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表裏一体
恐怖心と好奇心について考える出来事があったので。
“スマホのカメラレンズを向けられること”と“男性に触れられること”が怖いです。しかし同時になぜ怖いのか?と考えたくなってしまいます。
・スマホのカメラレンズ
人が見たいものを見ることが出来るスマホは、時には凶器にもなります。無機質で感情がないからこそ、人の意思によってその瞬間を残すことも出来るのがとても便利ですよね。
スマホのカメラレンズは個人的に人間の視線だと思っています。どう考えても今は1人なのに、見られているという感覚に無意識になってしまうから怖いのではないかと考えています。人の視線はある意味抑圧だと思っているので、抑圧が大嫌いな私にとってレンズは最悪です。でもレンズを向けられる度、“今”なぜ怖いのか?という好奇心ゆえの思考がめちゃくちゃ楽しいのです。毎回違うので。
・男性への恐怖心
まずはこれを読んでくれてる男性の皆様すみません… 私の過去のトラウマによる恐怖なので、全員当てはまりますが全員当てはまりません。攻撃するつもりはないことをご理解いただけると幸いです。
これに関しては勝手な自分ルールが存在しますが、怖いものは怖いし、正直生きることより怖いです。なぜ怖いのか?なんて答えは明確で、まずはそれを少しずつ払拭していかないといけません。でもなぜこの人なら大丈夫と思えるのか毎回考えます。毎回違う答えが出るけども、共通しているのは“大丈夫というだけで安心しているわけではない”ということです。あ、なるほど、安心を私は求めているんだなと今書きながらわかってちょっとすっきりしました。思考を誰かに話すことで自分が納得することなんてあるあるですからね〜
・好奇心と恐怖心
知りたいと思って進んでも、想像とは裏腹に知りたくなかったことまで知ってしまうのはよくありますよね。視線が怖いなんて私が1番人間のことを知りたくて視線を送っているのに。トラウマなんて言うけど好奇心で突っ込んで行ったのは私自身のはずなのに。好奇心が膨らんだ結果恐怖心が生まれることもあるんじゃないかと思います。怖いからやめてくださいなんてエゴの押し付けなので、誰かのせいではなく結局本質的には自分が悪いのです。アドラー心理学ではこれを原因論って言ってたような気がします。だから好奇心と恐怖心は表裏一体なんじゃないかなぁと思います。
そんなことを考えまくったいい1日だったな。