【このパンデミックの状況の中、とてもDeepな共感を体感し、わたしは生き還った】
ちょっと死にかけていました。
あまり表情が作れなくなっていた。
でも生き還った。
驚くほど身体が軽くなった。
声に出すこと、
そして、
深い共感によって。
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わたしが一年半ほど前に出会い、
探求し続けている『共感』。
例えば(いきなり例え話)、、、
Aさんには好きな人がいる。
話したことはない。
その好きな人がある映画の話をしていた。
Aさんはその映画を観に行こうと思ってチケットを買った。
でもコロナで映画館は閉鎖…
その映画を観ることができなかった…
(今、自分でフッと思い浮かんだ例なのに、6行書いただけですでに胸が締め付けられるワタシ。。笑)
そんなときに、親友Bから深い共感を受けるという体験をした。
Bは、
「あー、それは観たかったねー。。」
だけでは終わらなかった。
Bの声・言葉は、Aのもっと奥まで入ってきた。
なぜだかよくわからない。
何なのかよくわからない。
でも、グッ…と胸の奥に入ってきた。
「その映画を観れたら、あの人と同じ映画を観れたら、Aはうれしかったんだよね。」
うん、そう、同じものを観れるだけでうれしかった。
「同じものを共有できたような喜び、そして、何か彼に少し近づけるような、近づけるかもしれない、っていう想いがあったのかな…」
うん、そう、そうなの。少しでも近づけるかもしれない…ってどこかで思ってたの。
「もしかしたら、あの人と話せるきっかけになるかもしれない、もしかしたら、あの人とつながれるかもしれない… もう見てるだけはいやだ… 本当は彼に話しかけたい… 本当は彼とつながりたい… そんな願いがあったのかな…?」
そうなの… やっと話せるかもしれないって思ったの… そのキッカケができたような気がしてうれしかったの…でも観に行けなくなっちゃった… コロナでいつ観れるようになるかわからない…
うん、そうなの… 本当は話したい… 見てるだけでいいと思ってた… いや、思おうとしてた… でももう遠くから見てるだけじゃ辛いの… わたし、彼とつながりたいの…
Aの目から涙が溢れた。
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ハイ、作り話です。
(こういういろんな例え話で練習してみるの、サークルでやってみよかな。)
ひとつ… ふたつ…みっつ…と奥の奥まで、自分の奥底まで探求していく、掘り下げていく。(※(太字)はニーズ↓)
映画を見たかった
↓
それは彼と同じものを体験したかった(共有)
↓
彼の存在に近づけるかもしれない(親しさ)
↓
話しかけられるかもしれない(コミュニケーション・前進)
↓
本当はつながりたい(つながり)
他にもわたしがAさんから聞こえてきたニーズは、
(自分で作った話やのに!笑)
見てもらえること
正直であること
勇気
希望
でした。
「本当は自分の存在を見てもらいたいんだね」
「自分に正直になりたいのかな?」
「映画を見ることで、話しかける勇気が欲しかったのかな?」
「近づけるかもしれない、そんな希望を持ちたかったのかな?」
そのようなこともAさんの心に問いかけていたかもしれない。
奥の奥にある声を探してあげる、発見してあげる、聴いてあげる。
これを誰かと一緒に探求すると、自分では気づかなかった心の奥にある声に気づいたり、自分の心の奥の奥とつながれたりする。
これ、ほ・ん・と、
わぁーーーーーーーーー♡
ひーーーーーーーーーーー
うぉーーーーーーーーー!!
すげーーーーーーーーー!!
ガビーーーーーーーーーン!!
(最後だけ年代がバレる)
ってどう感じるかは人それぞれなんだけど、あれは何度経験しても感動する。
そう、自分でも見えていなかった奥底にあるものに気づけたときのあの感覚。
自分をやさしく抱きしめたくなるようなあの感覚。
それをわたし自身も、
昨日また体感することができた。
では、その話をしていきたいと思います。
(え?まだあるの!?あと半分だから頑張ってー♡でももちろん無理はしないで!!)
さて、今、受けているせいちゃんのNVC(共感コミュニケーション)の講座。
(せいちゃんの毎回コミュニティをホールドするエネルギーに脱帽しております。めっちゃ吸収しているつもり。(たぶん笑) 共感スキルを磨きつつ、コミュニティをホールドする人、超絶オススメです。)
この講座で学んだことを、さらに深めるように実践する宿題があります。わたしは基本宿題はキライやけど、この宿題はすき♡(わがままか笑)だって自分の奥底にある声に出会えるってわかっているから。
宿題は、
【共感バディ】
ん?相棒??
なぁにそれ??笑
(わたしはこの名前に馴染むまで結〜構、時間がかかりました笑)
簡単に説明すると、まさに前半に書いたAとB。二人組になり、順番に最近あった出来事(できればネガティブ要素なもの、イライラとかモヤモヤとか悲しみとか消化できていないもの)を話し、NVCを持って共感をし合うというもの。
わたしが昨日話した内容これでした↓
(昨日書いたnoteと被るところがあります)
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ロックダウンまもなく2ヶ月。
人間が人間に命令をしたら家から出られなくすることができる世界なんだ…
人から離れろ、触れるな、しゃべるな、関わるなって命令したら、その世界が現実となってしまうんだ…
そんな世界や人間にこわさを感じ始めていた。
人間としての心を失っていく感覚を一日一日、わたし自身も体感している。
どこかの国の孤児院で、オムツは替える、ミルクや食べ物は与える、でも笑顔を向けない、話しかけない、コミュニケーションを一切取らないというという研究があった、誰にも声をかけてもらえない赤ちゃんは数ヶ月から数年で全員死んでしまったって聞いたことがある。
そんな恐ろしいことをしてしまう人間も怖い…
亡くなった小さな命を想うと心が痛くて本当に苦しい…
でも今まさに同じようなことは起こっているのではないか?
人は人と触れ合っていかないと生きていけない…
というのを、今、とても痛感している。
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という話をしたのでした。
そこで私のバディの方がいくつかのニーズを出してくれた。
安心
相互依存
信頼
触れ合い
選択
受け入れること
希望
命の祝福
自由
理解すること
など。
その中からわたしが一番大切だと選んだのは、
【信頼】
でした。
【信頼】という言葉が出てきたとき、胸がギュッとなり、思わず大きく息を吸って、ちょっと身体が震えて、ふぅぅぅぅーーーと吐き出した。
そう、信頼…
わたしは…
人を信じたいんだ…
ロックダウンの命令をする人たちの家族のこと、取り巻く環境や、生活を知りたい、そして理解したい。
ロックダウン命令に関わらず外へ出て過ごしている人たちを取り巻く環境や、その人のその人生を知って、理解したい。
そして、どんな選択をしている人も、その人たち一人一人の存在・命を大切にしたい、信じたい。
人を信じたいんだ。
わたしも最初は守りたい自分の親のことや大切にしたい人たちのことが頭にあり「みんな外に出ないでー!」って思っていたし、発信もしていた。あのときはそれがわたしの最善の行動だった。
でも1ヶ月経ち・・・
まもなく2ヶ月・・・
この1ヶ月くらい、ずっと「なんなんだろう?この感覚?」と思っていた。
胸全体、肺や心臓あたりが靄(モヤって漢字、はじめまして。)がかかっていたような感覚で見えない。日に日に身体は重くなり、だるい、そして表情を作るのもしんどくなってしまっていた。
でも、昨日の共感バディで聴こえた。
わたしの心の奥にある声が聴こえた。
『すべての人・命をわたしは大切にしたい、信じたい』
安倍さんだってそう、どんなことを発言している人だってそう、そしてわたしはわたし自身も信じたいんだ。
zoomを切ったあと、肺・心臓のあたりは、驚くほどスッキリとしていた。
ここ最近で身体が一番軽くなって、よく眠れたし、朝もスッキリ目覚めた。
日頃、文章で書くことで自分のことを掘り下げて自己共感をしたり、書くことで心と頭を整えるということをしているんだけど、やはり、その頭や心にあるものを文字として言語化するだけでなく、
「声として出す力はすごい!」
を改めて体感した。
声ってその人の奏でる『音』だと思う。
音の力。
わたしの場合、声に出す方がめちゃくちゃエネルギーも使うし、難しい!
でも、視覚で表情を見て、聴覚で声を聴くと、文字だけで共感し合うよりもまた違った質の共感に出会える。
他にもハッと気づいたことはあったし、昨日の共感バディから今日がどれだけ心地良い一日になったかを書きたいんだけど、今日はもうこの辺でおやすみなさい。
では、また明日♡