トリイ先生が感謝を受け取らない理由
これは私が描いている漫画のキーパーソン「トリイ先生」のモデルとなったカウンセラー(A先生)がこんなニュアンスのことを語っていたのを、記憶を頼って肉付けした内容です。
A先生との治療関係は20年ほど続きました。
「カウンセラー」という言葉すら、ほとんど誰も知らない時代からされていたので、今だったら多分、かなり古風なカウンセリング技術をベースとした先生だったと思います。
A先生が「決してクライエントからの感謝を受け取らなかった」「全てあなたの力よ」と言い続けた事について、私なりにA先生から受け取った事を「トリイ先生」として描いてみました。
A先生は自分のカウンセリングの腕に、ある程度の自信があったと思います。
直球で「感謝を受け取らない」というのは、自分の慢心を制御する意味が強かったのではないでしょうか。
何もかも本当に「クライエントの力」というよりは、例えば外科のお医者さんが、術後の患者や家族をねぎらう意味でも、よく言われる台詞に似ている気がします。
事実、本当に辛かったのは本人ですから、それも正しいでしょう。
A先生は確かな技術のあるカウンセラーとして、自分のプライドに対して厳しい姿勢を持っていたと思います。
一般的な「謙遜」とは違いました。
多分、後進を育てうる立場として、また、「カウンセリング」という技術が成立してきた背景の歴史や信頼を保つ一人として、その意思の現れでもあったのではないでしょうか。
また、自分の慢心がクライエントに与える影響は、最も恐れていたと感じます。
私は パーソナリティ障害傾向の強いクライエントでした。
A先生と出会ったばかりの頃は特に、カウンセラーのほんのわずかな心の隙も見逃しませんでした。
「この人との関係をどのようにつなぎ止めるか」。
自分が知る限りの…母に教え込まれた限りの力で、A先生の首に鎖をかけようとしていたと思います。
そのたびに「どうして?」と、とぼけたふりで罠をかわし抜き、どんどん意識を自分の心の内に向かわせてゆく…
そんなセッションに対して、「ありがとう」「どういたしまして」。。
確かに、一縷の違和感が残る気はします。
一般的な「ありがとう」「どういたしまして」の関係を避けることで、A先生は私に自分の領域を許さず、最後まで「カウンセリングを受けた自分」を意識させる意味合いも、あったかと思います。
この「全てあなたの力」「ありがとうを受け取らない」作戦は、一定の効果はあったはずです。
けれども、そんな防御の想定にはない事だって起らないとも限りません。。
(また作中で大切に触れていきたいと思います)
今私は当時のA先生と同じぐらいの年齢かなと思いますが、
もし友達だったら「ありがとうを受け取ったってバチ当たらないわよ!」と、温泉につかりながら耳でも引っ張りたいと思います。
(そう言われてもA先生は、もごもご言ってスタンスは変えなかったことでしょう)
何となく、こんな事を想起するのが、私とA先生との長い治療関係の忘れがたい経験のひとつのテーマでした。
読んで頂いてありがとうございました。