なんで結婚したいの?
って、よく聞かれる。
わたしのまわりには、「結婚したくない」「結婚はしてもいいけど、子どもはほしくない」「子どもはほしいけど結婚はしたくない」などなど、色んな考えの人がいる。
わたしも別に、結婚はすべきだとか、幸せの象徴だとかって思ってるわけではない。ディズニー映画のような、運命の人と出会って恋に落ちて、結婚がゴール!といった世界観は、いつの間にかどこかに置いてきた(美女と野獣とか、わたしも好きだけどね)。
だから、結婚したいなあとつぶやくときは、「あくまでわたしは、ね」という言葉を添える。「女の子だから、当たり前でしょう」なんて、口が裂けても言わないし、思っていない。
それでもなお、「どうして?」と尋ねられる。批判ではなくて、純粋な疑問として。
ではお答えしましょう!
正確に言えば、わたしは子育てがしたい。人生で、できれば絶対にやりたいことナンバー1の事項。ちなみに次は、自費でもいいから本を出すこと。それから、ごはん屋さんか何かとして、空間の提供がしたいなあと思っている。好きな本や絵本、詩集を並べて、お花がたくさんあって、お客さんはあまりいなくても温かい空間 —— お家で食べるみたいなホッとする食事が出てきて、そのままぼーっとしたり、勉強したり、本を読んだり、会話をしたり、できる場所—— って、これは余談ですが。
子育てがしたいのは、子どもが好きなのはもちろんだけど、一番の理由は、ちょっと違う。
ところで、昔から漠然と「結婚したい」「子どもが欲しい」とは思っていたけど、どうしてなのか、考えたことはなかった。だからこれは、そういう問いかけをしてくれる友人たちと話す中で、気づいたこと。
パパとママは、たくさんの愛情を注いで、わたしたちを育ててくれた。我が家は、お金に余裕のある家庭ではなかったけれど、温かくって、幸せな家族だった。恵まれているなあと感じた。たしかに、家族という居場所が常に温かいとは限らない。いろいろな形、あり方を、短い人生の中でも見てきた。その中でもがく友人を、何人か知っている。だから、「そうあるべき」と思っているわけではない。
でも、少なくともわたしは、とても幸せに育ってきた。暮らしてきた。
人生、多少嫌なことや苦しいこと、悲しいことはあるけれど、基本的に「いつでもハッピー」「生きるって最高」「毎日幸せ」というスタンスは変わらない、そんなわたしに成長した。だから、面倒くさいなあ、と思うこともあるけれど、本当はいつだって両親に感謝している。
そうして、思った。
「ああ、わたしも誰かにこうやって愛情をたくさん注ぎたいな。幸せを与えたいな」
これは、そういう風に思うきっかけをくれた両親への孝行にもなるような気がする。
直接「親孝行」として、美味しいものを食べさせてあげるとか、旅行に行くとか、たくさん会いに行くとか、そういったことも、もちろん大事だとは思う。
でも、「パパとママからたくさんもらった愛情を、わたしもこうして人に目一杯与えられるような、人を愛せるような人間になったよ」と示すことが、一番の親孝行になるんじゃないかな、と思った。少なくとも、わたしの親は、そういうことを一番喜びそうな気がする。
——もちろん、親孝行のために、子どもがほしいわけじゃない。
「たくさん愛されて育った分、わたしもたくさん人を愛しながら生きていきたいな」という、個人的な願望のお話。
だから、もし結婚ができなかったとしたら、養子をとって、子育てをしたい。一生一緒にいたいなあと思える人が旦那さんになってくれて、なおかつその人の子を授かることができるなら、それはとても幸せなことだなあとは思うから、今は「結婚したいなあ」って、つぶやくけれど。
あくまでわたしは、ね!
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