。でもおばあちゃんは、認知症。そんなおばあちゃんは83歳。身長は153センチ。小さくてかわいいおばあちゃんだ。よくしゃべるし、よく笑う。そしてよく食べる。元気なおばあちゃん。
でも、最近、よく怒るようになった。最近、物忘れが激しくなった。ものがわからないようになってしまった。
私はまだ22歳。もう、十分”おとな”なはずなのにおばあちゃんの老いをうまくうけとめられない。おとなになりきれない私。
ああ、なけちゃう。そんな気持ちを少しでも上手に落ち着きたいからnoteを書くことにした。
おばあちゃんが忘れることが多くなったのは、一緒に住んでたおじいちゃんが亡くなってからだった
おじいちゃんが2年前なくなった。おじいちゃんは91歳だった。ポッコリしたお腹が特徴的なおじいちゃん。みんなで「スイカばらや~!」って言ってたかな。
黄色のポロシャツにチェックのハッチングがよく似合うおしゃれなおじいちゃん。そのおじいちゃんの服は全部おばあちゃんが選んでたもの。年をとってから耳は遠かったけど、しっかり好き嫌いはあるし、よく笑うおじいちゃんだった。
私はおじいちゃんといっぱいしゃべれなかった。若いときっておじいちゃんのことをふるくさいって思っちゃってた。大正生まれのおじいちゃん。きっとおばあちゃんはおじいちゃんのかっこいいところを知ってて、だからずっと一緒に暮らせていたのかな。お世話をすることが大変とか聞いたことなかったし、おじいちゃんの変なことをいつも笑い飛ばしていた。
そんな60年間一緒に添い遂げたおじいちゃんを失ったおばあちゃんの喪失感や空虚感は私が想像できないほど大きなものだったんだろう。そんなおじいちゃんのお葬式でおばあちゃんが号泣しているところを初めて見た。
戦争時代の話をしてくれたり、失恋の話をしているときのおばあちゃんと全然違った。おばあちゃんの表情だった。
そのころから、少しずつおばあちゃんの言葉に「あれ」や「これ」っていう指示語が多くなった。同じものを頻繁に買うようになった。
おばあちゃんの日記には毎回書かかれている
「お線香買わなきゃいけんのよ。」
お家の仏壇のお部屋にはたくさんのお線香があるというのに
半年に一回実家に帰る、毎回、感じる人間の老い。鍵事件。ズボンの上のパンツ事件
学生の頃は当たり前だった、家族が近くにいる生活。帰ったら、みんなで話す時間。でもお家を出てから一人暮らしを始め自分お生活に慣れてくると実家という空間が簡単には作れないかけがえのない時間だったって実感する。
学生の若いうちは、時間の流れを通して私たちは変化して、成長すると思っていた。でも最近思う。「成長する」ということは「老いていく」ということなんだ。と。
#鍵事件
私の実家と隣あわせ。お家はつながっているわけではないので、基本的生活はすべて別だった。だから、お家のペアキーをおばあちゃんにも置いていた。なぜなら、私たち実家の子供とお父さんは鍵をよく忘れて外出することがあったから。
そんなある日。おばあちゃんが言ってきた。
「家の鍵持ってないかいね~。こっちにはないんじゃけど。」
そんな言葉を聞いて、家族みんなでペアキーを探した。でも見つからない。そこから2か月とうとう鍵がなかったのでお家の鍵を10万円かけて変えることにした。鍵がなくなってしまったことはしょうがない。
でも鍵をすべて変えてから1週間。お母さんがおばあちゃんの家の鍵箱の下にその鍵を見つけたのだ。
「もっと探せばよかった。」とみんなが思った。だれおおばあちゃんのことを責めることはなかったけど、お祖母ちゃんは落ちこんでいた。でも、この鍵事件は今考えると小さいことだった。そんなおばあちゃんの周りで起こるおかしなことはたくさん増えていった。
#underwear on her pants
今までの生活ではおばあちゃんはおばあちゃんの家で自立して生活をしていた。自分のお家でお風呂も入るし、ごはんも食べて、自分のお家で寝る。車の免許を返納してからも電動自転車でどこにでも行っちゃうおばあちゃん。
だけど、認知症がすすむごとに、すこしずつおかしくなってきちゃってそんなある日おばあちゃんの腕に大きな青あざができた。
「お風呂でぶつけただけじゃけえ。大丈夫よ!気にしんさいな」
そう言い切るおばあちゃんが心配になって、実家で夜ごはんを食べてお風呂も入るようになった。できるだけおばあちゃんの生活を尊重するために。夜はおばあちゃんの家。だからおばあちゃんは実家でお風呂にはいる。だから、着替えの服を持ってきて着替えるか、いったん服を同じものをきてかえってから新しい服に着替える。そんな普通の生活だった。
ところが、ある日、お風呂を出たおばあちゃんがズボンの上にパンツをはいてた。思わず笑ってしまいそうだった。
3歳の姪っ子ちゃんがおばあちゃんに向かって陽気にいう。
「パンツは一番したにはくんよ!おばあちゃんおかしいよ~!」
そんな姪っ子ちゃんの素直な言葉を聞いて涙がでる私はもう大人になってしまっているのだろうか。
おばあちゃんはいつもすかさず全く恥じる気がなしにいう
「ええんよ‼ これで。」
普通の人だったら間違っているでしょ!って言って笑い飛ばせる。でも、そんなことはもうできない。なぜなら、おばあちゃんのまちがいを指摘することはおばあちゃんの心を直接傷つけることになる。って感じてしまう私はなにも言えなかった。
もうお祖母ちゃんはだんだん自立した生活ができなくなってきている。
私がこどものころにに頼っていたおばあちゃんじゃなくなってる。いつも幼稚園まで送り迎えしてくれたおばあちゃん。いつもおめでたい日にはお赤飯を焚いてくれたおばあちゃん。映画でもいこうや~!って誘ってくれるおばあちゃん。よくわかんない電気の水について死ぬほど話してくれるおばあちゃん。おばあちゃんのおかげでお家でお経が身近に合ったし、仏教に救われることもたくさんあった。
そんな前のおばあちゃんはもういない。いないんじゃなくて、きっと私も成長しているように、おばあちゃんも成長しているんだ。と。頭ではわかっているんだけど、とりあえずそんなことが悲しくて涙がでる。
家族の老いは受け入れられるほど強いおとなにはまだなれない
1週間に1回の電話。ばあちゃんはマシンガントーク(笑)
「最近ね、わからんことが増えてきたんよ。やねこいね。」
そんなおばあちゃんはおばあちゃん自身でそのつらい環境から逃げないで立ち向かおうとしてるんだ。なのに、私はおばあちゃんのことを思ったらなくばかり。
いつまで私を孫だとおもってるのかな。「のんちゃん、応援してるよ。」そんなおばあちゃんの声はいつまできけるんだろうか。とか、考える必要がないことまで考えてしまう。
今、おばあちゃんの生きがいは、病院とお買い物。毎日3回もスーパーにいくく。たくさんのお洋服の買い物。毎日3万円・・・お金の感覚もおかしくなってきている。要介護認定をもらってからデイケアサービスに通うようになった。病院からもらった薬を毎日飲んでるのに認知症は日に日にひどくなった。でも、おばあちゃんのすべての意見をすべて無視することは許されない。
確かに時は流れている。自分も成長している。だから家族も年を取っていく。そんなと当たり前のことを実感するようになった。人は成長するだけじゃなくて老いていくんだということを意識するようになった。
認知症になったおばあちゃんだからこそ、その老いという時間がみんなより短く、そして早く感じる。そして、今の時間の尊さを考えさせられる。
いままでたくさんの本や、ドラマ。で人の死に対して疑似体験はしてきたつもりだった。そういうときは悲しくなるけど、合理的判断で人間は乗り越えていけるものだと。外面的なことばかり意識していた。
「人の老い」がそんなにもつらいなんて思ってもいなかった。でもしょうがない。そんなことはわかっているでもこの張り裂けそうな感情はどうしようもない。
今は、おばあちゃん。だけど、いつかは自分のお父さんもお母さんもちゃんと老いている。自分はその時うけとめられるかな・・・
涙がとまらないな。
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