「リードしたり、後ろを歩いたりすることでもなく、肩と肩を並べて共に歩くこと。」
明日は訳あって、夜中に起きます。
またそのことについて、できたら(できたら!)明日アウトプットします。
なので、今日はもう寝ます。
ふたつだけ。
昨日の日記で珈琲案が好評なのですが、我が家の案ではなく、友達家族の案です。笑
その友人のお子さんの父の日のプレゼントも、プレゼントなのにお金が発生するというおもしろいシステムで笑った。笑
そうやって考える力がすごいなぁー。
そういえば、最初にわたしが買ってきた珈琲は、2種類ありました。
①お湯注ぐだけのインスタントコーヒー
②豆のままで手動でのミルしないといけない、ソーサーやらなんやら準備もいるハンドドリップ
①は1ドル
②は2ドル
で売ることができる。
息子は迷うことなく2ドルという目先の数字で②を選びました。笑
ノートに準備する道具や淹れ方をメモさせて、二回目からはノート見ながら準備。もう今は全部覚えた。途中でめんどくさーい!って投げ出すかなぁと思ったけど、意外と続いている。
設備(ソーサーやフィルターやミルなど)は元々家にあったものだし、豆代しかかかっていないんだけど、これにも本当は珈琲屋さんが買って準備するんだよって少しずつ伝えていこう。
もうひとつ。
NVCフェスのロバートゴンザレスの動画を半分くらい見ていて、心に届いたことをメモ書きを書き留めておきます。
—————————————
・(NVCを通して)人々が変容していく美しさ。
・プレッシャーのある場所からは、思いやりが失われる。
・生きるということは、絶え間ない繊細な変化の連続、繊細な旅。
・(講座を受ける中で、自分への恥ずかしさを感じた参加者へ対して、ロバートが言った言葉)羞恥心や罪の意識を刺激しようとしているのではなく、自覚・気づきを刺激しようとしている。
・共感的な存在感を持って、相手をサポートしながらプロセスを歩んでいく。そのプロセスの中で、私は相手と共にいる。
・コンパッションは「共に歩く」ということ。肩を並べて。リードしたり、後ろを歩いたりすることでもなく、肩と肩を並べて共に歩くこと。
・外の世界の体験と、自分の中の思考を区別する手助けをしているだけ。スキルは本人が築いていく。
・相手が抜け出すことができない状態だ、と判断しない。
・その人たちの存在の質、その人たちの心、その人たちの全体性であって、その人たちの『問題』だとか、そういう風に見ることはできない。
・自然な痛み、悲しみと嘆きに自分自身を同調させる。
・『無邪気さ』に会いたい。
————————————-
なかなか心が「自覚」「気づき」で溢れています。
(羞恥心や罪意識って思ってしまうこともあるけれど、「自覚」と「気づき」でありたいという想いも込めて、そう書きます)
参加者からの言葉の、
コンパッション((救いたいと願う)思いやり、慈悲と慈愛。)は「共に歩く」ということ。肩を並べて。リードしたり、後ろを歩いたりすることでもなく、肩と肩を並べて共に歩くこと。
ってめちゃくちゃすきだなぁ。
ココ最近わたしが常に意識をしていることで、実践を試みていることでもある。
あ、寝なきゃ。
ではでは、おやすみなさい。
また明日、ココで。
循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡