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『沈黙』もその人の声
今日は友人限定のサークル「家」(なにそれ笑)のメンバーと、「共感散歩」(なにそれ笑)をしました。
4月からサークルを始めて初zoom!
今はメンバーが二人で、わたしのキャパ上とても心地よい感じです。
(わたしのキャパ!!笑)
共感散歩では、
一人には、
「自由」
もう一人には、
「安心」
という言葉(NVCでは『ニーズ』と言います)について、自分が感じることを話し切るまで、話してもらい、こちらも話を遮らず、ただただ相手が「もぉでーへん」ってところまで、聴き切ることをしました。
これって人に共感するとき、寄り添うときにとても大事だとわたしは思っていて、
「あー、なんか聴いてもらっただけやのに、スッキリ!なんかもう解決したみたいやわ♡」
って経験、今までにありませんか?
それはその聴いてくれる人が、とことん話させてくれる、聴き切ってくれているからだと思うんです。
話そうとしているときに、
「あー◯◯っていうこと?」
「◯◯って言いたいの?」
と、途中で遮っていませんが?(それが悪いとかというわけではないですよ!)でも相手が出そうとしてる言葉を、自分の言葉に置き換えてしまうと、それは相手の本当の言葉ではなくなってしまう。
相手が一生懸命、自分の心の奥にある言葉で伝えよう、表現しようとしているのを待つ、表現しようとしているエネルギーを感じる、そして目撃する、立ち会う。
『沈黙』もその人の声。
『沈黙』を聴いてあげる。
今、フッと思ったけど、
出産に立ち会っている夫という感じかも??
赤ちゃんが出てくるのを、生まれくるのを立ち会うように、言葉が出てくるのを、生まれてくるのをただただ傍にいて立ち会うみたいな。
(ちょっと違うかな??わたしの感覚です笑)
そして、そこにジャッジもアドバイスもしない。
(相手がして欲しいときは別です)
「えー、わたしはこう思うけど?」
「それはちょっと間違ってるんちゃう?」
「考え方、変わってんなー。」
「そういうところあるよな」
「いや、それお前が悪いやろ。」
これを言われたときにさっきの、
「あー、なんか聴いてもらっただけやのに、スッキリ!なんかもう解決したみたいやわ♡」
って思えるだろうか?
思える人もいるとは思う。でも、なんかモヤっとしたかんじて終わることはないだろうか?そういうときって、おそらく自分の言葉で話し切れていないと思うんです。
今回、わたしは「自由」と「安心」という言葉を選ばせてもらったんだけど、まさに今世界がこの状況だから。
二人から出てきたイメージや感じていることは、わたしと同じところもあったり、わたしにとって新しい発見であったりするところもあった。二人の心の奥から出てくる言葉を受け取っていると、わたしは心があたたかくなると同時に、二人が今「自由」と「安心」をそう感じていることにキュッとなることもあった。
「自由」に対して、イメージや感じることって70億人いたら70億通りある、「安心」に対して、イメージや感じることって70億人いたら70億通りあるっていうこと、みんなそれぞれの言葉に対して、生まれたときから今に至るまでにいろんな経験をし、心の中で育ててきたんだなって。
それを聴いて、「わたし/あなたはあーだこーだ」と解釈するのではなく、ただただ観察・目撃する。それを二人に体感して欲しくて、今月は「共感散歩」を選びました。あと数回やってみます。
きっと今のコロナの状況の中で、人と関わるときに、この共感散歩でのワークがつながるときがあると思います。
二人とも大変なときに子供たちを抱えながら、貴重な時間をありがとう。
明日は、サラ・ペイトンさんの
『パンデミックによる不安のただなかで、自分と周りを大切にする』
というオンラインワークショップに三時間参加します。
元々、来日される予定だったワークショップがオンラインに代わり、わたしも参加できると思って4日間のうち初日だけですが参加。NVC界隈で、よくお名前は伺っていましたが、実際のワークショップに参加するのは初めて。
サークル『家』(だからなにそれ笑)のメンバーには、リトリートやワークをことをたくさん伝えていきたいので、待っててね!
LOVE♡
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