28歳からプログラミングスクールを経て未経験でSESに転職した人間が辿った道
未経験で開発業務を始めて2年経ったので、「転職を考えるきっかけ」~「転職して2年目」までを書き記してみる。振り返ってみると、個人的には比較的満足した生活を送ってきたなと感じる。が、SESはずっと続けるものじゃないと改めて思った。
【目次】
・転職前のプロフィール
・転職を考えるきっかけ
・転職を考える
・プログラミングスクールに通う
・転職活動
・転職1年目
・転職2年目
・まとめ
【転職前のプロフィール】
年齢:28歳(社会人 5年目)
学歴:国立大学の文系学部卒
業務:メーカーの事務スタッフ(工場勤務)
年収:550万以上
プログラミング歴:大学時代に独学でvbaをちょっと触った程度
【転職を考えるきっかけ】
■単純に仕事が楽しくない
仕事内容はメーカーの生産管理という業務で、営業と生産側の調整役みたいなもの。自分の意思というものがなく、ただの御用聞きになってしまっていた。また、調整役というのは目に見える成果物が存在しないため、やり遂げたという感覚が芽生えにくい。そのうえ、やって当たり前の業務なため、うまく調整したからと言って評価が上がる事はないが、失敗すると評価が下がるという減点方式である。仮に、うまく難局を乗り切ったとして誰からも褒められる事はないし、誰かから感謝されるという事もあんまりない。
■将来性がない
配属時、部署には3年目~10年目の先輩方が居た。その誰もが他の部署に異動する事もなく、何年も同じ調整業務を行っているのだ。ちなみに、前の会社では3~5年で異動し様々な業務を経験するというのが他の部署での常識であった(※ 新卒採用のHPには3年でジョブローテーションを行うとも明記している)。ではなぜ、うちの部署が誰も移動しないのか。理由は簡単で、どこの部署も工場の事務方で経験を積んだ人間を必要としてないからだ。事務系の職種では、工場の人間よりもマーケティングや営業の経験を積んだ人間の方が重宝されがちである。
【転職を考える】
上記理由から真剣に転職を考えるようになったのは、27歳のころである。再び自分と向き合った結果、これからの仕事は以下のようなことやりたいと思った。ザ・ゆとり世代みたいな考えだが、別に養う家族が居るわけではないし、やりたい事をやろうと思った。
■自分が楽しいと思う事
■成果物が目に見える事
自分が楽しい事とは何だろうと考えた時に、大学時代を思い返すと、バリバリの体育会系だったため、楽しかったのは部活だったわけだが、だからといって給料を考えるとそのスポーツのコーチになるわけにはいかない。他にないかと思って思い出したのが、vbaによる金融商品の自動売買のシステム作りである(かっこいい言葉で表現してみたが、普通のプログラマが書けば10分で終わりそうな稚拙なコードであった)。このシステムを作成していた時は、本当に0知識から寝る間も惜しんで勉強をしていた記憶があった。という事で本格的にプログラマになる事を考え始めた。そして、適当に探して見つけたプログラミングスクールに入学する事に決めた(なぜか深く考えずに取り敢えずスクールに行こうという考えは、今思い返すとアホの極みである)
【プログラミングスクールに通う】
平日は基本的に仕事(平均残業時間:80時間/月)だったため、土日を主な勉強時間とした。そのスクールでは、基本的にオンラインで学習するシステムで、javaを習い始める事とした。カリキュラムは基礎文法から簡単なECサイトの作成までであった。ECサイトの作成時期は、土曜日の昼頃からやり始めて、気づいたら日曜日の朝を迎えていたという具合には熱中していた。という訳で平日8時間×2ヵ月間のカリキュラムを土日のみ1ヶ月ほどで終了し、転職活動をすることになった。ちなみに、カリキュラム中には課題を課せられて、それを提出すると講師からフィードバックを貰えるというシステムだったが、一度もフィードバックを貰った事は無かった(一度苦情を言ってみたが、後で返しますと言われて以降、一度もフィードバックを貰う事は無かった。ちゃんと仕事しろよと思った)。
【転職活動】
スクールが転職活動もサポートしてくれていたため、言われるがままに面接を受けたら、5社くらい内定をもらった。その中で給料がよく、開発業務をやらせてくれる会社に行くことにした。この会社はSESだったが、未経験の人間が贅沢を言っちゃいられないと思い、修行の意味を込めて、この会社に入社する事とした(ただの思考停止)。
【転職1年目】
入社早々、金融系のプロジェクトに放り込まれた。入社してから一年間はウォーターフォールモデルの以下のような業務を経験した。
・詳細設計工程
・開発/単体テスト工程
よくSESは、一つの作業ばっかりやらされると言われるが、個人的には、そんな事はなく、色々な工程を経験させてもらえたかなと感じた。正直、業務内容はそこまで難しくなかったため、楽しくやっていたと思う。単体テスト時にはまったときは終電帰りを重ねたものだが。。。
社長から資格を取ると勉強になるぞと言われたので、半年経ったくらいの時にオラクル認定資格のjava silverとgoldを取得した。個人的には、資格よりもどんどん手を動かして何かを作った方が勉強になると思っていたが、このオラクル認定資格シリーズは、javaの仕組みを理解するうえで非常に役に立ったと感じた。特に私みたいな未経験が業務をする上では非常に役に立つと思った。
【転職2年目】
2年目になると、基本設計も行うようになったり、人の成果物をレビューしたりするようになった。この時期は厳しい上司の元でかなりしごかれた。多分、毎日怒鳴られてた気がする(怒鳴られる事に関しては、前職の方がひどかったため、そこまで気にならなかったが)。怒鳴られながらも何とかやり抜き基本設計工程を1年ほど経験し、年の終わりには、小さいチームのリーダーになった。SESだが、基本設計も任せてもらい、比較的幅広い業務を経験できたと感じる。ちなみに、気になる年収は、500万くらい。未経験としては割ともらってる方なのかなと思う。残業時間も月20時間くらいなので、QOLは格段にアップした。
【まとめ】
プログラミングスクールからSESも未経験がプログラマになる道としては悪くないなと思った。ただ、未経験からするととても新鮮な業務だが、これくらいの業務は3年もやれば誰でもできる業務だと感じた。より競争力をつけるためには、業務外の勉強は不可欠だし、工程もより上流工程を経験する必要があると感じる。その点、社内の勉強に対するモチベーションはさほど高くないため、周りに触発されて勉強を頑張ろうとか切磋琢磨しようとかにはならない。また、現プロジェクトだとこれ以上の上流工程に入り込む事は難しいと感じた。そういう意味で、SESに長くいると自分の成長があまり見込めないなと感じてしまった。(最後は結構ぐだってしまった。。。)
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