【誰に本当に頼れるか?『自分を支える生態系』を整える。】
昨日のつづき。
ソーヤー海くんのアウトプット二日目。
では早速参ります。
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どうやって【分離の世界】から【共生の世界】に戻っていくのか?
その世界は作れる。
野菜を育てていて、『土壌』が豊かだとなんでもほっといても元気に育つ。でも『土壌』が豊かじゃないと、栄養のないものが育ったり、なにかしら肥料や農薬や手を加えないといけない。すごく育てるのが大変。
それは人間も一緒。
人間の土壌(社会や環境)が豊かじゃないと、元気のない人間になるし、子供を育てるのも大変。だから、みんな肥料(共感とかコーチングとかコミュニティとか)が必要になってくる。
人間も大地とつながり、健康な土があれば、元気に育つ。
僕たちが養われて、いろんな人に助けられて、助け合っていたら、つながりのない人たちのことも自然と助けたり、共感し合えたりする。
でもその豊かな土壌がないと、すごい頑張らないと優しさとか思いやりが切れてしまって、思ってもいないことを言ってしまったり、悲劇を生んだりする。
頑張って優しくなるとか、頑張って人を助ける、癒すとかではなくて、頑張らずにそれが自然にできる豊かな土壌をどうつくっていくか。
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ほんとだなぁ。
「余白」「余裕」がないってよくいうけれど、そもそも環境(土壌)が整っていないと余白や余裕は生まれない。
わたしの場合はコロナ前の方が、ほとんどワンオペで育児で余裕がなかった。コロナになり、夫がずっと家にいてくれるようになってからの方が、誰かに貢献したいって自然と思えるようになり、サークルも作った。
当時は無意識だったけれど、豊かな土壌がない中で「頑張って」誰かの話を聞いたり、共感をしたりしていたときは、疲弊したし、それは自分のためも相手のためにもならなかった。
そして今もサークルは超少人数(わたしを含めて3人と4人の二つのサークル)にしている。これももっと土壌が豊かになったら広げられるかもしれないが、今はそれくらいがちょうどよい。
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(つづき)
生きていると必ず、苦手な人って出てくる。一緒に活動していきたいのに嫌な奴って出てくる。それを不思議なゲームとして僕は捉えている。
自分の中の嫌な感情、
「なんで嫌なの?」
これを、
「わたしの観察と成長・変容のチャンス!」
とウェルカムしたい。
でも余裕がない時は、切り離す時もある。
「全員といつも仲良くしないといけない」
「みんなといつも平和でいないといけない」
「常に自分はすべての人たちを受け入れて、思いやりを持たないといけない」
というような【なねばらない】とならないようにする。
それは自分に対しての暴力となる。
できない自分も受け入れる。
でも変わりたい自分もいる、そこも受け入れる。
でも今はキャパがないから、
キャパのない自分に思いやりを注ごう。
その思いやりを注げば注ぐほど、
自分のコップがどんどん満たされていって、
自然に少しずつ自分が苦手な人と接しやすくなったりする。
常に自分にやさしく、
そのやさしさの土壌から、
他の人にやさしくなれるパワーをいただく。
ストイックに「平和活動するんだったら常に平和でいないと!」と、疲弊したことがある。それは、自分のためにはならないし、周りのためにもならなかったから、もう少し優しいアプローチを選ぼう、それをみんなも選べたらみんなも豊かになるんじゃない?
誰かに対して、何かに対して「痛み」を持った時、「わぁー♡ウェルカム!」と招く。
そしてまたお腹いっぱいになったら、その痛みに「また再会しようね!」って距離をあけたりする【柔軟さ】を大切にする。
常にいろんな選択肢があって、常に自分が養われるものを選択・実験をする。何がいいかなんて分からないから。
こうして好奇心があると、それは学びのものになる。
失敗というものは存在しない。
すべては学び。
子供がころんでころんで歩けるようになるように。
期待している結果と違うものが生まれたとき、そこに美しい意図があったこと、勇気を持って踏み出した自分を盛大にお祝いする。
未知の世界に踏み出し続けられる自分がいれば、新たな道が見つかる。でも怖くなって自己評価と外からの評価に押しつぶされていくと、新しいことがやりづらくなっていって留まってします。
なるべく優しく。
自分に優しくする練習。
これが燃える尽きることとか、痛みとか怒りのためのいい方法。
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「常に調和」
「常に平和」
「常に相手への思いやり」
これにわたしは本当についついつい最近まで縛られていました。いや、自分自身で縛っていました。まさに海くんの言う「ねばならない」。
コップの水がもうないのに、コップをふってふって、一滴、また一滴って。
わたしは【つながり】を本当に大事にしたいだけに、つながれない時の悲しみや苦しさ、焦りからくる「痛み」はいつも本当に本当に大きかった。
だから、なんとか苦手な人とも繋がろうとしていた。NVCをはじめて一年くらいは特にそうだったかもしれない。
どれだけ先に「自己共感だよ」って言われても、「どんな言動にも相手の奥にはニーズがあるんだ!」って。こっちはもうボロボロなのに自分に寄り添うことは置いておいて「頑張って」いた。
これは自分への暴力。
そして、今は海の言うように、その人や痛みに「また再会しようね!」って距離をあけられるようになっている。
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(つづき)
パーマカルチャーも、NVCも、マインドフルネスもとにかく【観察】がめちゃくちゃ大切。
(「観察」について過去に書いたものを載せています。ご参考まで↓)
「知っている」と思ったら見えなくなるものがいっぱいあるから、「常に知らないものがいっぱい」という前提で、何が起きているのかを観察し続けて好奇心を持ち続ける。
パートナーシップでも一緒。
「この人はこういう人だから、これを言ったら・・・」
この状態では好奇心が失われてしまって、つながりができにくい土壌ができている。
知らないことがまだいっぱいある、そう思うことで相手を知ろうとするつながろうとする努力が生まれる。
自分にとって何が余裕につながるか、を探求する。
頼れる人たちがいることがいるのは大事。
【自分を支える生態系】を整える。
特にコロナで人との接し方がすごいスピードで変わっている。
誰に本当に頼れるか。
病気になっても、鬱になっても、絶対支えてくれるって思える人たち。
そこを明確にして、そこにエネルギーを注ぐ。
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今日はここまで。
誰に「本当に」頼れるか?
って、みなさんどうですか?
病気になっても、鬱になっても、絶対に支えてくれるって思える人たち。自分自身も迷惑だなんて思わない、わたし結構ここが刺さって、いろんな人の顔を浮かべています。
あー、あのコミュニティではないかもしれない、あのつながりの人たちとは本気で支え合いたい、大切にしたい。んーそことはこれ以上深くなる感覚はないかもだなぁ。
【自分を支える生態系】を整える。
それがどれだけわたしにとって、安心安全であり、豊かな土壌となるか。
もちろん、わたしが豊かな土壌づくりをすることで、そこでつながる人たちにとっても安心・安全な土壌となるかもしれないし、それはまた波紋のように広がっていくと信じている。
世界中が豊かな土壌になれるように。
わたしはわたしの周りから整える。
では、つづきはまた明日ココで♡
ハートフルな一日を♡
循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡