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わたしがしてきた自虐ネタ…その深いところに気づいたとき…
いやぁー…
これを書くことにもまだ躊躇う自分がいるんだけど。。
守るものなんて何もないんだけど、、、
いや、守りたいものもあるんだけど、、、
わたしがずっとしてきたある『自虐ネタ』のこと。
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・・・と、下書きに書いたまま、
その先に進めなくて何日も保存していた。
先日の『メタルモデル』のこと。
【その「痛み」の奥には、美しい「願い」がある】
一昨日と昨日書いた『恥』のこと。
①【恥は日本特有の文化だと思っていた】
②【心の国境がなくなる】
(↑クリックしたら飛びます♡)
すべてつながるものがある…
と、感じていて…
ヨシ。
そろそろ書きます。
以前、自虐ネタには痛みがあるんじゃないかって書いた。
そう気づいたのは、わたしがずっと自虐ネタにしてきたことがあったから。
それは、
【英語】
でした…
今、こうして書いてるだけでまだなにか恥ずかしさが込み上げてくるし、心はオドオドするし、ちょっとおでこあたりが痛くなるような感覚がある…
ふぅ。。。
書くの辛いな。。。
どうしてこれに気づいたのか?
それは、ある友人とやりとりしていたときのこと。NVCグローバルフェスで英語ができないと含まれないような感じがしていてーと、違和感やもどかしさを話していた。
彼女は以前アメリカに住んでいて、今まで何度も英語に関連するリンクを送ってくれたり、わたしに英語を学ぶ種を撒いてくれていた。わたしはそれに薄々気づきつつもスルーし(笑)、その種に水をあげずに過ごしてきた。
(ごめんね、そしてありがとう♡)
アメリカに住めば住むほど、英語から離れようとする自分がいる。
英語を学ぶ絶好のチャンスの環境である。そんなことはわかっている。でもそのチャンスの環境だったダンススタジオは今年の初めに離れた。そして、その数ヶ月後にはおじいちゃんの英会話教室からも離れた。
「英語は英語が得意な人に任せて、わたしは違うところに時間を費やす方がいい。語学のセンスないし、それは中国語でも痛感したでしょ。中国は3年いたけど、会議とかテレビとか全然聞き取れないままやったやん。単語を覚えるのも本当に苦手やし、そもそも日本語もあまり知らないし、語学に向いていないんだし、そこにたくさんの時間をかけるくらいなら、日本語でNVCを学ぶことに時間をかけて、それを必要とする人たちに届ける。それがいい。」
日に日にそう決心をしていく。
でもそこには心からの喜びのようなものはなく、どこか居心地の悪さがあった。でも、そのときは心地よくない感覚も気づかないフリをしていた。
以前、知人が『凸凹のみんな凸にならなくていいんだよね』ってSNSに載せていたのを見て、「そうだそうだ!わたしにはわたしにしかできないことがある!」とも思ったし、実際それはとても役に立っている。
でも、何かと毎回引っかかってくる【英語】に関する出来事。
そして、友人とのやりとりのそのときも英語のことでやいや言っていた。そんなわたしに、友人が言った次の言葉にわたしは言葉を失った。
「みゆきちゃん、本当はうまくなりたいんじゃない?」
このたった一文に、何か心臓をガシッと掴まれギュッと潰されるような感覚… 心拍数が一気に上がってわたしはすごく動揺した。頭が真っ白になって言葉が出てこなかった。
そして、涙が溢れてきた…
そうか…
そうだったんだ…
友人にはその瞬間の気持ちを受け取ってもらって、その奥にある声に出会えた清々しい気持ちと、それと共に今まで気づかないフリしてきた自分の心の声に対する悲しさや寂しさ… 両方を味わっていた。
でも、そのときに悩んでいた、おそらく10%くらいしか聞き取れないであろうNVCグローバルフェスをポチッとしたんだ。ワクワクした気持ちも芽生えていて、うれしかった。
それからしばらく、まだまだこのことに関して、声にも、言葉にも、文字にも、できなかった。
一体何日経ったのだろう?
そして先日、自分がホールドしているNVCのサークルで、このことについて話してみよう、聴いてもらおうと思った。
喉が詰まるような感覚でまだまだ声に出せないけれど、とにかくうまく言えなくても今のわたしの心にあるものを出してみようって。
そのzoomで集まる数日前から、わたしはどこか緊張していた。言葉にするってことはより深く自覚するということ。そこへのこわさもあった。
わたしは最初に「話したいことがあって、でもまだそれを言葉にすることが怖くて、緊張している」って伝えた。
きっと友人たちもわたしが珍しく緊張していることに緊張したと思う。
「なにか… 出てくるかな…」
と、沈黙のところから始まった記憶がある。
そこからポロ…ポロ…と出てきた言葉たち。何を話したか、わたしはほとんど覚えていなかったんだけど、友人がノートに書き留めてくれていたのをあとから貰った。(ありがとう!)
それを見ながら思い出せる範囲でメモ書きをするんだけど、実際は一言一言、喉から声として出すのにものすごいエネルギーを使った。そして書きながら思い出したこともあるので、追記もしながら書きます。
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自虐ネタは痛みなんじゃないかってnoteに書いた。
アメリカにきて5年。
でも全然英語が話せない。
でも5年もいたらみんな話せるって思っている。
「もうペラペラ?」って言われるのも辛かった。
「ペラペラなわけないやん。留学ちゃうし、育児してるねん… 一日中会話してるの2歳とかやねんで…」と、心で思っていた。と同時に、「お前が学ぼうとしてないだけ!それは言い訳や!」と自分のことも批判していた。
「英語どう?」って言われることにビクビクしていた。
それでも学ぼうとしない自分がいる。
「片言に毛が生えた英語で、ギリギリ生きてまーす笑」
「5年もいるくせに全然喋れませーん笑 でもなんとか生きていけるで♪」
「日本語も知らんし、語学のセンスないねん!中国語も3年もおって上手くならへんかったし!笑」
と、いつも笑って話していた。
英語はできる人に任せればいい、わたしは違うことを学ぶ、そう思っていた。
でもなぜか心地が良くなった。
さらにココ最近はすごく敏感に反応する自分がいる。
そんな中、友人から言われた言葉、
「みゆきちゃん、本当はうまくなりたいんじゃない?」
この言葉を聞いたとき、涙が溢れた。
そうか…
わたしは本当はうまくなりたくて仕方がなかったんだ…
すると、記憶からどんどん呼び起こされる言葉たちが頭に浮かぶ。
「兄妹で一番アホやんな」
「一番頭は悪いけど、行動力はあるよな」
「一番勉強はできひんけど、根性はある」
兄は頭がいい、
姉は頭も運動神経も音楽も美術もいい、
わたしの成績表は… なにもなかった…
「わたしには、なにもない…」
ずっとそう思っていた。
旦那からの言葉、
「フィリピンもおったのに、意外に英語できひんねんな。もっとできると思ってたわ。俺の会社ではお前の嫁は英語も中国語もペラペラやって有名やねんで。」
娘の先生からのメールの返信に、たった数行でもたくさん時間がかかっていたら、
「どんなけ長文打ってんのってくらい時間かかってんな。」
そしてその送ったメールは旦那も見れる。
「これで通じるかな…」
わかっている、彼に悪気がないことも。
こっちでダンスを習っていた時、ダンスは国境を越える、という体験もした。
でもやっぱりみんなが会話の中で笑っていてもわからず、わたしも合わせてニコニコしていた。意識はしていなかったけど、孤独感は消えていなかったんだと思う。
そして去年の末の発表会の時、衣装のことが全然聞き取れていなくて、衣装をみんなで作る時間とか全然わかっていなかった。前日電話が来て「みゆきなにしてるの?」と言われて慌ててスタジオに行き、もう夕方で暗い中、みんなはほぼ作り終わっているときにわたしは必要な葉っぱを集め始め、遅くまで子供たちも付き合わせて、結局飲みに行ってた旦那に抜けてもらって連れて帰ってもらった。
0時ごろ家に帰ると、さらにみんなは前から持っていたものをわたしだけ持っていないものだったことがわかり、買わないといけなかったことに気づいた。泣きながら発表会に出ない人に「貸してください…」って夜中にメールをした。
発表会当日、衣装はなんとかなったものの、その悲しみは抱えたままだった。
そのあと、わたしは理由を探して、スタジオを離れることにした…
人一倍「コミュニケーション」や「心と心がつながること」を大切にしてるわたしには、言葉だけではないとわかっていたとしても、言葉という手段で伝えられないことが、とても大きな壁となり、痛みになっていた。
そして、「わたしはセンスがない、頭が良くない、どうせ上手くならない、中国語の時と一緒、時間がもったいない。」という言葉を自分に投げ続け、自ら学びへのブレーキをかけていた。
—————————————
そんなことを涙を流しながら、心を痛めながら、ひとつ、ひとつ、話させてもらった。
サークルメンバーの二人からもらった言葉たち↓
英語がずっと引っかかっていた。
自虐ネタは悲しみや不甲斐なさから、自分を守っていたんだね。
自虐ネタは傷があるよって気づかせてくれたんだね。
もう自分を傷つけたくないんだね。
その傷をとても大切にしてあげたいんだね。
自分だけじゃなく、英語で含まれない人が一人でもいるといたたまれない気持ちになるんだね。
みゆきちゃんはみんなを守りたいんだね。
自分のことのように痛み、悲しみ、嘆き、怒り…
あたたかいなぁって思ったよ。
コミュニティ
仲間
含まれること
内的なつながり
サポート(英語への)
というニーズが聴こえてきたよ。
家族や旦那さんからの言葉… つらかったよなぁ。。
「やろう」と思えないのは、傷が深くて癒えていないからかもしれないね。
傷が癒えたら学ぼうって心から思えるかな。
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二人ともありがとう。
最近、嘆きを受け止めることに徹することが多くて、自分が「嘆く」場がなかった。このサークルもわたしがファシリテーターだし、ホールドする人だしって思っていたこともあって。
でも本当にmこのサークルがあってよかった。
二人の存在がとても心強く、ありがたかった。
今こうして、わたしを含め三人でとても深い時間を過ごしていて、しばらくはこの三人でさらに探求して行こうと思っているところ。
(「ホッとする家のような空間(Living Roomに改名しようか考え中♡笑)」のサークルの方は、しばらく非公開にする予定です。元々友人限定ですが、何かあったら個別に連絡をくださいね♡)
さて、とても長くなりましたが、自虐ネタは痛みであったというエピソードを書かせていただきました。
これがつながる『恥の4つのコンパス』というのを、明日は書こうと思っています。
わたしも自分の力で気づき、サポートしてもらい、ゆっくり段階を踏んでいます。
見守っていてくださいね。
ではまた明日、ココで。
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