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【映画】『ぼけますから、よろしくお願いします』について

本作は信友直子監督による脚本、ナレーションに加え、主人公の老父母の実の娘としての出演もあるドキュメンタリー作品である。

なんとなくおかしみのある宣材写真やタイトルから、観賞前には名ドキュメンタリー映画『人生フルーツ』が想い起こされた。
『人生フルーツ』は建築家の津幡修一さんとその妻英子さん夫妻の生活を丁寧に描写して樹木希林がナレーションを努めた東海テレビ制作の作品で、ここには手本にしたくなるようなほのぼのとした幸せな夫婦生活が描かれていた。

実際、『ぼけますから、よろしくお願いします』も序盤は想像した通りの展開だったと言って良いと思う。

スクリーンに幼少期の信友監督の笑顔の写真が映し出されると、監督本人による「全て母親の手作りだった」というナレーションが挿入される。母親はその他にも老後の趣味として書道を嗜む社交的な趣味人で、年老いても弱った足腰で一人で買い物をして毎日の食卓にテーブルいっぱいの手料理を並べる働き者だ。
父親は戦後小さな会社の経理として定年まで勤め上げ、老齢になっても辞書を広げて英文を音読して勉強する生真面目な勉強家。
信友監督の進学も「大学に進んで文学を学びたかったが戦争で断念せざるを得なかった」という父親による後押しがあってこそ。
老父母は序盤、生活の一々で衰えを自覚せざる得ない状況ながらも娘を優しい眼差しで見守る。
そんな両親が心配で呉に戻ることを提案する娘に、老父は「大丈夫だから自分の好きなことをやれば良い」と娘を説得し、妻が衰えて家事が難しくなってからは日々の買い物やはじめての料理作りに勤しむ(なんと95歳!)。

ご主人が東大卒の建築家だった津幡夫妻に比べると如何にも貧しいながらも、二人の生活は満ち足りて見えた。まさに想像した通りの展開。

しかし、中盤を過ぎた辺りからその雰囲気は覆されることになる。
ボケの入り出した老母と耳の遠い老父のやりとりは当初コミカルに描かれているが、老母は体の衰えと共にボケが進行し、顔が腫れ上がっていてもそれが何故なのか覚えていない。前後の繋がりが分からないから会話が成立せず、やがて記憶の断絶の影響は深刻になり、皆が自分を無視している、誰も理解してくれないし馬鹿にしていると悲鳴を上げる。
毎日妻と接している我慢強い老父のストレスも極限に近いものがあったのだろう。
そこで放たれた我慢強い老父の怒声に背筋が凍り付く思いがした。

鑑賞中は終始心を持っていかれっぱなしだったが、一つ残念に思った部分も書いておこう。
既述の通りナレーションは信友監督自身が務めている。
優しい声で如何にも物語に合ったナレーションは良いが、時折ナレーションに過剰に「私(の考えや思い)」が入り込むことがあった。
映像は両親を突き放すように冷静に捉えているのに、このナレーションでの「私」はやや過剰と言えるだろう。
映画には、信友監督自身も出演しているのだし、ナレーションとは別にして彼女自身の地声も入っている。それだけで娘としての立場と思いは想像が付く。さらなる説明は不要だろう。もっと見る者の想像力を信じて欲しかったし、その想像を途切れさせるようなことはしないで欲しかった。

さて、ここで映画のタイトルに立ち戻ろう。
『ぼけますから、よろしくお願いします』
このタイトルは、老父母の写真、すなわち穏やかに優しく微笑む老父と明るい性格を満面に表しているように笑う老母の笑顔と相まって何とも言えないユーモラスな印象を与える。
そして映画は印象の通りにほのぼのとした老父母の暮らしで始まるが、老母のボケの進行からは一転、(それまでがほのぼのとした雰囲気だっただけに)想像もしなかった恐ろしい瞬間に観るものは凍りつく想いをするだろう。
しかし少し映画を離れれば、「老い」は映画の中だけの話ではなく、誰にでも忍び寄るように近づいて来ることが分かる筈だ。
一番身近なものでいえば、多くの人が信友監督と同様に両親の老いに直面することになるだろう。そして、人口統計と長寿化の流れを見ても明らかなように、今後さらなる勢いで少子高齢化は進む。
「ボケ」は映画において老いを表現する象徴として扱われた症状だ。
しかし同時に、この映画では地方都市で暮らす老父母の一生活者としての様々な困難(例えばそれはよく聞こえない耳の問題であったり、弱り切った足を引きずって懸命に買い物や家庭の雑事こなす老父母の姿であったり)が描かれている。

「ボケる」のは信友監督の両親だけではないし、私もあなたも、早くに死ななければいつかは「ボケる」だろう。
「ボケ」は老いの象徴であり、タイトルの「よろしくお願いします」は、社会全体が「老い」(もっと言えば妊婦や身体障碍者などの生活弱者)と向き合わなければならない現実を表している。

もう25年も前になるが、合計一年程ラスベガスに滞在していた折り、市内を巡るバスに車椅子の客が乗り合わせるところを日常的に見ていた。
勿論、日本のバスにもそういった設備はある。
階段が落ちて、道路までステップが下がり、それに乗って車椅子ごと持ち上げられるあの設備だ。
それを僕は、日本でも(恐らく)見たことがある。しかしどこで見たのか、本当にそのようなことがあったのか、よく思い出せないでいる。
少なくとも、日常的に見ることはない。

この映画で老いの表現と共に印象的だったのは、貧しい地方都市の暮らしぶりだ。
日本は今後、さらなる老い、そして貧しさと対面することになる。
もし日本がまだ豊かだった時代に、早く「老い」と向かい合うことが出来ていたら、この映画を観て感じた絶望感はある程度払拭されていただろうか。

ラストは、前半で感じたような優しい雰囲気で安心して観ることが出来る。
しかしこの映画で見せ付けられた絶望感は消えない。


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