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文章で生きるか、文章を書いて生きるか

遅ればせながら、年が明けましたね。毎年懲りずに「今年の抱負」を掲げる時期がわたしにとっての1月。それは今年も然り。

たかが前の年の12月31日から数時間(もしくは数秒)経っただけの1月1日になると、「新しい年」という響きだけで、なんだか新鮮で神聖な気持ちになる。お正月は大抵祖母の家で過ごすから、盆地の寒い朝の刺すような冷たい空気が余計に、わたしをそんな気持ちにさせるのかもしれない。

元旦の新しい冷たい空気に包まれていると、今年こそは何でもできるんじゃないかという気になってくる。それで毎年、ものすごくたくさんの目標を設定する。おかげさまで、年明けに再会した友人たちに「今年の抱負はなあに?」と聞かれる時には既に「えっとねえ…」と言いながら手帳のメモを見返してしまうくらいには、全然覚えられない。あっという間に忘れてしまう。

そんな反省を今年こそ生かし、2019年の抱負は友人のものをそのままいただいて、一つだけに決めた。「イライラしない」。新社会人になる(はず)の今年は、今までのように居心地のいい場所にだけ留まっているわけにはいかない。理不尽なことにぶち当たる可能性だって、ある(おかしいと思ったら声を上げる姿勢は持ち続けたいけれど)。そんな時、イライラしてしまうのは、エネルギーがちょっともったいない。せめてそれを、悲しみとか怒りに変換させたい。悲しみや怒りは前向きな原動力となりうるけれど、イライラは原動力になるとしたらネガティブなものだ。貴重な二十代前半をそんなことに時間を費やしている暇はない。わたしはゆるっと全力で生きるぞ!

今年の抱負を一つに絞った代わりに、生まれてこのかた殆どの年数持ち続けてきた「学生」というステータスから「社会人」にシフトする直前である今思う、人生でやりたいことについて考えてみた。

やっぱり外せないのは、書き続けること。これだけはどうやっても諦められる気がしない。そもそも諦める必要がない。なんて素敵な夢なんだろう!デビューするかとか有名になるとか、そういうことにこだわりさえしなければ、誰でも物書きになれる。「夢が叶う」この事実にいつだってうっとりしてしまう。ああ、わたしは本当に自分のこの夢を愛しているわ!

文章で生きていきたいとは思わない。もちろん、それが叶うならそんな素敵なことはないと思うけれど。

わたしは、文章を書いて生きていきたい。

文章で生きると決めたら、多少は書きたくないこと、やりたくない方法を求められることがあるんだと思う。それでも生計が立つなら、素晴らしいことだと思う。

でも、大して才能のないわたしが言うなよと思われてしまうかもしれないけれど、わたしにとって書くというのは表現であり、芸術だ。アートだ。だからわたしは、そういう意味でアーティストになりたいと思っている。

画家が死後やっと評価されたという話はよくあるし、誰にも作品を見てもらうことなく人知れずこの世を去っていった芸術家は数えきれないほどいるだろう。

わたしも既に、誰にも読ませることなくデータを紛失してしまった小説たちがあるし、これからも書くことを辞めなかった先に読者が現われないまま死んでいくことだって十分あり得る。

それでも、いい。全然、構わない。

わたしには書きたい世界があって、主題があって、わたしの中に既に存在して生きているたくさんの人物たちがいる。せめて彼らを文字の中で生かすことで、わたしという小さな世界からもう少し広いところへ出て行ってほしいと思う。

相変わらず寒い今日この頃、わたしはそんなことばかり考えながら生きていた。思い返せば今月は、LINEの返信は何週間も放置するくせに、ずっと書き物をしていた。

だいたい卒論、一日一度の日記、移動中の思い付きは携帯のメモ、ときどきnote、書きかけの物語の続き……。

いや、本当は卒論一本に絞るべき時期なのです。今だってnoteを書いている暇なんか、1ミリだってないのです。

ここだけの話、卒論は楽しい。ちょっと驚くほど楽しい。大学四年間のアカデミックライフにおいて最も楽しみにしていたことの一つだから、そのクライマックス真っただ中にいる今、異様な高揚感に包まれている。終わってしまうことに泣きそうになる。もちろん、自分の文章力や構成力、分析力が絶望的なことにも泣けてくるけれど。

だから、放り出しているわけではないのよ。これをポチっと投稿したら、また論文の推敲に取り掛かるのです。ここに誓います。

わたしはただ、書くことが大好きな人が集うこのnoteで、いるかわからない神様にありがとうと言いたくなった。できれば、新年の空気がまだ微かに残っている、1月のうちに。

神様、言葉を、文章を、わたしたちに与えてくれてありがとう。

それらは時に人を傷つけるけれど、わたしは書き続けるという「叶う夢」に気づいた瞬間から、生きる指針を見失わなくなりました。

もし世界からペンとノートが消えてしまうとしても、わたしは声で、心の中で、どんな方法ででも、物語を紡ぎ続けるでしょう。

何にも思いつかなくなってしまっても、わたしは自分の人生という物語を、最後まで紡ぐことを誓います。

今年も素敵な年になりますように。

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