日記

はじめに

この記事には精神病(うつ病、双極性障害、境界性パーソナリティ障害、解離性障害)に対する筆者の個人的見解が多く記されている。これらは筆者が実際に精神科にて診断をおろされた病名である。この記事は筆者目線での病気の受け止め方を中心とした内容となっており、特定の病気を比較し、下げていると受け止められかねない描写が挟まる可能性がある。この記事自体に特定の病気・人間・病院・診断方法・行動を揶揄、あるいは侮辱する意図は無い。また、この記事中の症状・診断はすべて筆者個人のものであり、記事中では省略された症状に基づいて診断がおろされている。この記事やインターネット上の記事を読み症状に類似性があるのならば、病気や障害と断定せず近くの病院への受診をお勧めする。この記事中の症状のみにおいて病気や障害が断定されることは一切ない。

以前このような記事を書いた。

もう10か月前になろうとしている。noteではこれが最新記事となっている為、1年近くnoteで記事を書かなかったらしい。今でもnoteに書いた内容は大体が鮮明に思い出せる。

上記の記事に書き殴った内容は「期待(ああならないかな、こうならないかな)を信じ切っている自分を正当化してやる」といった内容で、気持ちの自己開示が苦手な私がここまで自分を曝け出しているというのは珍しい。きっと自分にしてはよく頑張って書いたのではないかと思う。前提条件である「明日を生きるには恋人やよりどころがなくてつらい」という事をすっぽ抜いて書き出し、滅裂な文体で走っていると思ったら途中で投げ出して無理やり〆たりせわしない文章ではあるが。

ところで、最近転院した。
上記記事を書いた病院が出禁になったからだ。

精神病院の医者というのはおしなべて「今のあなたの気持ちを教えてください」と言う。そこで患者である私はテンプレートのように「気分の波があります、希死念慮があります、動けません。死にたくならない薬をください」と返していた。前病院は問診をそれで終えていた。私もそれに特段疑問は抱いておらず、効かない躁鬱の薬を貰い続けていた。
しかし、事態は一転する。一昨年~去年の冬ごろまで私はオーバードーズ癖があった。市販薬のアレルギー剤を一瓶飲んで吐いて寝るのが日課のようになっていた。胃はボロボロで、日に日に衰弱していた。
自力で自転車が押せなくなった頃、私はこれはいけないと病院でそれを話した。結果「転院してください」の一言で診察室を追い出された。マジで引きずり出された。そんなことある?

そして紹介状も貰えず途方に暮れた。偶然引っ越したタイミングだった為、近所の個人院に今は通っている。

その個人院では初診を3時間かけた。後半は口が乾いて仕方がなかった。一週後の再診では2時間喋った。今現在診察が1時間で終わったことはない。
その病院ではまず最初に「躁鬱ではありませんね」と言われた。

躁鬱じゃないんだ、そっか……………………

これ私が無意識に思った一番最初の感情だった。
気づかないうちに双極性障害というレッテルにもたれかかっていたのだと思う。

その後家族の聞き取りや行動の聞き取りによって新しく解離性障害と境界性パーソナリティ障害の診断を受けた。健忘や混迷が症状として顕著であり、確認行動が多く現実の認識が危うい部分が境界性パーソナリティ障害の内容に近いようだ。正直ひどく混乱した。例えば双極性障害だとセロトニンがどう、とかで自分自身に問題がないのに病気になってしまうようなものだろう。私はうつや双極性障害は脳に問題がある、身体的な病気と同じものだと考えていた。しかし解離も人格障害も違う。これは環境や愛着、性格や遺伝が問題で起きる障害だ。私の中では病気ではなく、性格の問題であり治せない障害のように思えた(実際違うのはわかりきっている)。

未だに解離性障害と境界性パーソナリティ障害は受け入れ切れていないが、私自身の現実的な問題として向き合う心境に変わってきている。根気のいる治療となるから焦らないようにと先生は手本のような英語の筆記体で書かれたカルテを見直すと筆を置く。診察室に飾られたタペストリーを見ながら返事をした。

薄皮隔てたような、ベールに包まれた気持ちを持ちながらnoteを書いている。もう何が正しくて自分が何であるかはわからなくなっていた。薬を飲む。

見るな。

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