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(全文無料公開)【イメージと言語とーー正しいベンチプレスをやってみて】

現役のボクサーだった頃、個々の技術を言語化することに努めた。単なる視覚的イメージではなく、より深い理解を得ようとしてのことだ。
ある技術について
「なぜ出来ないか? 」
「あるいはなぜ出来るのか?」
と考えた。
日本人元王者の「日本人には打てないパンチ」という解説にムカつき、経験則だけで語ることの愚かしさを嘆き、目の前の現象を言葉で理解することに努めた。
考えに考え、何かヒントがあるかもと様々な文献(多くは一般書や雑誌の類だが)にあたったが、結局は中々言語化すること、理解することが難しいものがあることを知るに至った。
とはいえ、この「言語化」という作業自体が間違っていたわけではないと思う。
むしろ個人的には、いつの頃からはイメージ化することを適切に行っていなかったような気がする。

必要なのは、言語化とイメージ化を反復して行うことなのだろう。
今回はジムでベンチプレスをしていて気付いた知識を伴う「言語化」と映像を伴う「イメージ化」の関係について、それらが相互に補完しあう関係にあると捉え、その役割を考えてみたい。

ベンチプレスをやってみて

ここ1、2年ウェイトトレーニングをしている。とはいえ、ウェイトトレーニングについて僕が持っている知識は理論面のものがほんの少しだ。それでも問題ないと思っていた。フォームなどは見様見真似の自己流ながら、それでも目的としている部位にはそれなりに効いている。筋肉痛にだってなる。

「これで大丈夫」そう思っていた。

しかしある時、あるYouTube動画を見ていて考えが変わった。その動画のホスト役は主催の山澤礼明さんが務めており、「筋肉博士」山本義徳氏が上背部に効くダンベルローイングの指導にあたるものだった。

山本氏の指導の要点は、(上背部中央に効かせる場合は)背中を丸め、前腕を内旋させること。大まかに言うとこれだけ。たったそれだけで、上背部中央(肩甲骨の辺り)にダイレクトに効く。これまでやっていたのはなんだったんだという位に違う。

前置きが長くなった。
ベンチプレスだ。しばらく前からベンチプレスの際に右肩前部に痛みが伴うようになった。それに、胸(に限らずだが)トレーニングの効果もなかなか上がらない。
これまで何となくやっていたベンチプレスだが、山本氏の動画を見てこの機会に正しいフォームを勉強してみようと思い、(「勉強してみよう」などと言いながら)今回もYouTubeに頼った。
今回はSho Fittnessさんの動画だ。

簡単に要点だけ纏めると以下のようになる。

1、グリップの位置は肩峰の1.5倍。
2、手首は内側に少し曲げる。
3、肩甲骨を寄せて下に押し下げる。
4、尻を付けたまま背中でブリッジを作る。
5、そして挙上の際は肩の真上に、下ろす際は前腕が地面と垂直になるように(こうすると大体鳩尾の位置にくる)。
6、ブリッジの姿勢を崩さないようにきちんと足で踏ん張る。

結果として、最初と最後は20キロのシャフトだけ、そして本番でもいつもより10〜20キロ軽いバーベルを使ったが、これが本当によく効いた。肩に痛みもない。

しかし、上記の6点に同時に注意を払うのがなかなか難しい。
特に肩甲骨に気を配っていたのに、いつの間にか下げていた筈の肩甲骨が元の位置に戻っていた。そして下ろすことに集中していると、今度は手首が真っ直ぐになっている。きつくなってくると思わず尻が上がり、尻を下ろすと足が浮いてしまう。
常に維持できたのは、各セット始めで仕切り直せるグリップの位置くらいだろう。

ベンチプレスに向かう短い時間ながら悪戦苦闘していて、ふとボクシングジムに通い始めた15歳の頃を思い出した。
ガードの位置、足の位置、ジャブを打つ時の反対側の手の位置、ストレートを打つ時の後ろ足の捻り、肩が盛り上がらないように、ガードが下がらないように、膝を曲げて……。
注意される度に頭に念じ、何度も繰り返した。

そしてしかしいつの頃から、何も考えなくてもイメージするだけで全部出来るようになり、やがて教えられたこと以上の工夫が出来るようになった。
ジムの先輩や一流選手の映像をみて、イメージを組み立て、それをそのままコピーすることさえ出来るようになった(勿論それを同レベルの相手とのスパーリングや試合で実践するのは難しいのだが)。

言語とイメージ

再びベンチプレスの話に戻ろう。
僕はインターバルの際に鏡に向かって1〜6の動作を繰り返した。
そしてあるイメージが湧き、一つの発明をした。
それは「3」の肩甲骨を「寄せて」、「下げる」という二つの動作と「4」の尻から背中全体でブリッジを作る動きを一纏めにするものだ。
まず左右の肩と左右の腰骨のあたりを基点にして、それぞれ右肩と左腰骨、左肩と右腰骨に線を引く。
そうすると背中の中央で交差する「点」が、鳩尾の裏側、肩甲骨の下中央辺りに出来る。
意識出来たら次は実際の動作だ。
背中の中央に出来た「点」を意識して持ち上げ、その「点」に向かって左右の肩、腰骨を引っ張る。
そうすると、肩甲骨は中央下方向に引き寄せられ、腰は強くブリッジを固定することになる(腰は実際には中央に寄せる機能を持っていないので、これはイメージだけ)。

1〜6のうち3の二つの動作と4の動作を一つのイメージで処理することで全体の制御が随分と楽になった。
これはイメージ化の好例だと思う。
お陰でシャフトだけ(20キロ)で行った最後の1、2セット(この重さでもかなりキツかった)はそれまでよりもだいぶ上手く行えたように思う。

必要なのは、言語化とイメージを反復して行うことなのだろう。僕はベンチプレスをする際の正しいフォームとして、1〜6を反芻するように頭の中で繰り返しながらチェックした(言語化)。そして次に鏡に向かって一つ一つを視覚化し、その全体像が理解できたころで、パッと自分の背中が脳内に顕れ、先に挙げたイメージが湧いてきた。それは言語的な反復と、鏡に向かっての視覚情報を強化することから得られたイメージだった(イメージ化)。

観察眼を伴う言語化は、イメージだけでは分かり難い詳細を理解することができる。
とはいえ、スポーツなどの類は多くの場合一瞬で複数の処理を行わなければならない。言葉を頭で繰り返しながら実行することは出来ない。
それに対し、視覚化(脳内映像)を伴うイメージ化は「百聞は一見に如かず」で全体を俯瞰的に把握することが出来る。

イメージは言語化を経ることで詳細になり更なる向上の道を示すことになり、言語化によって詳細になり複雑化した個々の技術はイメージすることによって単純化され瞬時的に試みることが出来る。

イメージと言語化(そしてそれを確認するトレーニング)は、それぞれ相互に補完する役割をするのだろう。

まとめ

確か、20世紀初頭のライトヘビー級の名王者マキシー・ローゼンブルームの逸話だったと思うが、彼はシャドウボクシングの際に四方に鏡を置き、自分の姿が相手にどのような印象を与えるのか研究していたそうだ。ローゼンブルームは「BoxRec」によると、207勝中19KO勝利と非力ながら名王者の一人に数えられている。

また、マイク・タイソンは義父でありトレーナーでもあるカス・ダマトとともに、古今のボクシング映像を解説付きで見たそうだ。タイソン来日の際、片岡鶴太郎と対面することがあり、プロテストに合格した片岡が自分の階級をジュニアバンタム級だと告げると、タイソンは渡辺二郎の名前を挙げて、「ヒルベルト・ローマンとの試合は渡辺が勝っていたと思う」と言ったという。これはタイソンの研究熱心さを顕すエピソードだろう。特にタイトル獲得前のタイソンの動画を見ていると、タイソンが非常に優れたテクニシャンであったことが分かる。

ローゼンブルームの例は、イメージ化とそれに必要な能力(観察眼など)を助ける訓練と捉えられるだろう。そしてタイソンとダマトとの例では、彼らの「授業」において、イメージと言語の両方が重要視されていたことが分かる(ここには、スポーツにおける座学の必要性がある)。

言語化は知識を伴ってこそより大きな実りを生む(最初にあげた山本義徳氏の動画には、氏による解剖学的な知識の一端が披露されている)。
またイメージ化には、優れた観察眼が必要だろう。これは単にボクシングやその他の専門にしている競技の有名選手の動きだけではなく、その他のスポーツ、ダンスの類からも得るものはある筈だ。

これは余談だが、ある時テレビのバラエティー番組でジャイアンツの長嶋茂雄が王貞治について「素振りをする時のユニフォームの皺で調子の良し悪しが分かった」というエピソードが紹介されていた。
これは奇跡的な観察眼の賜物で、視覚的理解力が高かったことの顕われと思う。

「天才」とは、見たもの感じたことをなんでもそのまま技術化出来る人のことだろう。それはスポーツの場合は特に映像化を伴うイメージを持っている筈だ。
そしてそれは必ずしも言語化を伴うものではないだろうが、多くの人は天才ではないし、天才もイメージの言語化という過程を経れば、さらに向上、あるいは安定するものと思う。

それぞれの競技で行き詰まりやどうしてもできないことがあれば、言語化やイメージ化を意識的に行い、それをトレーニングに生かしてみてはどうだろうか。

また、競技やトレーニングについての文章を読むこと、そして自ら書いてみることも優れた言語トレーニングになる筈だ。

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