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おかしのはなし 京菓子と江戸菓子
東西で比較することは何かと多いものです。
和菓子も同じで、桜餅や月見団子など関東と関西で姿形が異なります。
昔、京都の和菓子屋さんで聞いたのは、「京都の菓子は抽象的ではんなりした色合い、東京は具象ではっきりした色合い」とのこと。
ほかでもよく聞く話です。
京都のお菓子は「見立て」、東京のお菓子は「うつし」の文化なのだと。
京菓子なら見た目だけでなく銘を聞いてお菓子を理解するけれど、関東だと見た目の意匠だけでテーマが分かる。
ただ、桜と紅葉だけは例外で、京都でも具象に作られることがあるそうです。
どうしてこのような違いがあるのでしょう。
答えがある訳ではありませんが、私は“文化”の違いだと思っています。
様々な色形で広い表現ができる、お茶席で用いられるような上生菓子の類は、砂糖の普及もあり江戸時代に作られるようになりました。
当時、京都は天皇や公家たちが住まい、都としての長い歴史と文化をもっていました。
茶道の発展と流行もあり、有職故実にこだわる趣味的な要素が菓子にも取り入れられました。
色や形は美しく上品、素朴さの中に品格をもつ、そういったお菓子です。
一方の江戸は、将軍様のお膝元とはいえ、都としての歴史はまだ浅く、菓子といえば大衆的な安価なもの。永い伝統と文化に支えられた京に比べると、上菓子ができる土壌がなかったとも言えます。
もう少し広く、東西の食に関して見ても違いはありました。
例えば、江戸では襖やついたてで仕切る程度で貴賤の区別をせず、ふんだんに盛り付け、少ないことはケチだと言う。買い入れや調理の無駄も気にしなかったといいます。
一方の京は、一見さんはお断り。格式は高く値段に厳しい。茶道の流行から茶懐石による繊細な味覚を尊び、食べられないほどは出さない。合理的で適度な盛り付けをします。
京阪の富裕な商人たちは料理に贅を尽くしたといいますが、贅を尽くした食事が量や豪快さに表れるのではなく、繊細で上品な形に表れるのは、当時の関西における美意識だったのだろうと伺えます。
関西の料理は自然の風味を大切にしたといいます。
特に大阪湾に開けた大阪は自然のものを最高の状態で、京では材料の中から自然を再生するといわれます。これは地理的に材料入手が困難なことも一因かとされています。
自然を、繊細に美しく、まさに上生菓子にも通ずるところです。
この感覚はどうして養われたのか。
そこには、それぞれの地域の文化や歴史、伝統が。
それらを育んだのは、自然環境、そして神道の考え方に行き着くように思います。
和歌や俳句の季節感は日本特有と言われます。
もののあはれ、幽玄、寂、日本の美意識に関して様々なワードがありますが、それらは全て自然の趣が関わっています。
自然、その土地の風土は人の感性に大きく影響するといいます。
都としての長い歴史をもつ関西。関西の人にとって四季の変化はあわただしく、目まぐるしいものと感じられるそう。
港湾に富み、北部は花崗岩が多く山々はふっくらと丸く優美な姿。
繊細で暖かな自然は、新緑の色彩も華やかです。
その風土に育てられた感性は、濃厚な色彩と感覚を養い、自然の華やかさと移ろいが、王朝文学の「あわれ」「かなし」を、大阪の「贅沢」「倹約」を生んだのだろうとも言われます。
そして、これは関西だから見られる自然。
関東の山は荒く険しい姿をしており、自然は高圧的と表現されることも。新緑も単調なのだとか。
そのため、淡白で単調、すっきりとした感覚が育ったとも言われます。
江戸時代、幕府の規制もあって灰色や茶色が流行したが、そもそも江戸の風土的に合っていたという話も聞いたことがあります。
四季の変化など他の国でもある、と思った昔が恥ずかしいくらい、東西で見ただけでも異なるのです。それだけ繊細に自然を感じ取っていたのでしょうか。
そう思うと、この自然への感覚が感性を養っただろうと想像できます。
そして、自然との関係の中から神道が、思想が、感性が生まれ、歴史や文化として長く培われたと思うと、なんとも尊く思えるのです。
上生菓子は日本の自然によって生まれ、育まれた感性によって自然を再現し、いただいている。
日本人でなければ作り得ないものでしょう。
【参考文献】
『和菓子職人 一幸庵 水上力』水上力(2018)
『関東人と関西人 二つの歴史、二つの文化』樋口清之(2015)
『関西と関東』宮本又次(1966)
『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』松岡正剛(2020)