【映画】オダギリジョー監督脚本『ある船頭の話』について
この映画はどうやらあのイケメン個性派俳優のオダギリジョーによるオリジナル作品らしい。それを知ったのは、広島市内のとある映画館の上映作品を調べていたときのことだっただろうか。
公式サイトをみるとこの作品は確かに10年前本人によって書かれたものであり、今回オダギリジョー本人による脚本で自身が監督を務めるという。
僕にとってオダギリジョーと言えば、行きつけの美容室で「オダギリジョーにして下さい」と注文して、担当の女性に「オダギリジョーにはなれません!」と返されるという”お約束“があることから、見た目やキャラクターに関しては憧れに近いものを抱いていると言って良いだろうか。
かと言って「好きな俳優は?」と聞かれて特に思い浮かぶ存在ではない。
思い浮かぶ出演作品と言えば、例えば『南瓜とマヨネーズ』がある。売れないミュージシャンの彼氏とそれを助ける彼女を主役に置いた映画でなかなかの良作なのだが、オダギリは彼女のかつてのバイト先の憧れの先輩として出演しており、その小憎らしい程のモテ男振りはとても印象に残っている。
また、オダギリが蒼井優と共に主演を務めた『オーバーフェンス』も、境界のあっち側とこっち側、そしてその境界の問題という現代的な問題を描いた良作だったことを思えば、僕にとってオダギリは特に好きな俳優というわけではないにしろ、良い映画やテレビドラマ(「深夜食堂」も僕のお気に入りだ)を選んで出演する、慣れ親しんだ俳優ということになるのだろう。
とはいえ、僕の興味を惹いたのはオダギリが監督・脚本を務めるということよりも、その設定にあった。
川の渡守を主人公にし、主演は柄本明が務めるという。時代設定としては、明治から大正、せいぜい昭和初期といったところだろうか。
これだけで「オダギリやるなあ!」と(偉そうな態度に思われるかも知れないが)感心したものだ。
果たして、実際に観てみるとやはりその設定には大いに感心させられた。
舞台は両岸に鬱蒼とした森をたたえる川を中心に、中洲にある渡守の小屋、建設中の橋、それだけだ。
ストーリーは全てその中で展開する。
そのミニマムな社会を舞台にして「変わりゆく社会と新しい環境に馴染むことの出来ない人々」といういつの時代においても常に社会問題であり続けてきたことについて描いている。
それだけで「素晴らしい!」と思った。
ストーリーは大体以下のようになる。
川の渡守を務める十一(柄本明)は、両岸に住む人々や近隣で建設中の橋に携わる人々をあっちからっこっちへ、こっちからあっちへと渡し、客がいないときは釣りをして暮らしている。
最近の客は橋の話ばかり。いつも十一に気を使っている源三(村上虹郎)は、十一の仕事を気にして冗談とも本気とも付かない口ぶりで「橋に火を着けようか」などという。
また、源三はある時、橋の向こう側の村で起こった一家殺害事件のことを口にする。
家族は行方不明の娘1人以外の全員が首を切られて殺されたそうで、娘の行方は分からないそうだ。
そんなある時、瀕死の状態で岸に打ち上げられた少女(川島鈴遥)を助けたことから十一と少女の共同生活が始まる。
この映画の良い点は設定だけではない。
クリストファー・ドイルが撮影監督を務めた映像は全編を通じて美しい。特に、月明かり差し込む小屋に浮かび上がる十一の顔に、世の流れについていけない自分の今後の生活への不安、そして、ある意味似たもの同士である行き場のない少女への想いが象徴的に表されていてとても良い。
また、BGMの少ない緊張感に包まれた静かな世界に抑揚を付ける音楽も良い。これは初めて映画音楽に携わった世界的ジャズピアニストのティグラン・ハマシアンによるものだそうだ。
しかし全体としては、その設定の素晴らしさを生かし切れたとは思わない。
「一家殺害事件」というミステリー的なエピソードはこの映画の設定、そこに問題が集まるべき課題(前述の「変わりゆく社会と新しい社会に馴染むことの出来ない人々」)を描くのに必要だったとは思えない。むしろ刺激が強過ぎて主題がボヤけてしまったような気さえする。
また、劇中で少女が起こす事件とそれに対する周囲の対応にもどうもリアリティーがあるとは思えなかった。
加えて、橋の建設業者らしき伊原剛志の粗暴な態度もあまりにも単純だし、いつも十一を思いやってきた源三の、橋が完成した後の態度の変わりようも余りにもステレオタイプな描き方に思える。
しかしこのような批判も、設定や映像、音楽の高いセンスと比較した場合のアンバランスさ故の問題なのだろう。
ラストで十一は少女を連れて慣れ親しんだ川を去る。
「俺も胸張って生きていけるような人間じゃねえ」
うろ覚えで申し訳ないが、十一は最後に少女にこのように呟く。
この言葉には十一の過去を思わせるものがあり、少女を助けて寄り添った理由でもある。
ストーリーはあるべきところに落ち着き、きちんと収束している。
オダギリジョーの次の映画が早く観たい。
このイケメン個性派俳優は、いずれ名監督と呼ばれるようになるかも知れない。
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