カリフォルニアロックダウン生活はつづく
今週末シャスタ山で日本の方の主催のリトリートに参加する予定だった。
先日書いたのですが、わたしは運転があまりできないので、片道5時間のシャスタまで夫が運転してくれ、リトリート中の三日間別のホテルに泊まって子供たちと過ごしていてくれる、という感謝とリスペクトしかない「協力」をしてもらう予定だった。
「だった」
ということで、結論から言うと、リトリートはキャンセルになりました。
それは昨日またこの地域は規制が厳しくなり、わたしの住むサンタクララカウンティから外のカウンティへ行った場合、帰ってきたときに14日間自主隔離になったから。
当初は、それでもリトリートは開催される予定で、わたしは悩みながらも「みゆきが行きたいなら行ったらいいやん。こっちに気をつかう必要はないよ。」と夫が言ってくれるので、行くつもりにはしていた。
でも一緒に行く予定だった夫の友人はキャンセル。そうしてもらえたことにホッとする自分もいた。じゃあ夫たちが泊まるところを、もう少し安くて小さい場所に取り直そうかってまた時間作って探し始めてくれたりして…
リトリート自体には行きたい。
でも家族を想うと決して心地はよくない。
やっぱり何かが引っかかる。。
わたし一人ならなんとでもなる。
でも運転ができないことで家族も連れて行って、みんなが2週間隔離になると夫はゴルフにも行けなくなるし、娘はプリスクールにも行けない、子供たちが楽しみにしている友達とのクリスマスクッキー作りもできないかもしれない…
「協力してもらう」
という感覚から、
「巻き込んでしまっている」
という感覚にだんだんなっていった。
【今、わたしが本当に大切にしたいものはなに?】
と自分の心に問いかける。
それは迷いなく『家族の身体と心の健康』。
もう答えは出てるよなぁと思いつつも、
どこへでもいける自由さがまた失われたようで、
でもそもそもみんな自由だし、自由でいいやんって思う自分もいたり、
人間が人間を隔離するって不自然だよなぁ、って思ったり。
9ヶ月続いているこの生活も正直そろそろしんどいよなぁ、
なんでも自分で選択していいよなぁ、
シャスタに行った方が心身ともに健やかになるよなぁ、と思ったり。
でも万が一家族が感染したとか、
さらにわたしたち家族から誰かが感染したんじゃないかみたいな噂がたった日には、
そんな悲しいことはないよなぁ…と思ったり。
などなど、思考(脳)と感情(心)の対話対話で、いろんな気持ちがぐーるぐるぐーるぐるしていた。「心で考える」のが結局選ぶものであったりするんだけれど。
とりあえず、誰かの車に乗せてもらえないだろうか?運転はできないけれど。。最後そこに甘えてみよう、そこで無理なら決断しようと思って問い合わせたら、その返事が「キャンセルになった」というものだった。キャンセルというかあたたかい季節までひとまず延期って感じかな。
なんかすごーーーーーーーーく、
ホッ・・・としたんだよね。
もちろん残念な気持ちもなかったわけではないけれどね。
と同時に、主催される方もこの決断をされるのは本当に心が痛んだだろうし、そのすごく残念な気持ちも伝わってきたし、参加者への寄り添う気持ちも文章に溢れていたし、代わりに青空ヨガしましょうって声をかけてくださったり、それはそれでとてもあたたかい気持ちになった。
なにかをしたいときって家族の協力は不可欠なんだけど、「協力」と思えるか「巻き込んでいる」「迷惑をかけている」と思うかってそのときの状況によって大きく変わる。
どっちと捉えるかも、全部自分次第なんだけど、このたった数日でもこんなにもわたしの内側が変化し、アタフタするのかーって。アタフタしないくらいどっしり構えていたいけれど、これもそのまんまのわたし、等身大の今のわたしだ。すきなだけアタフタしたらよい。
ということで、散々アタフタしながら、今回はキャンセルです!!
しかし今回行くってなった時に、子供たちの成長には驚いた。
当初シャスタにまだ行く予定だったとき、子供たちが「お母さん合宿?へぇー!NVC?いってらっしゃーい!」と言って夫とシャスタでなにするかワイワイ決め始めたのだ。
4歳娘も「お母さんいないけど大丈夫?」って父に聞かれても「うんっ!!おとーしゃん夜はトランプしよー♪」となんならワクワクしている様子。
ちょっとそっちの輪に入りたくなるくらい、めっちゃ楽しそうだ。笑
去年のちょうど今は広島リトリートで10日間いなかった。大泣きしてそれはそれはもう大変だったんだけれど、その数ヶ月後のプペルの舞台が見たくて1泊弾丸で帰った時は「もう泣かないよ!いってらっしゃーい!」と送り出してくれたし、不在の3日間も終始ご機嫌だったらしく、帰ったら「もう帰ってきた!はっや!」って言われたんだよね。笑
母親がいなくてもワイワイできるくらいの父親と子供達との関係性、その絆や信頼、つながりがありがたい。
で、そんな今日は、家族で私のお誕生日のお祝い♡
昨日の夜から息子たちがせっせとなにやら二段ベットの上で折り紙を折っていて、「お母さんはこっちが好きだよ!」とかが聞こえてくる。もう寝る時間がとっくに過ぎているのに「早く寝なさぁーいっ!」とはさすがに言えない母。笑
朝も夫と子供たちが先に起きてゴソゴソしていて、わたしは起きていいのか、まだ布団に入っていた方がいいのかをモゾモゾモゾ。。
でも朝ごはん作る時間ギリギリになったので起きたものの、まだ作業真っ只中で、見ないように気づかないフリして朝ごはん作るの大変だった。笑
そんな時間も愛おしい♡
壁にメッセージつきの折り紙をペタペタ貼ってくれて、夜は夫がお鍋を買い出しから準備までしてくれて、ケーキも買ってきてくれて。。
普段、わたしは日系スーパーでしか鍋の具材は買わないから、旦那のチョイスが・・・
小肥羊のスープに鱼丸に面筋に木耳… めちゃくちゃ懐かしい鍋で、中国語見て買い揃えてくるのはさすがだった。(わたし食材の中国語覚えんの苦手やったからムリ…笑) しかもめっちゃくちゃ美味しいっ!!
堂々と37!
最近年齢を隠す理由もわからなくなってきた。笑
何歳でもロックである。
そもそも、カレンダーとか日時とかの感覚がなかった時代は「誕生日」なんて誰も覚えられなかったのでは?
「1年が約365日かけて巡ると初めて発見したのは、今から約6000年前の古代エジプトの人びとだといわれているよ。」↓
(キッズ向けじゃないと理解できない人)
ということは、誕生日というのもまだまだ新しい概念だよね?
アメリカに来てから感じたのは、子供だけでなく、大人も誕生日をとっても大切にしているということ。みんなでパーティーしたり、ディナーしたり。
宗教的なものとか、それだけ豊かなんだということもあると思うけど。
(日本は父親世代とかは小さい頃に、誕生日にケーキ買ってお祝いなんてなかったはず?子供がお誕生日をお祝いしてもらえるってきっとわたしたち世代くらいからなのかなぁ。)
歳を重ねるのはイヤだーとか、もうそんなん祝っていらんわー!みたいな雰囲気も残っている?? でも、歳を重ねるってそれだけ365日分どんな経験にせよ、重ねているってことだよなー。
経験を重ねていなくても、いつでもクリエイティブなのは子供たちと若者だけど!!ほんとリスペクトだ。
ただ、アメリカの人たちのように、こうして何歳になっても命が誕生した奇跡の日をみんなで楽しく祝福するって素敵だなぁって感じた。
わたしたちも、これからも盛大にではなくていいけれど、一年一年誕生日を迎えられることを大切にし、楽しくお祝いしていきたいなぁって感じた一日でした。
みんな、ありがとう♡
ではでは、今日もハートフルな一日を♡
また明日ココで♡
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