【映画】この世界の(さらにいくつもの)片隅に
僕はこの映画を広島市の八丁座という映画館でみました。
ここは広島市の中心部にある福屋というデパートの八丁堀本店の最上階にあります。
ステージには落語でもやるのかという定式幕(永谷園のお茶漬けの袋でも使われる三色の幕の呼称)が張られており、ゆったりとしたシートで寛げる広島の映画館でお気に入りの一つです。
『この世界の片隅に』は広島を舞台にしており、この地でこの映画を観ることができるのには心揺さぶられる思いがしました。
(いつもは簡単にストーリーを紹介していますが、言わずと知れた作品ですので今回は書きません)
とはいえ、残念ながらこの新規拡張バージョン、前作程感情移入しなかったというのが感想になります。
まず僕は、この作品の成功は、その非日常性を捉えられがちな戦争の時代における日常を徹底的に描こうとした点にあると思っています。
作り手が作品にメッセージを込めようと思うのは当たり前なのですが、これまで戦争という舞台にした(特に)日本の映画作品に関しては、その非日常性、悲惨さと被害事実を捉えようとするあまりに、戦争の時代にもあった筈の日常が置き去りにされていたのではないでしょうか。
しかし人間は感覚的にも知覚的にも物事を対比させて捉えるので、悲惨さを強調した非日常的な表現は供給過剰によってその目的を十分に果たすことが出来なくなる(ウザくなる)のではないかと。
対して、この『この世界の片隅に』では比較して他よりも悲惨さを強調していないにも関わらず多くの人々の心を捉えた。この作品は日常と非日常が非常にバランスよく配置されていたのではないかと思うのです。
それが、この拡張新バージョンでは少し崩れたかなという印象。また、僕は原作も読んではいるものの現在手元になく、それを復習することも出来ずに「あれ? これ原作にあったっけ?」と迷うシーンがありました。
レビュー等を見ると、原作にないシーンもあったようですし、僕の頭に「?」が浮かんだシーンでも実際に原作にもあったシーンも追加されたようです。
そして、その追加されたシーンの主な部分はりんさんとのやりとりです。
これらのやりとりも日常の話ではありますが、戦争と対比されるべき日常の話ではなく、普通のドラマ的なものです。それが本当に追うべき対象だったとはちょっと思えなかったんですね。
それともう一つりんさんとのエピソードで僕が残念に思ったのは、(詳細は書きませんが)劇中のりんさんとの関係で、ちょっと描きすぎなんじゃないか? ここボカした方がよくない? とそう思うエピソードもありました。
とはいえこれも原作にあったもののようです(未確認ですが)し、僕がこの映画で一番好きなシーンは、りんさんによる「誰でも何かが足りんくらいで、この世界に居場所はそうそうのうなりはせんよ」というすずへの言葉です。今回も、この言葉には涙が溢れそうになりましたし、愛しいりんさんのシーンが増えたのも喜ぶべきことなのでしょう。僕がこの新拡張バージョンを少々残念に思ったのは、思い入れというか、期待が強過ぎたせいかも知れません。
冒頭にも書きましたが、僕はこの映画を広島市の中心部にある福屋本店内の八丁座という映画館で観ました。
映画を観た後に知ったのですが、この福屋の本店ビルは戦前からあり、爆心地から近いながらも原爆に耐えた、当時のママの建物とのこと。
また、映画の中で呉に嫁いだすずが広島に帰り懐かしい故郷の景色をスケッチするシーンがありますが、この福屋本店ビルは、すずのスケッチ対象の一つだったようです。
それと、僕は今回の新バージョンでクラウドファンディングに参加して5000円支払ったので、エンドロールに名前が載ることを楽しみにしていたのですが、かなりのスピードで小さな文字が流れており、見つける事は出来ませんでした😅
なのでパンフレット購入しました!
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