『バイ・ユア・サイド』作者のつぶやき。
皆様のタイムラインを汚してしまうのも残念ですから、どなたかに倣い、こうしてnoteに少し書いてみようかと思います。
では、少しずつ。
執筆記。
夜に書く文章というものは、その影に引っ張られて、暗いお話になってしまうようです。そういう意味では、今大会の劇全体という視点で見てはしまうが、宇東の作品は明るく感じられたのでは無いかと思う一方、これを書いたのは主に夜であったことも同時に思い出されます。
この作品を書いたのは、5、6、7月。ちょうど、演劇部部員たちが夏季演劇研究大会、通称「夏研」に向けて『カラマーゾフの兄弟』の上演の準備をしていた頃です。僕は部員の多くのように付属中の演劇部から上がってきて経験豊富…などではありませんでしたから、一旦脚本が採用されないのならば、私の役目などもほぼ無いようなものであり、またジュニア芸術祭に関してもあまり深く関わるつもりがありませんでした。
去年のジュニア芸術祭のことがぼんやりと頭にありました。『見上げた先の、あれは。』という作品。はりこのトラの穴で公開されておりますので、若しよければ、どうぞ。あの作品は、あの時の私の内面、私の心、私の生き様、それらを、守り、晒し、辱め、戒めるために書いたような作品でした。私が振り向けた闇は深く深く、多くの人に、その棘を刺してしまったようなのです。私がその時渇望していたのは、毒ではありません。毒を追い払い、縋りつきたくなるような、生きる、ということ。
幸にして、今日も、私はこの日を生きています。生きることの価値を、私は、去年、目にすることができたのだから。であるならば、私はその恩にどうして報いませんでしょう。生きること、では、なぜ人は生きるのか、では、なぜ人は生きていかなければならないのか。どう、生きるべきなのか。迷いに迷うこの青春期という時間の中で、その中で不確かなりにも持っている答えを、忘れてしまいたくない。忘れてしまってはならない。そこから、書き始めました。
夜の時間を少しずつ割いて書く中で。幾つものパターン、バッドエンドを含めて、用意しました。8000字近く書き終わってからやめにした脚本の卵は、今回の作品は3つほどあったでしょうか…それらを捨てる決断をしたのも、また夜でした。この風景に相応しいことわざを言うのなら、「Darkest Before Dawn」、ですかね。夜明け前が一番暗いのだと。去年私を突き動かしていたのは私自身だったが、今年は確かに、確かに違ったと思えるのです。それが後輩たちであったか、色々と教えを乞うた先生方であったか、定かではないが、でも、その存在がなければ筆が進むこともまたなかったのです。
書き上がりました。産みの苦しみというものは、やはり大きいとは言いますけれども、同じ苦しみであればやはり上手に産めたほうが嬉しいですので、複雑で難しいお話にしてしまったことに、それに相応しくかけていなかったのではないかと、一抹の不安もあったのは否めません。
では、お楽しみの(?)劇解説パートとなります。
劇解説。
緞帳アップ。
Mrs.GreenAppleの「Dear」をテーマに選ばせていただきました。本当のテーマ曲として用意していたのはヒナタとアシュリー(現 エルスウェア紀行)の「世界にきづいて」です。あまりにも知らない人が多いかと思われ、差し替えを行いました。
今回の大会はJ-Popを持ってくる学校が意外にも数校いましたね。基本歌詞が乗っているとそれに頼っている、またはそれを気にしてしまい劇として集中できない、などと言われるのだが、それでも、少しは、頼りたい時もあるじゃないですか。エンディングの話はまた後で。
今大会、一日目の各校はやはりどの学校も音量が思ったより小さくなってしまったと言っていましたから、仕方がない部分もありますので、お見逃しを。
最初の全員が揃っているシーンです。
このシーンは、卒業式。メンバー全員が胸に花をつけていたのを気づいた人はいますか。そう、後のシーンの翌日です。卒業式を終え、他のメンバーがはけ、最後、源太朗はみんなが行った下手に、皐月だけは上手に、お互いを振り向きながらはけます。このシーン作りをした後輩は結構大胆だなぁと思いました。だってほぼ伏線。無会話で一番最初なので何も飲み込めていない状況下ですけれどね。案外大事なものであったりもするのです。
そして、残った紡(つむ「ぐ」です)が喫茶店の店内を作っていきます。心なしか取り残されたようにも。震える声で、喫茶店のマスターとしてのサービスの練習を始めます。仲間が来るっていうのに、敬語で、ガチガチに緊張しているのは、みんなが帰ってくるからではなく、腹に何かよからぬ考えを隠しているからですね。そして、高校時代の友人のうち、二人が欠席であることが知らされると、一人一人入店してきます。
田中栞。OLで、広告代理店で働く超しごでき女性で、その一方高校時代からやや毒舌な癖があります。水野愛莉。プロスポーツチームの就職を目指したものの、挫折し、ジムのバイトで食い繋いでいる。森崎美雪。推し活が大事で、楽に稼ぎ時間を使うことを目指したものの、それは難しかった。横松琉生。政治家になりたいと本気で思っていたのに、気づいたら親に言われるがままに工学部に進み、就職ではその手の方向に悉く落ち、そして今は中小企業の営業部。全員、高校時代に思い描いていた自分と違い、そのこと自体を忘れて入店してきます。
どうでしょう。弱冠十七歳の私には、まだ28歳など想像もつかない世界の話です。そこを過ぎてしまった人からすれば、やや足りない部分もきっと多いのではないでしょうか。私は演劇部の顧問をして生徒と接したことも、平成の時代を駆け抜けたことも、そんな記憶など、この手元にはなく、同じ土俵の上で戦うのにはあまりにも辛いことも多いが、それでもここでは一旦、高校生時代に描いていた夢がぼんやりとして手の届かないような気のする場所に行ってしまったと思っている大人が集まったものだと見ていただけるとよいです。
さて、再会に際して思い思いに話をすると、どうもやはり二人がいないことでややテンションにかける時間がある。そこで、取り出される、手紙。今回は特別に全文をお送りします。
最後に少し、日本にいないことが暗示されていますが、そのほかは至って、ややロマンチック寄りなラブレター…でしょうか。
大会期間中に某高校顧問のH先生と話す機会があり、その場であらためて自覚したのだが、私はポエミィです。詩。これは訓読みで「うた」とも読みますね、そう言ったものを書きたいとの傾向があるのだと。美しさが欲しいなと。あと、直接的な表現も避けたいなと。これもおいおい書きましょう。
白い封筒に入れ直した(国際郵便で源太郎から届いていたものが転送されて紡が持っている)手紙、そして名前が切り取られています。これは怪しさ満点ですね。考察を始めます。やはり、こんな会に出てくるともいうことで、源太郎と皐月を疑い始めます。そこで、少しずつ昔のことが思い出され、何気ない学校生活なども描かれ、その最後、何やら源太郎と皐月に何かありそうなやりとり。
それでも、推理はなかなか進行せず。そもそもこの手紙の何を解明したいのか紡は言っていませんから、何を推理するともなく、ただ差出人の名前がないからそれを考えてみている、と言った状況にも近いわけで、そうなると推理ものと呼んでくださった観劇者の皆様とはここでお別れのお時間となります。そして、2通目がやってきます。
これまでの手紙2通で大事なこと、それは、「何も進んでいないこと」です。あえてここを気づいてもらえるなんてことは難しかったようでありますから、それはまた変えるかもしれませんが…とりあえず海外にいることは確実でしょう。ですが、彼らの仮説に収まる話で、手掛かりとなる手紙としては非常に無用の長物。ですが、相変わらず彼らは自分の過去を思い出し続けるのです。悪く言えば燃料としてでしょうか。夢中になっています。
少しずつ、源太郎と皐月の関係性が浮かび上がってくる後半部分です。実は、源太郎と皐月は、決してお互いに愛しているとは言いません。好きだとも言いません。アイラブユーとか月が綺麗ですねとかも言いません。なぜでしょう?男女の関係性になると、恋愛、家族愛、そう言ったものばかりが語られるのは皆さんは飽きていませんか?僕が目指していたのは、どっちかというと「友愛」です。なので、恋愛劇だと思った方はこちらでお別れのお時間です。一生に一度の人生を、いろんな場所を巡って生きていきたい、自分の運命を自分で探しにいきたい、そんな2人は、互いを見つけ、そして、世界への一歩を共にすると誓います。それは、決して恋愛ではない。男女の友情を信じますか信じませんか問題っていうのがありますけど、私は友愛は存在すると思っている。そして、その尊さが、美しいと思っています。
さて、怪しく思った彼らに追い詰められた紡は、3通目を取り出します。それは、下手で小島が読んでいる。この辺りで、手紙の「読み手」は「読み手」であるということに気づいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。ちなみに、これらの手紙は結局この日の後に届けられるので、これは舞台上で読んでいる人物のシーンは時系列が外れていますね。それはあまり考えなくてもよいものですけれど。
さて、この手紙でやはり紡が隠していることがあることを確信したメンバーが紡を問い詰めると、紡はあっさりと認めます。この辺りもやはり推理物とは違いますね。そして、生前の皐月が彼の元を訪れ、頼み事をして帰ります。手紙を受け取ること。そしてもう一つは、舞台上ではコショコショ話で観客には聞かせませんでした、何かの、2つのお願い。
真実を知った彼らは悲しみ、そして彼らの並ぶ背中をしかと意識し、帰っていきます。最後、森崎はそれを口にしました。「私さ、なんか、頑張ってみようかな、って思うんだ。自分にとって大事な…何かを追いかけることかな。つまり。推し活。」決して彼らほど重くはない。でも、自分の夢や大事なことを追いかける最初だったり、一歩は、そんなに大きくなくてもいいし、むしろ重く受け止め過ぎてもいけないのです。
最後、皐月の死を知った源太郎からも手紙が届きます。感謝し、歩き続ける…と言った内容。
世界大戦の画家のお話は作り話です。どこでみたという物でもありません。でも、大切な人のことを思うと、そう考えませんか?彼女に死んでほしくない。彼女を守りたい。でも、私がもし死んでしまったら、その私の死に様を彼女に見せるという最大の不幸を浴びせることになる。その2択って選びきれませんよ。夢を共にする人を亡くしてしまいたくないと、私は、強く思います。
10/14、追記。
そういえばラストシーンの音響について触れていませんでした。私が、最後観客の集中が途切れてしまうことを恐れて、美雪と紡がまた明日を言い合った後も音楽を続けさせました。これは後輩にも反対されたほか、観劇していただいた幾人かの方からも同じことを。微妙でしたね。歌詞の力を使ってはいけないとは知ってはいるが、「ここに記す あなたへ」くらいは使っても良いと思ってしまったのです。
10/14、追記。
そういえば審査員の方に、「手紙をもっと短くしろ」との旨をご教授いただきました。難しい物ですね。私なんかは元々小説やエッセイ書きのところから劇に来ている者ですから、もちろん決して物語の内容に手を抜くことは絶対にしませんし、更に言えば、劇を見ていて長く感じるから手紙を短くする、これはその物語がさも劇のために存在するかのような感じを受け、伝えたい物語があるから、劇を作る、そんな私の思想とはやや離れた考え方にはどうしてもなってしまうのです。確かに時間の指定のある劇ですし、その中でフルサイズの手紙を読ませるのは中々にハードルが高い。書き手として…今後の姿勢のあり方をも少し考えねばならないようです。
劇のTips的な。
さて、劇の骨格と周りの肉の話をしていくのですが、これもぼちぼちいきましょう。
まず、喫茶カイコですが、これは審査員は「蚕」にしか触れてませんでしたので、この方含めてこちらでお別れの時間となります。ありがとうございました。
劇中で触れられていたのは、紡が開いた喫茶の名前だから糸繋がりだよね!という物でしたね。
蚕…チョウ目カイコガ科の蛾。開張約4センチメートル。全身灰白色,はねに褐色の帯の入る品種もある。胴の太い割にははねが小さく,飛べない。幼虫は体長7センチメートルほどの白いイモムシで,桑の葉を食べる。繭から絹糸をとるため数千年前から中国で飼育され,のちに世界中に広まり多くの改良品種ができた。
そして、愛理が間違えてしまったのが、「解雇」、と。これはカイコに他の意味もあることを暗示していたつもりでしたが…うーん…伝わりにくい物ですね。そして、他には、以下の意味もありそうではないでしょうか?
回顧…① 過去を振り返ってみること。「歴史を―する」②うしろをふりむくこと。「数十歩にして―すれば少女佇立して目送す」〈花柳春話•純一郎〉〔類義の語に「回想」があるが,「回想」は個人的なかつての体験を主観的に思い出す意を表す。それに対して「回顧」は過去の出来事を客観的かつ歴史的に振り返る意を表す〕
懐古…昔のことをなつかしく思うこと。懐旧。「子供の頃を―する」「―談」「―趣味」
なんと思い出すという意味合いで二つもカイコがあるんですね。これです。
そして、紡、は先ほどのお別れ済みの審査員の方は友情をなんたらと言っておりましたが、僕は「過去と未来を紡ぐ」役割を担っているから紡、なんだとしています。
紡、って不思議な存在でしたよね。夢が叶ったような存在なのに、手紙を出して、ちょっかいを出している。ですけど、劇中、彼は言っているんです。「まだまだだ。」と。その点で、彼もまた見つめているのは皐月と源太郎の背中。そして彼は地道に夢を追い続けて、挫折しながらもちょっとずつ歩みを進めていると思うんですよ。だから、仲人、中間管理職、天使、様々な呼び名があるかもしれませんが、夢を思い出させる伝道師としての役割を彼に期待しました。どうやったら、夢を見失ってしまったかつてのクラスメイトを、もう一度立ち上がらせることができるだろうか?愛莉が「ストーカーじゃないの?」というと即座に否定するシーンも象徴的。紡は紡が見ている背中とクラスメイトたちを交互に見渡し、そして、今回の計画を考えた…もしくは、あの時すでにコショコショ話で皐月が頼んでいたのかも?友人たちに夢を思い返させる、そんな役割として、マスターの任を全うしたと思います。かつての共に時を過ごした高校生時代の友人たちにできる何か、を。もしかしたら、高校生時代は寡黙で夢を大いに語らなかったとまで言える紡だからこそ、今夢を叶えていく最中である中、逆に諦めてしまう彼らを放っては置けなかったのかも、などなど。ただ、人の手紙に対する扱いの粗暴さの説明がないので、それは見ている人に不安を抱かせる要因でもあったかもしれないと思っています…。
題名の「バイ·ユア·サイド」がカタカナなの、ダサいですよね。なんでこうなのか分かります…って聞くと、もうこの時点で気づいていらっしゃる方もいるかなと思うわけで。既にお別れした審査員の方が語ったのは一つだけでした。By Your Side.あなたの隣に。でも、Byって出所を表したりもするわけで、そうなると今度はBy Your Side.あなたの隣から。いやいや、いーー、、e??ということで、Bye, Your Side.あなたの隣、さようなら。先ほどの3通目の手紙の文面に違和感はなかったでしょうか。「ごめんなさい。あなたの隣に、私は自分から別れを告げて。」これが3つ目のByeの適用ケースです。横文字は好きです。そして、平べったい日本語にすると発音が同じになってしまう英単語はもっと好きです。食後のデザートのことを僕は砂漠と呼んでいます。少しはずれたが、こうして題名にも3パターンの意味があったのでした。
10/14、追記。
そう言えば、後輩たちに感謝を伝えなければいけない。自分は中々平日の練習に参加できなかったのです。通し練習以外は、ほぼ顔を見せられなかったし、解釈もできるだけ自分たちで頑張れよと言って投げてしまっていたのもあります。しかし、ここまで辿り着いたのです。非常に立派なこと。心から、ありがとう。…という言葉を、私は後輩(主に女子たち)に中々、面と向かって言えません。なんでしょう。シャイボーイなのですか。できれば言葉にせずとも、グッと抱いて背中をバンバン叩く方式で(テニス部で私は体育会系に育ちましたので)行きたいものはありますが、それをやると警察と後輩らの彼氏くんたちが私の隣でニコニコしていそうなので、しょうがありません。しかし、そう言ったことでしょうか。去年も、今年も、劇中では、はなからメッセージは口に出しませんし、言いたいことを言わないキャラや隠し事をしたキャラばっかりが出てきます。思いを口にするって難しい、としばしば私は思います。だから、あの高校ほどあからさまには僕は言い切ることも憚られますよ。演出、舞台監督を担ったサイトゾル氏や演出から主演までこなした部長のらて氏には感謝しても仕切れない部分があります。でも、そういう気持ちに限っていうのにはまたしても憚られてしまい、心の中で残念に思っていてばかりです。
10/14、追記。批判じゃないですよ。前向きな意思です。
審査員講評や観劇者の感想の中で、「〇〇高校らしい劇で素晴らしかった」との意見が散見されていましたよね。でも、それでは、一生私たちに勝ち目はないな、と。なぜなら、お金や顧問や環境に恵まれて公演を沢山できる学校であれば、それだけ回数を重ねたり有名にもなりますから、らしさ、というものは印象付けられると思いますし、特徴的な校風があればなおのこと、そもそも、バックグラウンド無しで舞台の上に現れたことで勝負せずして演劇が何でしょうか。らしけりゃ良いのか。永遠にそれをおやりになればいい。9校のうち死や命に触れていない日常の作品は数少ないらしいのですが、その見せ方が毎回自校の日常を描いて、人生に悩んでみました、で、あれば、この先大会に多く勝ち進みましょうが、それはとても演劇として残念だと私は個人的には思ったのですよ。しかし一方、宇都宮東高校には、まだまだ個性を多く持った脚本の書ける部員が沢山います。彼らが思い思いに羽を伸ばし、次もまた前回とは違う側面を魅せてくれることでしょう。
10/14、追記。
ちゃんと人間なので、審査の結果に納得がいかない部分も、もちろんありますけれどね。私の代の宇女の演劇部部長は私の幼馴染で、もちろん去年どれだけ頑張っていたのかも幾らかは知っているつもりですし、そうやって去年2校ともに煮湯を飲んだところとして、やはり今回の結果はとても残念でした。舞台美術賞も、創作脚本賞も該当がありませんでしたし、その二つともに宇女が取っても良いのだとすら思っておりましたから、やや心の残ることも少しあれば、すでに幕は降りていたのです。
この他にも、この劇について知りたいことがあれば、TwitterでDMいただくか、この投稿にコメントをお願いします。いくらでも…お答えします。大事な、作品なので。
最後に。
この劇で言いたかったことを総括すると、「夢を追って運命を辿った背中を見て、夢を失ったかつての友人たちが奮起し、明日へと歩き出す」ところに加えて、その「夢を追って運命を辿った」部分も強めに描いた感じでしょうか。
本当に下手くそなので…思っていることをうまく言葉にできないっていうのはやはり苦しさとしてありますし、今回は客席から自分の作品を見ていて、あーすればこーすればをずうううっと思っていました。しかも審査員には真意伝わりませんしね。やはり辛いです。自分の脚本のせいで、って思っちゃうんですよ、どうしても。手紙のシーンが長かったと言われれば、手紙をあれ以上短くしてしまっては劇のための手紙になってしまってそれは本意ではなかったんだが、でも短くすれば県大会に行けたのならいくらでも短くした。ずっと思ってしまう。もっと、もっと、もっと、やればよかったっていうことが、山積みで。
とりあえず、一度、書き終えることにします。では。
おまけ。
『バイ・ユア・サイド』テーマ、ヒナタとアシュリーより、「世界にきづいて」をかけて終わりたいと思います。では、また会う日まで。
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