あの日の少年ーーフロイドメイウェザー回想記
試合前、僕はQuoraで以下のように書きました。元プロボクサーとして「もしメイウェザーが負けたらどうしよう」というような不安がなかったわけではありませんが、その可能性がとても低いことは誰でも分かることです。
そして観戦後には「メイウェザー衰えたなあ」という感想を持ちました。
衰えについては最近のドバイでのドンムーア戦を観ても分かってはいたものの、ここまで衰えたかと悲しくなりましたね。今回の朝倉戦はメイウェザーの試合で僕が知る限りは最も醜い試合だったと思います。
勿論、45歳のメイウェザーが若い朝倉を簡単にKOしたのは事実であり、短いラウンドで技術戦術の幅を見せ付けるのは困難だったことは理解しています。それでも尚、この試合を見て残念に思うと同時に、僕は未だにかつてのメイウェザーの幻想を見ていたんだなと気付かされました。
以下はちょっと自分語りも入りますがご容赦を。
僕は高校生の頃(もう30年前です)、日本でプロボクサーになろうとテスト前の健康診断を受けました。そこで思いがけず引っかかったのが頭部CTスキャンです。先天的に脳を支える神経が弱いとのことで、僕はプロテストを受けることさえ出来ませんでした。
それでまあ色々考えたのですが、当時18歳の若い思い付きで「ルールの違う海外に行こう!」と決めました。
で、その後僕はアメリカ、メキシコ、タイ、ドイツで活動してパッとしないキャリアを終えましたが、各国で直に現地のボクシングに触れることが出来たのはとても良い経験だったと思っています。
渡米後チャベスvsテーラー2もロイジョーンズvsジェームストニーも生観戦ましたし、デラホーヤのタイトルマッチはウィテカー戦も含めて幾つも観ました(勿論生で)。
また、ジェームストニーやマイクマッカラム、ジュリアンジャクソンなどのスパーリングを見ましたし、クラレンスアダムスやウェインマックロー、マルコアントニオバレラやラファエルマルケス、グティエスパダスJr.、ビクトルラバナレスとはスパーリングもしました。
世界トップレベルのボクサーを多く見ましたが、その中でも最も印象深いのが当時まだアマチュアだったフロイドメイウェザーです。とは言っても、彼のスパーリングを見た当時、僕は彼の名前すら知りませんでした。
その後、あれは「オリンピック前、まだ若い当時のフロイドメイウェ
ザーjrだった!」と気付いたのはいつ頃だったか覚えていませんが、僕はあの少年がフロイドメイウェザーJr.だったと確信しています。
理由としては、小柄な少年をジムに連れて来たのがロジャーメイウェ
ザー(フロイドの叔父でトレーナーを務めた二階級制覇の元チャンピオン。浮き沈みの多いキャリアながら30代後半まで長い間世界ランクを維持していました)であったこと、そして少年が見たこともないと言う程に優れた動きをしていたこと、そしてその少年がスパーリングで当時現役の世界チャンピオンだったウェインマックローを相手に全く何もさせないという程に完璧に捌ききったからです。
これがフロイドメイウェザーJr.じゃないとしたら一体誰なのでしょうか?
さて、ようやく(那須川戦含めた)今回の試合の感想になります。
僕は冒頭で「最も醜い試合」と書きました。那須川戦はまだ「さすが」と思わせるものがありました。
オープニング、あのスピード溢れる那須川相手に遊んでみせて、そして那須川のスピード、キレを把握するや否や瞬時に最も差を見せ付けることの出来るパワー勝負に切り替えました。
当初「9分間の究極のエンターテイメントを見せる」と言っていましたが結果はコレです。スピードとキレの部分ではそれ程差がない事を悟ってサクッと勝ちに行ったわけです。
僅かな時間でしたが、メイウェザーは那須川の小さなモーションに対する細かな反応、戦術の転換などとても良い動きを見せてくれたと思います。
しかし、今回の朝倉戦において「さすが」と思わせるものは何一つありませんでした。力の差があり、ボクシングに対して無知で、自分の商品価値を上げることにしか興味がなく(この点はメイウェザーもそうですが)、ボクシングに無知で戦力分析も出来ない若者を軽く屠ったわけです。
「本気になる必要がどこにあるのか?」
「リスクのない試合しか選ばない」
というメイウェザーの発言通りの結果です。
今回メイウェザーは、朝倉未来にも、那須川と同様に彼の戦力を把握し「真面目にやるのちょっと面倒臭いな!」と感じたことでしょう。寝不足でしたし。
そしてメイウェザーは考えるのやめ、自ら右で打ち掛かりました。打ち掛かった後の朝倉のリターンはダッキングで避け更なる追撃はブロックを固める、或いはボディーワークで避ける。
比較的簡単な、プロボクサーの多くが利用出来る技術です。
ゲームメイクなどなくめちゃくちゃ雑で、かつてのメイウェザーより遥かに格下で凡庸な選手でも選べる選択肢です。
時間というものはメイウェザーから多くのものを奪ったのだなと思わせるボクシングでした。
しかもフィニッシュまでの流れは那須川戦と同じ。
右のスイングでボディーを狙い、同じパンチを顔面に。恐らく目線と
フォームでフェイントを掛けていたことでしょう。天才児那須川はそれに反応しましたが、朝倉は那須川程には対処出来なかったように思います。
那須川を仕留めるには更なるパンチが必要でした。
那須川と朝倉が同じサウスポーとはいえ、力の差を見せ付ける上であまりにも単純な試合運びでした。
この試合がメイウェザーの現役時代ならば、短いラウンドの中でも格闘技ファンにボクシング技術のもっと素晴らしい一面を見せることが出来たでしょう。
しかしまあ、今回それを見ることは(主観的には)全く無かったです。今回のメイウェザーに、30年前の少年を思わせるものは何も無かった。
最後に、メイウェザーの「リスクを取らない」という点について、叔父で長くトレーナーを務めたロジャーメイウェザーの話も書いておきます。
ロジャーメイウェザーは長くフロイドのトレーナーを務めた彼の叔父にあたる人物であると同時に、 スーパーフェザー級とスーパーライト級を制覇2階級を制覇した名ボクサーでした。
“ブラックマンバ(黒い毒蛇)”と呼ばれたロジャーは、当時パウンドフォーパウンド(体重同一時の仮定での評価)最強と言われたメキシコ史上最強のボクサー、フリオセサールチャベスとも二度戦っています。
ロジャーはまた“ローラーコースター”とも呼ばれました。
広い肩幅に細く長い手足と鋭いパンチと卓越したテクニックを持っていましたが、同時に彼の細い顎は格下相手にKO負けを喫する理由ともなりました。
実力からすると浮き沈みの多い不安定なキャリアを過ごしたと言えるでしょう。
38歳で引退したロジャーはトレーナーとしても有能ぶりを発揮しますが、パンチドランカー症状と糖尿病でそれも難しくなり、(Wikipediaによると)徘徊や暴行などが目立つようになり、2020年58歳で亡くなっています。
聞くところによると、ロジャーは施設を訪ねてきたフロイドのことも分からなくなってなっており、フロイドは号泣したそう。
リスクを取らないこと、ダメージを受けないことの重要性を誰よりも理解していたのはやはりフロイドメイウェザーJr.なのでしょう。
45歳のメイウェザーに、少年の日の面影を見るのは流石に無理があるでしょう。
あの日朝倉と共にあの場所にいたメイウェザーは、人生の様々を噛み締めてきた一人の大人の男でした。