草案 BPDの少しマシな暮らし方
BPD・ADHDとしてどのように生きる事で自殺企図をやめることができたか書きます
これは私の一例であり、全ての人に当てはまるわけではありませんが、一助になれば嬉しいです。
・「死にたさ」の解消を諦める
死にたい気持ちは簡単に消えません。薬を飲んでも死にたくなくなる物は少ない。
潔く諦めた方がマシです。死にたいと思うなと抑えつける方が逆効果。「ある程度の死にたい」は普通なんだと諦めましょう。希死念慮を抱えているのに普通のラベリングをしてくる社会に本当に嫌気が差しますが、BPDの死にたさは社会保障されるわけでもなく、ただ治らないくせにほとほと辛い、それだけのデバフと諦めた方が断然楽です。
だからといって死にたい気持ちを貶してはいけません。自分の中から生れた感情を否定しては、自分自身を否定したような気持ちになって、悲観の種になってしまう。どちらかというと死にたい気持ちを自分の一部として受け入れ、抱えてあげようということです。ですので、「BPDって事は死にたいって言って気を引きたいだけでしょう?」「自殺のふりなんでしょう」、このように投げ掛けてくる人間は総じてクソで、受け入れる必要はありません。カス。
あなたの死にたさは重大に受け止めるべきであり、あなたの大切な感情でファクターです。それらを抱えて生きていく諦めは今後相当な感情の起伏のリミッターになります。
線路の前で脚を投げ出そうとはやる気持ちを必死におさえるあなたも、毎朝ベルトを巻く時にこのベルトの位置が腰ではなく首であったならと想像してしまうあなたも、決して否定されるべきものではなく、あなたの一部でしかない。あまりにも強い衝動は薬で解決できるかもしれませんが、死にたさで象られたアイデンティティーは、それら全てを抱え、諦めることがきっと良い。そのアイデンティティーはきっといつか発露した時に花になると思います。
・自分を責めてしまう場所から離れる
そんなこと言っても仕事、学校、家庭、その他色々の場所から逃れることは難しい。ですのでここでは「自分の責めてしまう場所から(一時的にでも)離れるくせをつける」とします。自責の念に苛まれてしまった時は一刻も早く自分を受け入れる時間をとりましょう。
先章で「BPDは社会保障を受けられない」と書きましたが、これは障害年金等の話です。生活保護は誰にでも開かれた保障です。もしあなたが学校に通っていないのであれば、お仕事を辞める事を視野に入れてください。嬉しい事に日本は福祉国家で、死にたさで動けなくても最低限度の生活を保障してくれます。甘えましょう。甘えられない環境であるならば、少しでも自分のご機嫌をとれるような場所を探すところから始めましょう。