『ただお互いを愛しているから、お互いに何かをやる』
昨日のつづき。
Roxyの言葉は、こうだった。
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「わたしが悲しいのはね、子供が学校では何か報酬をもらえる時だけ、良いことをするということ。
そうすると、子供が『ただ楽しいからやる!』ということをやめてしまうんじゃないか…
ということを心配しているの。
家ではね、
『ただ楽しいからやる!ということをあなたには是非やって欲しいの。』
と、伝える。
そういう温度を家の中では作りたいの。
家の中では、
『ただお互いを愛しているから、お互いに何かをやる』
ということを大切にしたい。
いつでもあなたにとって『何が大切で、何が必要か』ということを聞きたい。
なぜなら、それをあなたにあげることが、わたしにとって喜びだから。
あなたができるときに、いつでも私を助けたいんだ、って思ってくれていることを知っているよ。
そのメッセージをずーっと伝え続けるの。
子供はとても賢いので、あーこれは学校でのルール、これは家でのルールなんだなってわかる。
ただね、起こりうることは、
学校での起こっていることによって、しばらくお手伝いをしなくなるかもしれない。
なぜかというと、そこに動機付けるものがないから。
本当に強制するんじゃない、というところにずっと頑張り続けていると、再び自分の喜びとつながる。
これは本当に可能なんです。
私の子供たちもそのようなシステムがいっぱいの公立の学校に行っていたから。
私の子供たちは、学校に行ったらとにかく学校で必要な最小限のことをやって、家では「お母さんが喜んでくれるから、家の掃き掃除をするわ!」と言ってくれた。
私がお願いしなくても、そうだったの。
私にとって、何が大切か、ということにつながっていてくれたから。」
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はぁ。。。
心があたたまる。。。
報酬が欲しいからする、
罰を受けるのが嫌だからする、
ではなくて、
自分が楽しいからしたい、
誰かの役に立ちたいからしたい、
貢献したい、
そして、それを『喜び』でして欲しい。
そう、わたしの中にずっとあるもの。
この子たちが生まれたときからNVCを知っていたら…
と、何度も思ったことがある。
そしたらあのとき、息子の小さな心にたくさんの傷をつけずに済んだかもしれない… 彼がいわゆる良い子ではなく、もっと自分を大切にして、伸び伸びとらしく成長していたかもしれない…
わたしは、まだまだそこの痛みに苦しんでいるんだ。。
でも、何事にもそれぞれのタイミングがあるし、そういう経験があるからこそ、これに出会えたときの喜びやありがたさを噛み締めることもできたりするんだけどね。
今からでも遅くない。
『遅い』なんてものはない。
と、自分にも言い聞かせる。
少しずつ少しずつ、ゆっくりゆっくり。
勇気を出して質問してよかった。
Roxy、ありがとう。
彼女から、受け取ったものはまだまだたくさんある。
思わず涙が溢れたことも。
またゆっくりアウトプットしていこう。