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エスプレッソ


イタリアでのコーヒーの飲み方はご存知だろうか。
一概には言えないが、イタリア人がコーヒーショップを訪れる際はエスプレッソを頼み、カウンターでぐいっと飲み干してすぐに退店するという。

なんというオシャレさだろう。

僕の中でオシャレと思わせてくれたランキング暫定1位、夏目漱石の「月が綺麗ですね」を塗り替えるオシャレさである。

イタリアのカフェでは、艶のあるローファーに白のパンツ、少し胸元の開いた紺のシャツに、サングラスをかけたジェロラモが入店してくるのである。

ジェロラモはレジで

「エスプレッソを1つ」

と言う。
そしてカウンターでエスプレッソを出してきた店員が

「やぁ、ラモ。砂糖は入れるかい?相変わらずいい時計をしているね。」

なんて声をかけ、それに笑顔で答えながらジェロラモはぐいっとエスプレッソを飲み干すのだ。
そして店員は、

「ラモ、来月子どもが生まれるんだって?」

と尋ねる。
ジェロラモはグラスをカウンターに置き、

「そうなんだ、また女の子だよ。しばらくはまたおままごとに付き合わされるだろうね。」

なんて嬉しそうに話し、

「今日も最高なコーヒーだったよ。」

と言って退店していくのだ。

オシャレだ…。オシャレすぎるぞイタリア。

もし夏目漱石がイタリア人だったら、
I love youを「エスプレッソがボーノですね」と表現しているに違いない。


そんなことを考えながら過ごしていると僕の頭の中で、
”エスプレッソをカウンターで飲み干すイタリア人はかっこいい”

”エスプレッソを飲む男はかっこいい”
に変換されていった。

そもそもカフェでエスプレッソを頼む時点でかっこいい。
カフェであんな量の少ないエスプレッソを頼む人間は、真のコーヒー好きだけである。
今日までの沖縄史で、1人でカフェに行きエスプレッソを頼んだオシャレなやつがいただろうか。
いいや、そんなオシャレなやつが沖縄にいるはずがない。

僕は沖縄で初の、1人でエスプレッソを頼んだ男になる決意を固めるのである。


ある晴れた日の火曜日、出勤が午後からにも関わらず朝から行動できた僕にとって、この上ないエスプレッソ日和である。

会社近くにある個人経営のカフェに歩いて向かう。
エスプレッソを飲んだ1日は特別なことが次々に起こり、さぞかし良い思い出が残るだろう。
僕はこれから沖縄初のエスプレッソを頼んだ男、エスプレんちゅになるのだ。
そう思いながらイヤホンを耳にして、軽快な足取りでカフェに向かった。

店に着き、扉を開けると髭の生やした男性店員と、その後ろでコーヒーを作っている女性店員が立っていた。(統計上、コーヒーっけが強いカフェにいる男性店員は必ず髭が生えている。)

「いらっしゃいませー」と言いながら、少し汗ばむ僕をみた店員らは、長年の勘からアイスのブラックかアメリカーノだと思っただろう。

注文を聞かれた僕は他のメニューも吟味してるぞという間を空けて、
「エスプレッソを1つ」
と答えた。

そう。たった今、沖縄いや、琉球で初めてエスプレッソを注文する男が現れた。
店員らは生まれて初めてエスプレんちゅと対面している。

不意を突かれた髭の店員は少し驚いた顔をし、女性店員はパッと僕の方を振り返った。
「ふっ」と心の中で笑い、エスプレんちゅは立て続けにこう言った。

「2ショットにもできますか?」

これぞまさにエスプレんちゅ。
いかにもエスプレッソ通なコミュニケーションだ。
2ショットというのは、普通のエスプレッソ2杯分のことを指す。
YouTubeで学んだ専門用語を使って通なエスプレんちゅを演じたのだ。

女性店員は後ろで微笑んでおり、髭の店員は「可能ですよ。」と返事をした。
意外にも二つ返事で返されたので少し焦った。
琉球で初のエスプレッソを頼む男が現れて、さらにはイタリア人顔負けのエスプレッソトークを繰り広げたのだ。

「コーヒーお好きなんですね。」
とか、

「渋いですね!」
とか、

「あなたってエスプレんちゅだったのね。」
とか、なんなら

「やぁ、ラモ!。今日は時計はつけてないのかい?」

なんていう言葉が返ってきてもおかしくない。
しかし、非常にテンポ良く「可能です。」と言われたのだ。
2ショットもいらない、知識をひけらかしたいだけのエスプレんちゅは、焦りながら
「やっぱり1ショットで。」
と答える。

さっきまでの汗は冷や汗に変わり、それを拭いながら指定された席に座った。

エスプレッソを頼んだ店で女性店員がいる場合、砂糖と一緒に電話番号がついてくるというのは実に有名な話である。

「これもエスプレんちゅの使命だ」
と腹をくくっっていた僕は、イヤホンを耳にし、さっきまで聴いていたラジオ番組「有吉弘行のサンデーナイトドリーマー」を再生した。
いつものようにラジオネームさんぺいが笑いを掻っ攫う中、僕はこの後エスプレッソを運んでくる女性店員との会話を何度もシュミレーションしていた。
数分後、視界の横からエスプレッソと毛の生えた腕が出てきた。
運んできたのは男性店員だった。
イヤホンからは有吉弘行の笑い声が聞こえてきた。


気持ちを切り替えて、運ばれてきたエスプレッソに1杯の砂糖を溶かし、ぐいっと飲んでみた。
人生初のエスプレッソ、かなり美味しい。
僕の中にいる『味楽る!ミミカ』のミミカちゃんが「美味ぃ〜ですぅ〜」と唸っている。そのくらいその美味しさに衝撃が走った。

しかし店内にいる客からすれば、僕は通なエスプレんちゅ。
「美味ぃ〜ですぅ〜」というような顔はせず、冷静な微笑みをし、イタリア人さながら頬ひげを撫でるかのように顔に手をスリスリしていた。
店内にいる人間は、初めて見るエスプレんちゅに釘付けだろう。
心なしか店内客のひそひそ話が増えた気がする。
僕がかなりの下ネタラジオを聴きながら、その美味さに驚いていることを知らずに。

イタリア人は退店までが円滑である。
僕は3口ほどでエスプレッソを飲み干し、イヤホンを耳から外してお会計をした。
そして何事もなかったかのようにガラガラっと扉を開け、クールに退店した。
入店から退店するまで時間にしてわずか5分弱。おしゃれすぎる。
退店後、わずかな希望を抱きレシートの裏を確認したが、電話番号は書かれていなかった。

しかし、この時間の店内では間違いなく僕が1番かっこよかった。
だって1人で来店し、エスプレッソをグイッと飲んですぐに退店したのだから。

エスプレッソを飲んでから約15分。
僕は会社に着いた。
会社に着いたのはいいものの、周りからの会話はいつもと同じく「おはよう〜。」だけである。
僕はついさっき、1人でカフェに行きエスプレッソを素早く飲んだというのに、普段通りの出社である。
口に僅かに残るエスプレッソの風味と疑問感を抱きながら、淡々と業務をこなしていった。

エスプレッソを飲んで約2時間。
仕事場で数少ない気の合う先輩と喋った。そして先輩に対してエスプレッソマウントをとった。


「先輩、エスプレッソ飲んだことありますか?」

「いや、頼んだことないねー。エスプレッソってあれだよね?苦くて量が少ないやつ?」

「そうっす!それっす!先輩、おれさっきエスプレッソ飲んできたんすよーっ( ͡° ͜ʖ ͡°)ドヤ」

2024年上半期一番のドヤ顔である。

「おぉー。美味しいかった?」

「めっちゃ美味しかったっす!イタリアではカウンターでぐいって飲んですぐ退店す…」

ここで先輩の携帯が鳴った。
そして携帯を見てごめんという仕草をしながら遠くへ消えて行った。

「ふっ。所詮エスプレッソを飲んだことのない男だ。」
そう思いながら業務に戻った。

この世には2種類の男がいるという。
エスプレッソを飲んだことのある男と、飲んだことのない男だ。僕は前者で先輩は後者なのである。
ここの違いは大きく、ローン申請の信用にも関わらずを得ないと筆者は述べる。(先輩にばれてボコボコにされちまえ)

出社して約5時間ほど。
僕はいつものように、トイレにサボりに行った。
トイレは少し暑いが、時間を潰すにはもってこいの場所である。
トイレに入り、個室のドアをガバッと開くと、そこにはズボンを下ろした別の上司の姿があった。最悪なことに、他の人とあまり喋らないタイプの上司であった。
プライベートの会話は僕もしたことがない。

急にドアを開けられた上司は、
「うぃっすー、うぃっすー、さーせん、うぃっすー」
と、焦りからか「うぃっすー」を畳み掛けてきた。
それもそのはず。トイレのドアは内開きではなく、外開きで、ドアを開けられた上司はもうどうすることもできないのだ。
これから先の運命はドアノブを手にした僕が握っている。

ズボンを下ろして何もすることができない上司を上から見下ろすのは、とても心苦しい。
僕がサムライだったなら、いっそのことズバッと上司の首を切り落とし楽にしてあげるだろう。

普段の僕であれば、一緒に焦りながら
「すみませんー!!」
と言ってすぐ逃げている。
しかし、この日の僕は1人でカフェに行き、エスプレッソを飲んでいる。
とても冷静だ。何ならサムライにもなれる。

ドアを開けて「うぃっすーうぃっすー」と言っている上司を見た時、鍵を閉め忘れたのだとすぐに悟った。
しかし、「すみませんー!!!」などと焦って逃げれば上司も僕もちむどんどんして、次に会ったときに気まずくなるだろう。

「御免っ!!!」と言って首を切り落とすのも時代に合ってない。

僕は、子どもの寝顔を確認してドアを閉める親の如く、ゆっくりとドアを閉じた。

「うぃっすー」が段々と小さくなっていくのがわかった。

エスプレッソを飲んでいなかったらと考えるとゾッとする出来事である。

その後は、退社まで何も起こらない平凡な日常であった。
自分のデスクで業務をこなすが、誰かが喋りかけることはなく、タイピングが速くなってるわけでもなく、考えていた面白いと思う企画は却下され、そしてトイレでサボっていた。
一件のメールが入り、開くと宇多田ヒカル全国ツアーの落選メールであった。
エスプレッソを飲んだというのに、思い描いていたキラキラした日常は全くない。

沖縄では湿気の強い季節がやってきた。
脂性肌の人は男性でもクレンジングをした方がいいらしいぞ。

味楽る!ミミカ

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